タイムフリーが終わる前に♪9の音粋(#キュウオン)「スージー鈴木私の履歴書2」2023,11,27つまみ聞き
小学生でアリスのロックンロールに出逢ってから校内暴力差別「汗を流せ」の会社員時代、いつも音楽が流れていたDJとプレゼントと称して日頃かけたかった曲をここぞと披露する^^;DJ2人の音楽トーク番組bayfm9の音粋(#キュウオン)月曜日。2023,11,27前日に誕生日を迎えた《スージー鈴木私の履歴書(2)》タイムフリーが終わる前に是非お聞き下さい!ここではちょっとつまみ聞き。DJはスージー鈴木(スー)ミラッキ大村(ミ)
スー)今晩は「掘り出そう!自然の力」音楽評論家のスージー鈴木でございます。そして。
ミ)ミラッキ大村です。
スー)191回11/27今日は小室哲哉さんの誕生日と。その前日私が57歳になりまして、57でございます。ありがとうございます。
ミ)おめでとうございます。
スー)還暦まであと3年。還暦になったらもうラジオの仕事以外は一切やめて、千葉ロッテマリーンズの追っかけとJR全線走破と。
ミ)フフッいいですね夢がありますね。
スー)そうそうセミリタイアじゃなくてもう本気のリタイア、なんて言う事を考えたり夢想しておりますけれどもフフッ。今日は《スージー鈴木私の履歴書》という事で、ホント公共の電波で僭越ながら自分語り自分の歩みを音楽と絡めて喋らせて頂く。大変僭越な時間でございます。57歳1966年生まれロックンロールは当り年ですね。大槻ケンジ・田島貴男・斉藤和義・渡辺美里・吉井和哉…。
ミ)フフッ全員濃い。
スー)トータス松本・小泉今日子・斉藤由貴両方元気!フフフッ。
ミ)凄いなぁ。
スー)という中で野球は田辺徳雄(※西武)野村謙二郎(※広島)長嶋一茂(※ヤクルト・巨人)ですからまぁアレなんですけれども。ロックンロールは当り年の中で私も当り年になっております。’90会社員になってからの歩みを今日はご紹介したいと思います。興味の無い方もお付き合い下さい。1990年バブル最後の年に大手広告代理店に入社しました。バブルの1年間それはそれで機嫌のイイ1年間だったんですけれど、皆さんご承知のように(私は)音楽について書いたり話したりとかしたかったんですよ。花の広告代理店の中で一人だけ「渋谷陽一が」とか言って「誰だよそれ」って言われながら、変な新入社員でございました。バブルでめっちゃくちゃ忙しくって、どんどんどんどんロックンロールへの思いが下がって行くんです。そん時に聞いたのが’89に発売されましたCOMPLEXのニューアルバム「COMPLEX」ですね。『RAMBLING MAN』て曲なんです《たかがおまえの事なんて 世の中誰も知りやしない YOU’RE JUST RAMBLING MAN 思い知らせてやれよ》と。広告代理店で頑張りながらも音楽とか渋谷陽一への道を、もっと言えばフフッミュージシャンへの道を忘れんなと。ああそうか誰も知らないんだったら、やってやんよ!という風に思って励まされた曲でありましたんで、この曲から行きたいと思います。(☆スージー鈴木著「恋するラジオ」’20ブックマン社#5半蔵門の吉川晃司の章に詳しい)
♪COMPLEX『RAMBLING MAN』
スー)これをディスクマン(※ソニーポータブルCDプレイヤー)で聞きながら会社員の1年目でございました。そっから6年経ちますね’96。あんまり自慢できる事など何も無い人生ですけれども、『イージュー★ライダー』が発表された年に自分が“イージュー”だったって事は自分が自慢していいんじゃないかって事ですね。“イージュー”って(音楽コード名で)C→D→Eなんで30歳という事で『イージュー★ライダー』は30歳ライダーって事なんですね。私はもうすぐフフッE→F→G→A、Aジューライダーになるって事なんですけど。『イージュー★ライダー』の歌詞の良かったのが何とも言えないつかみ所の無い所で、《幅広い心を くだらないアイデアを 軽く笑えるユーモアを うまくやり抜く賢さを》わっかんないんですよ。わかんないんですけど、少しずつバブルが崩壊して行って少しずつ会社に飲み込まれてめっちゃくちゃ仕事して、とかっていう時にあぁ《幅広い心を くだらないアイデアを 軽く笑えるユーモアを うまくやり抜く賢さを》かなり身に沁みましたね。渋谷系とかナントカって割と時代の遺物みたいに語られるんですけど、それとは別に“奥田民生になりたいボーイ”っていうのは、こういう感覚が「あ!自分世代の事を歌ってる」っていう感じがありましてこの『イージュー★ライダー』は沁みました。私が30歳になる年’96の6月に発表されました。
♪奥田民生『イージュー★ライダー』
スー)ミラッキさんは高校生?
ミ)はい。
スー)僕は社会人でカラオケボックスとかでこの曲歌うんですよ。♪僕らの自由を~そうすると若いヤツが「ハイ!ハイ!」(手拍子^^;)
ミ)アッハッハッハッ!
スー)そこは黙ってろ。ブルーハーツ『人にやさしく』歌って♪気が狂いそう~「NO!NO!」お前がNONO言うな!
ミ)ハハハハッ!
スー)軽く乗ってくんな!っていう位、世代の歌ではありました。今日は2時間こういう話ですからね、すみません。自慢事が少ないんですけれども、唯一の自慢事がいくつかありまして、今の話と大瀧詠一に’97に会ってるって事ですね。’97,2にラジオの仕事がしたいという気持ちが抑えられなくって、細い線を伝ってFM横浜でちょっとだけ喋ったりしてたんです。大瀧詠一が何故か特別番組で来ておりまして、これ本に書いたんですけど(※スージー鈴木著「80年代音楽解体新書」’19彩流社)自慢過ぎるから言います。サインねだったら「スージーくんとはこれから一緒に仕事するかもしれない。私はそういう人とは対等の関係でいたいのでサインはしません」という風に言われたというのが、いい経験だったなと。ですけれど仕事する事はなく。大瀧詠一が亡くなったのはちょうど10年前です。2013,12,30。仕事をする可能性は完全に消えたわけでございますけれども。その翌年2014年に私の一冊目の本が出せて(※「【F】を3本の弦で弾くギター超簡単奏法~シンプルなコードフォームから始めるスージーメソッド」彩流社)
私自身の仕事も始まったという事で関係があるのか無いのかわかんないなあ、という事を思い出したりもします。’97と言いますと『幸せな結末』が大ヒットした年でありますして、今日はそこからのカップリングですね。10年前の12,30に大瀧詠一が亡くなった事も踏まえてエンディング、『Happy Endで始めよう』。
♪大瀧詠一『Happy Endで始めよう』
スー)メール来ておりますハートブレイクジュリアさんいつもありがとうございます《先日スージー先生が「ラジオDJの役目は“きれいごと”を言い続けること」と仰ってまして
(※’23,11,13《子ども向けロック特集》本note参照)、私は一生先生の“きれいごと”を聞き続けて行きたいなと思いました》言いにくいんですよね、“きれいごと”とか真面目な話って。さっきのCOMPLEX『RAMBLING MAN』《たかがおまえの事なんて 世の中誰も知りやしない…》思い出話。今でもそんなに知られてる感じがしないんですけれども。それ言ってると、一生何も言えないのでね。マイクが与えられているというのは言っていい事を広げて行かないと。自制して行く理由はあんまりないかなと思いますんで、いろんな事喋ったり書いたりして行こうと思って居るんですけれども。’97ミラッキさんは高校2年フフッ私は社会人7年目。会社はね10年位は正直あんまり上手く行かなかったんですよ、しんどかったんですよ。
ミ)そうですか。
スー)査定とかも低くて、理由は「お前は汗をかいてない」とか言われて。体育会系の社風なんでフフフッ。10年位やったら2000年位から急に楽しくなって来たんですよ。ある程度の責任任されて、裁量ができるとやっぱり(楽しくなった)。私の場合は10年かかったかなあと思いますね。東京の街で仕事まみれになりながら、飲んで遊んでというね。30代のテーマ曲はこの曲かなと。ミラッキさん平成の中で一番聞いたアルバムってなんですか?
ミ)サニーディサービスですかね。
スー)ああ、じゃ近いかもしれませんね。私は恐らくピチカート・ファイヴの「さ・え・らジャポン」だと思います。このアルバムの最後の方に『東京の合唱』別バージョンが入ってまして、これが東京を遊んで行く自分の30数歳のBGMだったかなと思います。
♪ピチカートファイブ『東京の合唱~午後のカフェで』
スー)ピチカートファイブ『東京の合唱』松崎しげる・野宮真貴、ラップはYOU THE ROCK。あっと言う間に’90代が終わって21世紀に来ました。10時台前半は’00年代という事で、音楽だけでなく野球も仕事も忙しい。
ミ)ハハッ。
スー)という感じでどんな曲を聞いたかと。いよいよ私にも遅まきながらヒップホップの波が訪れます。10時台1曲目クイズ、前回ハハッ2人しか正解いなかったんで。でもちょっと難しめもいいかなと。ヒップホップの始まりっていうのは、シュガーヒル・ギャング(※米’73-)『ラッパーズ・ディライト(Rapper’s Delight)』だと言われるんです。では日本の2001年のラッパーズ・ディライトと。ちょっとタイトルも似てますけど。この曲をかけようと思ってます。
ミ)10時台1曲目を当てた方の中から1名にサイン入り月曜キュウオン特製ステッカーをお送りしますので、メール、Twitter・Xで送って下さい。
【ミラッキ・ゾーン】
スー)えー「あなたの善玉菌」スズキズムです。
ミ)ハハハッ。
スー)bayfm9の音粋月曜日《スージー鈴木私の履歴書2》僭越でごめんなさい。こっからはスージーよりも14個も若いミラッキさんの選曲をお楽しみ下さい。
ミ)スージーさんは曲の間ケーキを食べつつ、明けたら喋れるようにしといて下さい。
スー)アハハハハッ!
ミ)コメントを欲しいので。スージー鈴木に聞いて貰いたい現代女性ボーカル!をプレゼントします。
☆ミラッキさん曰く「’88声」ソロアイドル。
♪文坂なの『ため息さえも』’23,1
スー)きゅんメロコード進行、繰り返すから『ABC』少年隊『My Revolution』(渡辺美里)とか『DanDan気になる』(中村由貴)。我妻佳代とかそんな感じですね。
☆浦小雪ボーカルのバンド。
♪Sundae May Club『Teenager』’23,9
スー)浦小雪さん、これはいい声ですよねえ。♪ドレミファソラシド~。ビートルズの♪ハーローグッバイハーローグッバイから始まるドレミファソラシドロックンロール。
☆男女2人ずつ4人バンド。歌っている女性はスージーさん^^;男女ハモリ。
スー)ジッタリンジン、ママス&パパス!
♪ゴホウビ『一糸まとわぬアイを見せてよ』’23,4
☆男女ハモリ、女性ボーカルはBiSHアユニ・D
♪DENIMS『ふたりfeat. アユニ・D』’22,10
(☆ケーキを完食し、夕食のから揚げ弁当と合わせて満腹^^;)スー)これはもう私、♪ギターを弾く~このギター好きですよ。スリーフィンガーって昔言いましてね。今誰もこれ弾かないんですよ。アイナ・ジ・エンドばっかり耳にしてましたけど(アユニ・D)上手いですね。
☆’23,11,15発売EP。ミラッキさんのお気に入り吉澤嘉代子。
♪吉澤嘉代子『青春なんて』
ミ)10時台1曲目クイズ、正解は来ていましたか?
スー)来てた来てた、良かったあ。前回2通だったんでハハッ10通来てました。番組唯一のコーナー存続を願いたいと思います。(☆以前正解者が0だったらコーナー終了と言ってしまった^^;)
【22:00台前半 ‘00年代】
スー)’00代に行く前にメール読みましょうか。あみーごぜっとさん、この方はさっきのFM横浜で私が乱入した大瀧詠一の番組を聞いてますねー。
ミ)えーっ⁈
スー)《大瀧詠一・ピーターバラカン「我が不滅のリバプール」特別番組で番組内で度々登場するスージーの名。大瀧詠一がスージーを呼び込む「おい、スージー」「あ、スージー鈴木です」と出て行く》聞いてらっしゃる方がいるんだー悪さはできないなあ。ありがとうございます。
クイズでございます。たくさんの正解者がいて助かったなあという事ですね。この方にしましょうかラジオネーム天体観測さん《22時台1曲目はズバリ『STEPPER’S DELIGHT』RIP SLYIMEですよね、赤塚不二夫イラストのファーストアルバム、よく聞いてました》これですよこれこれ。まずは天体観測さんおめでとうございます、特製ステッカーお送りします。『天体観測』(BUMP OF CHICKEN’01)も2000年2001年辺りじゃないかな?いよいよ時代は’00年代、スージー先生も30代半ばに行きます。ちょっと仕事の話とか野球とかに御執心でいろいろ忙しくなって来て、音楽的には感度が薄い10年間なんです。前半の私的なMVPはRIP SLYIMEかなと思ってますね。今、なんかあんまり語られない感じがあって、初期作品とかもっと語ってもいいんじゃないかと思うんですけど。当時私はまだ本も書いてないし、ラジオも終わりましたし、フッツーのサラリーマンなんです。自分の考えとかを発表する場が無かったので、かなりマグマが溜まってる時代でもあるんです。矢沢永吉・桑田佳祐・佐野元春・岡村靖幸が取り組んで来た、日本語をどうリズムに乗せるかっていう問題についての鮮やかな解答という感じがしたと。あ、今溜まっていたモノを出しました。20年ぶりにフッフッフッ。
ミ)フフッ良かった。
スー)この頃のRIP SLYIMEをもっと語りたいという感じがして、コンサートも行ったりしました。それでねぇ思いましたよ「メンバーになりたいな」ってハハッ。
ミ)ハハハッ。
スー)4MC1DJっていうんです。面白かったのがMC・ラッパーが4人いるんですよ。4人も5人も一緒だろうという事で…。
ミ)フフフッ。
スー)昭和記念公園かなんかのコンサート行ったら、ああ明らかにウチらが最年長だなあって感じで。
ミ)あーそうでしたか。
スー)やっぱりねえ、平均年齢上がってるじゃないですか。当時は凄い疎外感を感じたんです。1曲選ぶとするとデビューかな’01『STEPPER’S DELIGHT』という曲です。これフツーに聞いたらフツーのラップかなと思われてるフシもあるんですけど、是非さっき言った矢沢永吉・桑田佳祐・佐野元春、特に岡村靖幸と補助線引っ張ってみると感じる所があるんではないかと思いますね。もうホントに日本語が跳ねるようなリズムに乗ってるって感じでございます。
♪RIP SLYIME『STEPPER’S DELIGHT』
スー)まあ日本語でもラップが出来ると。21世紀が始まりました、個人的には’00年代と言いますとやっぱり千葉ロッテマリーンズ日本一の年(‘05)と。かなり野球に御執心の10年間だった気がします。57歳にもなりますとマリーンズの日本一あと何回見られるのか?若しくは見られるのか1回でも?フフッという気分になって来ますけれど。こん時のロッテの打線というと福浦和也(※内野手・左投左打’94-‘18「幕張の安打製造機」)。1回かけましたけどもDJD.O.C『ヘビョヌロガヨ』という韓国のヒット曲を今日またかけたいと思うんです。これ韓国のヒット曲なんですけれど、元々は日本製の音楽だったって言う話を私の「いとしのベースボールミュージック」という本(※スージー鈴木著’19リットーミュージックに)書いております。日本から韓国に来てそれが福浦和也の応援歌になってるんですね。日本海を2回渡ってるんですよフフッ。
ミ)ハハハッ。
スー)ロッテファンで2005年の日本一を知ってる方ならこのメロディ知ってると思いますけれども!前回この曲の前に(31回《がんばれマリーンズ特集》)私がコリアンの知り合いから聞いた韓国語をそのまま喋って、ネイティブの方から「全然伝わってなかった」ていうTweetを頂きました。こりゃダメだという事で、今回は私の昔の会社の知り合いでネイティブのキム・ソヨンさんという方、現在アパレルとNPOを両立する「クラウディ」という会社のCCEをやってやってらっしゃる女性の方に吹き込んで貰ってデータで貰いまして、スジノミクスをして参りました。(☆この番組でスージーさんが自宅でmixをした音源を“スジノミクス”という^^;)今回は通じますよ!なので少なからず聞いているであろう韓国語が出来る方若しくはコリアンの方、曲の中盤で出て来るメッセージ、野球と韓国に対するメッセージが入っております。さっきは日本語のラップでしたが、今回は韓国語のラップ。DJ DOCfeat.私の友達キム・ソヨンで『ヘビョヌロガヨ』。
♪DJ DOC『ヘビョヌロガヨ』
スー)『ヘビョヌロガヨ』福浦和也♪俺らの誇~り~打て福浦、打て福浦~フフフッ。この不思議なメロディはと思ったら、これは韓国のヒット曲だって話になって。「ヘビョヌロガヨ」っていうのは「浜辺に行こう」って意味らしいんですよ。これちょっと演歌っぽい感じだって言う風に韓国人の友達から聞いて。
ミ)あ、そうなんだ。
スー)で調べたらこれが実は日本製だったんですよ。この歴史絵巻は私の「いとしのベースボールミュージック」に書きました。不思議な話があるもんなんですね。今応援歌が変わりまして自作のになりましてカバーの応援歌がほとんどないんですけど、全球団そうかな。2005年強かったんですよ~。もうホント言うてやろ、あと1回でも(日本一)見られんのかなあ…。
ミ)ハハハハッ。
スー)千葉ロッテの選手聞いてないかな?吉井監督聞いてないかな?吉井監督は「カセットテープミュージック」ていう私の番組(※毎週日曜日21:30無料チャンネルBS12スージーさんとマキタスポーツさんの音楽真正面だが笑える音楽番組)の熱心な視聴者なんで。それとこの前言ったみたいにドラム・ベース・ギター(ができる)、野球界のプリンスと言われてますからねハハハッ。
ミ)ハハハハッ岡村ちゃんみたいな。
スー)そうそうそう。期待してますよ!あと1回でいいや見られたらハハッ!
ミ)ハハハッ!そんなそんな。
スー)2位なんだけどな、1位との差が…ままいいや。音楽番組でございました。じゃ’00年代に見たコンサートの中で1個選ぶとするとという事で、屈指は2008,12,3東京ドームと言いますと「沢田研二人間60年ジュリー祭り」というコンサートがありました。東京ドーム夕方から始まって、屋根がネ陽で白いんですよ、パリーグのデーゲームしか見なかったようなフフッボールが取りにくいって言う。夕方から始まって計6時間半ハハハッ。このコンサート見ててとにかく不思議な感動があって。後3年後に自分はあの境地に行けないなと思うんですけれども。そのテーマソング的なのが『ROCK’N ROLL MARCH』って曲でございまして。作・編曲白井良明ですね。もう沢田研二が「行っちゃうぞ!」って感じで凄いグングングングン乗って、東京ドームの屋根が揺れるような感じで歌っておりました。’00年代に見たコンサートの中で屈指はこのコンサートこの曲でございます。
♪沢田研二『ROCK’N ROLL MARCH』
スー)2008,12カッコ良かった沢田研二『ROCK’N ROLL MARCH』でございます。大瀧詠一も『ロックンロールマーチ』(‘75)って曲がありまして2人とも昭和23年(生まれ)。“昭和23年ロックンロールマーチ”。
2009年まで行きます、これは5月に忌野清志郎が亡くなり9月に加藤和彦が亡くなった年でございます。忌野清志郎’00年代で1曲と言えば『JUMP』という曲かなと思いました、’04の曲ですね。非常に調子が良くグングン行く感じで今の『ROCK’N ROLL MARCH』に近いんですけれども、3番の歌詞でこんなのがあってグッと来るんですよね。《世界のど真ん中でティンパニーを鳴らして その前を殺人者が パレードしている 狂気の顔で空は 歌って踊ってる でも悲しい嘘ばかり 俺には聞こえる》まぁ最後忌野清志郎がどういうメッセージを残していたのかっていう。これコンサートでめっちゃ盛り上がるんですよJUMP!JUMP!とか言いながら。でも今の一節とか凄くなんか複雑な読後感っていうのを残して。さっきの“きれいごと”じゃないですけれども、こういう歌もいいなあと。メッセージとかっていうのは具体的に言うのもいいんですが、なんだろうこれは?と思いながら、あれから十何年経ったのかな?という事でございます。
♪忌野清志郎『JUMP』
スー)JUM~P!という訳で悲劇の多かった2009年も終わりましていよいよ2010年代に突入するんですが、あれれ?と。忌野清志郎『JUMP』の発売日が2004年の11月26日。おー!『JUMP』と私同じ誕生日だったんだ。11/26と言いますと、私と忌野清志郎『JUMP』と下條アトムとあと、パリーグの誕生日でした。
【ラスト・ゾーン 3.11で考える】
スー)2011年私は当然サラリーマンだったんですけれども、イロイロやりたいという事で大学の非常勤講師をやってて、大阪芸大に行ってたんですよ。「広告実習」とかちょっと胡散臭い感じで行っててフフッ。東日本大震災3.11揺れましたね大阪でも。これ本にも書きましたけれど(※スージー鈴木著「恋するラジオ」’20ブックマン社)そういう人多いんじゃないかと思うんです、私の知り合いでも何人かいます。3.11があって人生考えて、やっぱりやりたい事やろうと思ったと。私も直接それがきっかけになりまして、冒頭で言った「ああやっぱり音楽の仕事したいなあ」というのがありましたね。さっきのミラッキさんに返す形で、私も今年’23,10発売「Redemption」というアルバムを出しました片平里菜。この方福島県出身で、曲自体のテーマは「震災後の瓦礫の街にロックバンドがやって来る」っていう事を歌ってるんですよ。だから今年の曲なんですけれどもテーマは’11,3,11だという事ですね。
♪片平里菜『ロックバンドがやってきた』
スー)歌詞は《ロックバンドがやってきたロックバンドがやってきた 瓦礫の街に誰かの心に 胸倉掴まれた気分だ はしたない言葉吐き出した どこへでもいいから行こうと思った》震災当時の状況とかわかりませんけれども、いろんなチャリティーとかでロックバンドが来て、こういう風に思った人っていたんじゃないですかね。この《はしたない言葉吐き出した》ってのがいいと思うんですよね、きれいごとじゃなくってねフフッ。私はきれいごと喋りますけど。《はしたない言葉吐き出した》っていうのがこの曲の輪郭をしっかりしたものにしてると思います。
そして私も自分でやっていかな、といろいろ企画書書いたり自分でプラン立てて出版社行ったり動いた時期かな、2010年代前半という事です。そしていろいろあってなんと2020年にこの番組が始まる。
ミ)パチパチパチパチ!
スー)4/6でございました。という訳でこの番組はコロナ禍に始まっております、マスクしながらやってたかもしれません。これが3年半前でございますね。調べましたね、初回は《EPICソニー特集》という事で、2曲目が『悲しきRADIO』佐野元春3曲目がTM Network『Self Control』ですね。覚えてらっしゃる方も多いとは思いますが、今一度この番組のヒストリーをですねフフッゴールデンヒストリーをね。1曲目がなんだったかという事で。2020年遂に記念すべき月曜9の音粋第1回4月6日コロナ禍の中で、この曲からこの番組は始まりました。
♪渡辺美里『My Revolution』
スー)小室哲哉さんお誕生日おめでとうございます、65歳頑張って下さい。
【告知タイム】スージーさん「恋するラジオ」の続編1月新刊。込み入ってる^^;タイトル「弱いモンらが夕暮て さらに弱いモン叩きよる」サブタイトルが「OSAKA MOTHER’S SON 1980」《私と母親の物語で、実話でなく基本的には創作なんですけど、校内暴力やらナントカ差別やらナントカ差別が吹き荒れる1980年の大阪の中で、音楽を聞きながら少年が成長して行くみたいな》
スー)今言った大阪弁で言う「弱いモンらが夕暮て さらに弱いモン叩きよる」っていうのは、もちろんブルーハーツ『TRAIN-TRAIN』の《弱い者達が夕暮れ さらに弱い者を叩く》から来てますね。ちょっと真面目な話しますと「弱いモン達が夕暮てしょぼくれて更に弱いモン叩く」っていう、憎悪のトリクルダウンみたいなモノが今の時代、特にもしかしたら大阪ではそういうモノが吹き荒れてる感じがするな、とかって思ったんです。当時1980
の大阪でどんな風に少年が思いながら、ちっともニューじゃない街でニューミュージックを聞きちっともシティじゃない街でシティポップを聞いてた。そういう感じって言うのをですね文章に著わしたんで、是非読んで頂ければと思います。『TRAIN-TRAIN』は’88の曲なんですけれども、なーんつうんだろう、未来予想?なんか今の時代を既に言い表してるって感じも受けます。
♪THE BLUE HEARTS 『TRAIN-TRAIN』アルバムver.
スー)最後はぐっと前に戻って、45年前谷村新司さんの追悼としてアリスの思い出話を最後に一席。私が音楽に興味を持ってギターなんて弾き出したのは、全てアリスちょっとだけあのねのねフフッ、のせいでございます。さっき言いました「弱いモンらが夕暮て さらに弱いモン叩きよる」の前作となる「恋するラジオ」に書きました、東大阪市民会館のアリスのコンサートに忍び込んで倉庫みたいな所で耳を澄ませるんですけれども、そん時に聞いたのがこの曲でございます。この音源は’78武道館ライブ「栄光への脱出」という名前がありますが2枚組のライブアルバムなんですが、クレジットを見たらバックには羽田健太郎と芳野藤丸がいます。アリスはフォークとかニューミュージックとかって語られるんですが、まごう事なきロック!ロックンロールで、この演奏とか聞いたらアリスのそういう1面をよくわかって頂けるんじゃないかと思います。懐かしのMCもつけてみました。フフッ谷村新司という人の面白さ・軽薄さ・ちょっとスケベさ、そういうのも含めて私にとっては音楽の師匠であり、この曲からロックというモノを学んだと思います。45年前私の12歳の時の思い出でございます。谷村新司さんありがとうございました。
♪アリス『冬の稲妻』
スー)やっと57歳この2時間で、ありがとうございます。還暦までのカウントダウンへ向かって行けますね、きれいごと言いながら健康に気を付けて頑張って行こうと思います。さて通常営業に来週から戻ります。特集は《あんた誰?特集》ゲストボーカルとかフィーチャリングとかって書いてなくって、でもなんか「誰が歌ってんねん⁈」っていうね。だからずーっと歌ってんじゃなくて、ちょっと出てるとか、そんな感じの《あんた誰?特集》。ゲストボーカルとかフィーチャリングとか表記が無くって、でも曲を聞いてる時に声が入ってる。
ミ)歌声、叫び声、謎の声も含みます。
スー)という訳でフフフッ予想のしようがないかもしれませんけれど、これが月曜のキュウオンでございます、57歳が頑張っています。「bayfm9の音粋お相手は、アシスタントディレクター「あんた誰?」岡部いさこです、ミキサー「あんた誰?」はい私がミツヤマでございます、ディレクター「あんた誰?」はい私がへんなオジサン浜野ツトムです、プロデューサー「あんた誰?」しばらく会ってません西宮ヒロキと申します。
ミ)ハハハッそしてDJはミラッキ大村と。
スー)そしてスージー鈴木(SEハジケ子ちゃーん!)でございました。
ミ)ありがとうございました。
スー)あんた誰?私が57歳のスージー鈴木でございました、ありがとうございました。
★みにょん:スージーさんは何度も「大変僭越」と言っていたが、おしつけがましくなく履歴書に沿って時代を思い起こし、時のミュージシャンの名曲が聞けた。ミュージシャンは天に昇っても音楽が残るとは言うが、やはりジュリーのように歳を重ねても尚色褪せない歌声をステージで聞きたい!スージーさんがこの頃様々な記事やSNS、voicy等で発信しているように、グラミー賞の中のような追悼コーナーを、音楽家と楽曲へのリスペクトを込めた1時間本気番組で、偲びたいと感じた。自分自身の履歴書に流れている音楽家の訃報は辛い。
《言いにくいんですよね“きれいごと”とか真面目な話って…マイクが与えられているというのは言っていい事を広げて行かないと。自制して行く理由はあんまりないかなと思いますんで、いろんな事喋ったり書いたりして行こうと思って居るんですけれども》スージさんが履歴書を語る中で、今ご自身がDJや発信に向かう姿勢を表明している。大きな敬意と共感を持った。
☆来週(12/4) 《あんた誰?特集》ゲストボーカル、フィーチャリング等表記が無いが入ってる声。叫び声、謎の声も含む。
☆番組特製サイン入ステッカー:シェア大賞・ブリリアント50代さん:メール大賞・アイラブノッコさん
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