’22,8,29号音粋ヒストリアvol.3-「若松宗雄インタビューEp.2」
《’22,8,29音粋ヒストリアvol.3若松宗雄インタビュー》
⇐【Ep.1から続き】
【Ep.2タイトルネーミングといいんじゃない】
スー)アマチュアの松田聖子・蒲池法子さんと若松宗雄さんがCBSソニー福岡営業所という所で出会います。そこでいきなり松田聖子が歌わされる、という事件が起きます。その話から行きたいと思います。
ミ)はい。
☆インタビュー
スー)後、これも聞いてみたいな。当時のCBSソニーに松田聖子が来て「じゃ、ちょっと法子ちゃん歌ってみてよ」って言って、渡辺真知子『迷い道』歌うっていうね。ウハハハッ。
♪BGM渡辺真知子『迷い道』
若)福岡で本人と初めて会った時の話ですけれども。ちょうど夕方セールスマンがホテル帰って来て何人か集まったから、せっかくだから何か生で歌ってくれる?って。
スー)フフフッハハハハッ。
若)それは、断れないよねえ。
スー)それ、そこで聞きたかったなあ。ハハッ。
若)だって本人、何が何でも歌手になりたいって言ってる訳だから、どう言われてもそれは断れないから。歌ってる姿をその時初めて見た訳ですよ。やっぱり歌ってる姿は非常に上がって怖気づいているんだけど、基本的に凄い堂々としてんのね。ま、吹っ切れてるってのかねぇ。だからあのなんて言うのかなあ、吹っ切れてる気持ち、あれは凄かったね。
スー)ハハハッ聞いてみたいなあ。
若)だからね、少々♭してようが♯しようが、関係ないの。歌がブオーン!と行ってるから。
ミ)その時の若松さん《何より生の声量に驚かされた。マイクはいらないじゃないか》この時点でですよね。16歳。
スー)ハハハハッ。聞いてみたいなあ。(☆とにかく聞いてみたいスージーさん^^;)ありがとうございます。この話をずっとしていたいんですけど、ここで一回止まる所がこの9の音粋の変わったトコでございます。その以前の話をしたいんです。まずは若松さん1969年にCBSソニーに入社。当時‘69のCBSソニーってどんな感じでした?
若)まだ出来たばっかりだからねえ。
スー・ミ)うーん。
若)出来たばっかりだけど、とにかく新聞広告で募集を出して。
スー)有名な広告ですよね。
若)そう、あれ何千人集まったのかなあ。相当。ま、5-6000人とか応募があったんじゃないですかね。で30人か40 人か、採用しても4-50人ですよね。私もそん時応募して落ちちゃったんだけどね。ソニーがレコード会社作るって事で、尚且つCBSが日本で第1
号の合弁会社企業でやるからって、とにかく凄かったね。だから私もすかさず応募したんだけど。後は、時代的に活気があったよねぇぇ。これが今と違う所。世間の音?世間の音がゴォ―――ッていう感じですよ。
スー)ゴォ―――ッ?
若)例えればね。だからゴォ―――ッって言う音がいろんなみんなが動的になってるし、好きな事やってるし。だから何て言うのかなあ、少々悪い事しても、思い切ってやってるから。
スー・ミ)フフフフッ。
スー)まあまあまあ。
若)思い切ってやっちゃうと、まあいいか、ってなっちゃうんだよね。
スー)アハハハハッ!
若)で、おどおどしてやると、なんだ!って事になるけど。だから世の中がそういう時だったから。(昭和)44年かな、正式に出来たのは。
ミ)1969年ですね。
若)あ、そうそう私が44年(1969)に入ったんだから、出来たのは42年(1967)だな。
ミ)この番組では‘67-9年辺りを取り上げる事が多いんです。もう既にレコード会社が存在していて、雑誌もラジオ局もある中で、オールナイトニッポンが始まった頃ですね。海外との連携も始まるなど、新しいスタートのきっかけ、若い人にチャンスがあったんですね。
若)ま、当時歌、音楽は専門でもなんでもなかったけど、なんかこの歌売れそうだな、っていう嗅覚は持ってた気がするんですよね。だからレコード会社ができたら入りたいな、って思う所にこれがパーッとできたから、それでちょっと飛びついた感じですよね。
スー)今おっしゃった、おそらくプロデューサーとして、デモテープを発見する能力、これが売れるんだという嗅覚っていう事の、非常に顕著な例がありまして。初任配属が関西?大阪支社?
若)大阪営業所。
スー)本の中でみんなはスッと読むトコだと思うんですけど、私がパッとページが止まったのは、あの日本人みんなが知ってるマッシュマッカ―ン『霧の中の二人』を、大阪営業所の倉庫かなんかで見つけたんですよね。この話聞かせて下さい。
♪BGMマッシュマッカ―ン『霧の中の二人』
若)そう、CBSソニーの営業所が、ソニーの、あの電気の方の、営業所の建物のワンフロア―を借りてたんですよ。ワンフロア―の半分くらいが事務所で、後半分くらいが倉庫だったんですね。大体日曜日は誰も来てないから、何でかなぁ私は休みの日には必ず営業所行ってた。倉庫行くと、新譜から何から山積みしてある訳ですよ。
スー)また、体調ダウンでした?
若)その頃はそうでもない。
スー・ミ)ハハハ。
若)その頃はね、営業で頑張る!ていうアクティブな感じだったから。
スー)かなり敏腕営業マンだったって、書いてますね。
若)営業は結構大好きでね。(倉庫には)クラッシックからジャズから歌謡曲からなんでも全部あったし、オーディオも全部あるから聞き放題なんですよ。だからクラッシック聞いたりロック聞いたりずーっと聞いてる中で、マッシュマッカ―ンのこれを聞いて、これはもう絶対、日本人好みするから、まず売れるなって。
スー)アハハハハハッ。
若)自分で勝手に思い込みましたよね。
スー)日本でマッシュマッカ―ンは、多分若松さんがいないと何にもスポットが当たらない状況ですよね。
若)まあ、そこまで言い切れないかもしれないけど、とにかく誰もまだ見向きもしない時に、私が自分で絶対売れると。自分でレコード店へ持ってったから。で、そのレコード店の中に、当時あちこちに置いてあるジュークボックスに、レコードを卸してる店があったんですよ。
そのレコード店は自分の所でレコードを売るだけじゃなくて、たくさんのジュークボックスに持ってくから、5枚10枚じゃなくて、100、200、300枚とかドーンと取ってくれる訳。スー)ハハハハハッ。
若)それでね、当時200枚だったかな、注文貰って。2枚3枚貰うのも大変なのに、突如200枚とか。担当ディレクター誰だったかな?電話来て「凄い数来てるんだけど、どうなったの?」って逆に聞かれて。
スー)ハハ「『霧の中の二人』が200枚行ってるぞ」って。ハハッ。
ミ)そこで口コミが全国に広がってく。
若)そう。なんか大阪で凄い事になりそうだ、っていうんで。いやいや私この歌凄く好きだし、レコード店のオジサンに聞いてもらったら「協力するわ」ってドーンって取ってくれたんですよ、って話して。
スー)じゃ、大阪から火が付いて日本全国に?
若)一番初めは多分そっから話題になったんだと思うんですね。後は大阪で話題になってるから、これは全国的に仕掛ければね、広がって行くなって事で全体的にどんどんプロモーションかけて行ったと思うんです。
ミ)若松さんに一つお聞きしたいんですが、この『霧の中の二人』はどこが、日本人好みするなって思われたんですか?
スー)そうそうそうですね。
若)イントロ。
ミ)イントロ?。
スー)♪タラタラタラタラタララ~
若)あのイントロはね、ああいうサウンドはね、日本人好きなんですよ。
スー)ヒャハハハハハッ!
若)好きなの。で何で好きなのか言われてもわかんないんだけど、ああいうの、好きなのよ。
ミ)いやあ明確な答え。イントロだったんだ。
若)うん、イントロ。
スー)朝妻一郎さんは一時間半インタビューして、ヒットの常道、一番大事な所は何ですかって聞いたら「胸キュン」ですって。ハハッ。「胸がキュンとすることなんだよ、鈴木君」って言われて、あーそうなんですかと。(『霧の中の二人』は)あの、イントロですか。
若)凄いイントロだなあと思って。で、そのいいなっていうのがバーッと聞いて歌に入ってもずーっとその延長線なんですよ。イントロだけ良くって歌に入って「なんだこの歌は」じゃ、無かった。どんどん引き込まれてさ、グーッとイントロの延長で行く訳ですよ。あ、これはもう間違いないな、と思って、自分の独断でこれは売れますよと。
ミ)イントロ負けしなかったんですね。
若)ああそうそうそう。
スー)逆に言うと、イントロの印象も邪魔しなかったんですよ。イントロで掴んだモノをそのまま放さない。余計な事してない。だってイントロと歌メロ一緒ですからね。♪タラタラタラタラタララ~
ミ)これからのヒット作りにヒントになるかもしれませんね。イントロで掴んだまま行く。
スー)邪魔しない!。
若)昔の演歌とか歌謡曲とかね、大体作曲家の方がイントロ作ってたのね。今頃はアレンジャーがやるじゃないですか。以前は作曲家が全部作ってて、イントロもメロディーの一環なんだなっていうね。だから昔はイントロ聞くとね、あ、この歌は売れそうだな、って言うのがたくさんあるよね。
スー)あああああああ。
若)だからイントロ凄くいいよ、昔の歌って。
スー)なるほど。若松さんの凄い所ってのは、ネーミング・タイトルセンスって申しましょうかね。松田聖子の初期の曲とかアルバムタイトルはほとんど作ってらっしゃるっていう事ですよね。その前にキャンディーズ『哀愁のシンフォニー』っていうタイトルも若松さん作なんですね。
♪BGMキャンディーズ『哀愁のシンフォニー』
若)そう。これサンタナの『哀愁のヨーロッパ』。何か日本人好みのするメロディーだよね。あのサウンドっていうのかメロディーっていうのか。
スー)♪タッタラタラタタタ~
若)そうそうそう。で、あれがいい歌だなあと思って。『哀愁のヨーロッパ』ってタイトルもいいな、誰がつけたんだろうって「哀愁の」がずっと気になってたんですよ。で、このキャンディーズの曲、8時くらいからレコ―ディングするって言って、詞が出来てないんですよ。本人達が全部スタジオに入って、担当ディレクターが私と渡辺音楽出版の松崎さん。
スー)ああ有名な方、後にアミューズへ行かれる。
若)アミューズの社長になった。その松崎さんが現場へ出て、詞が出来てないから。なかにし礼さんなんだけど、西麻布の事務所へ行って「礼さん、今からレコ―ディングだから、もう出来ますよね」って言ったら「ああ出来てる、ほら」って持って来たんですよ。でタイトルも何にもない訳。
スー)タイトルが無い。フフッ。
若)で、「礼さん、タイトル、俺つけていいかな?」って言ったら「ああいいよー」って。
スー)アハハハハッ!「俺つけていいかな⇒いいよー」ってのも乱暴な話ですね。ハハハッ。
若)そう!礼さんってそういうトコ凄い乱暴で。「いいよ」って。なんで?とか絶対言わない訳。それで「哀愁の」があったし、キャンディーズだし『哀愁のシンフォニー』がいいかなって思ってタイトルにしたんですよね。
スー)かなりその言葉のセンスっていうか、そういう所に優れている方っていう感じが若松宗雄さんにはしましたね。
若)歌のイメージがありますよね、歌ってる人の個性がありますよね、そうするとその人がこの歌を歌ってる時に、一番は自分なりの映像が出て来るんですよね。勝手に。この人が
この歌を歌ってるっていう映像が出て来る。その映像が出て来るとその映像に合ったタイトルは何かな、って言う風に出て来る訳です。そうすると、調子が悪いと中々パッとひらめかない。ひらめかないんだけど、今ひらめかないからしょうがないなと思って。でも時間が過ぎて翌日になったりすると「あそっか、あの映像、あ、こんな言葉があるかな」って。昨日はひらめかなかった言葉が、今日になるとその映像の中からパッと出て来る。
スー)そん時に過去に聞いたサンタナ『哀愁のヨーロッパ』がスッと出て来て。
若)そう、それも含めてパッと出て来る。
スー)『哀愁のシンフォニー』はご自身で。それは映像があったんですね。『哀愁のシンフォニー』的な。
若)そう、勝手な映像ね。
ミ)映像に対してタイトルを付けてる。だから歌詞に必ずしも曲のタイトルが出て来る訳ではない。初期松田聖子さんの曲などそうですね。
若)ほとんど今でもそうですね。歌を作る時に必ず絵が出て来るんですよね。絵が見えて来ないと、中々、作品は具体的に進まないし、出て来れば大体その方向に向かって、ひたすら向かって行けばいい訳。
スー)MTVの先駆けですよね。ミュージックビデオの先駆け。
若)ああなるほどなるほど。
ミ)脳内にあるんですよねMTVが。
☆スタジオ
スー)いいですね。一回昔に戻って松田聖子の話にそのまま行かないのが、この番組ですよね。
ミ)ハハハ。大分それましたけど、若松宗雄さんがどういう風に音楽に向き合っていたか、には迫れましたね。
スー)もう私がノリに乗ってますね。このインタビューうるさいですね、インタビュアーが。マッシュマッカ―ンとかで興奮しちゃって。あれ、ホント流行ったんですよ。♪ピニャピニャピニャピニャ、めっちゃラジオとかでもかかって。4歳とか5歳でも覚えてますもん。
ミ)凄い!
スー)マッシュマッカ―ン大ヒットして。さっきの映像の話も含めて、ヒット作りの秘訣みたいなものを元々持ってたんでしょうね。
ミ)歌にタイトルを付ける感覚ではなく、浮かんだ映像にタイトルを付けるっていうのは面白いですね。
スー)そうそうそう。それはMTVの時代の先駆けとかいう感じもしますよね。さっきのなかにし礼の話、インタビューでは茶化してる感じですけど、若松君ならいいタイトルつける言葉のセンスを持ってる、ってわかってたんじゃないかと思うんですよね。
ミ)タイトルを付ける世界観を持ってるのはプロデューサーと、思っていたかも、しれませんよね。
スー)うーん、ですね。いよいよ松田聖子の話に戻りますけどいよいよ‘80デビューする訳です。その前年、あのヒット曲を作った小田裕一郎という作曲家がおりまして、ある’79年ヒット曲が、あのデビューのいくつかの曲に絡んでる話から聞いてみたいと思います。
☆インタビュー
スー)という訳で、先ほどの誕生した松田聖子がバーン!とのして来るんですけど。まずは同じ話になりますが『裸足の季節』ていうタイトルがいいな~と思うんですけど。これはどういうイメージで。
♪BGM松田聖子『裸足の季節』
若)これ、いいよねえ。
スー)アハハハッ!誰がつけたんでしょうねぇハハッ。
若)フフまぁ自分でつけたんだけどね。私は歌でも何でもそうなんですけど、着飾らない状態が好きなんですよ。
スー)着飾らない状態。
若)うん。化粧や着飾った見た感じの美しさじゃなくって、着飾る前の「素」の時に、どういう持ち味持ってんですか?っていうのがその人の本質だから、その人の本質がタイトルでも作品でも、本質があってそこに枝葉がくっついて行く。デビューだし新人だし素足の感じ。私も小っちゃい頃毎日裸足で飛び回って来たんだけど、そういうのがパッと浮かんで来たりするんですよね。あっそうかああいう何か、元気で誰にも気遣わないで、歌が伸びやかにみんなに届けばいいなっていう感じで『裸足の季節』にしたんですけどね。
スー)松田聖子さんが自著「もう一度あなた」で『裸足の季節』元タイトルが「ハイヌーンはあつく」ってタイトルだったって書いてあるんですけど、これは事実ですか?
若)事実。それは三浦さん(徳子・作詞家)がそういうタイトルで持ってきた。
スー)ハハ。もうちょっとぶっちゃけて言いますと、松田聖子さんは《「ハイヌーンはあつく」っていう変な曲名だった》って書いてます。まそれは一回置いといて『裸足の季節』で良かったですよね。ハハ。
若)いやあーまあ、三浦さんには申し訳なかったけど。
スー)いえいえいえ。
若)デビューだしね。デビューじゃなければ、ある程度の所まで行ってね作品もある程度形が見えてる時であれば、まだ「ハイヌーンはあつく」でも悪くはないんですよ。でも何にもない、これからスタートだって言う時にね、この子の、誰のスタートでもなくて聖子のスタートなんだっていう時に、やっぱり聖子らしさっていうのを感じた時には「裸足」じゃないかなって感じましたよね。
スー)ここの番組でも一回、エンジニアの内沼映二さんの事話していて、このレコーディング終わって「これはヒットするな」って内沼さんが言ったって。
若)そう。内沼さんが優れてるから、最後のミックスダウンだけ内沼さんに頼んだんですよ。あそこの東京タワーの所の、昔、日音スタジオって言ってた所。今はサウンドシティのスタジオになっちゃってるんですけど。そこでやって。内沼さんは意外とまとめるのが早いんですよ。まあ1時間位でまとめちゃうかな。で大体まとめて「若松さん聞いてくれる?」って言われて聞いて、ああいい仕上がりだなあって私も思ったら、内沼さんが。あの人とっても無口なのね、余計な事あんまり喋らない。「若松さん、この子売れそうだね」って一言言った。ああ。作品と歌声聞いて。「この子売れそうだね」それはもう、凄く。
スー)全シングルの中で、僕はかなり好きで、特に♪エクボの~の所。辛口で言葉が強くって野太く響き渡るあの声っていうのが唯一無二じゃないかと思いますね。
若)そうですね。あれが聖子の持ち味なんだろうねえ。
ミ)『裸足の季節』の時、どんな曲でデビューさせようかという時、若松さんが自然に頭の中に浮かんできた曲があったというお話が本にありましたが、サーカス『アメリカン・フィーリング』。
♪BGMサーカス『アメリカン・フィーリング』
若)そう、作曲の小田裕一郎さん。私もまだ音楽あんまりわかってなかったから、曲だけ聞いてね、この歌いいけど、誰作ってんだろと思ったら小田裕一郎さんの名前があった。ああこの歌はおしゃれだしわかりやすいしメロディラインも売れそうだな、って思って。
スー)さっきの嗅覚が働いた。
若)そう。やっぱりアイドルだけど甘口になっちゃうと普通になっちゃって立ち上がんないからね。サーカス『アメリカン・フィーリング』聞いた時に少なくとも、甘口っていう感じはしなかったよね。それは大村(雅朗)さんの百恵さん『謝肉祭』アレンジを聞いた時も。ああ凄い大胆で繊細で辛口で強くて凄いなって感じはしましたよね。
スー)辛口、キーワードですね。
若)辛口は大事じゃないですかね。
スー)辛口、っていうのをもう少し具体的に言うと?
若)具体的に言うとね、言葉がハッキリとリスナーの方に心地良く届くって事だよね。
スー)言葉が。
若)うん言葉が。
ミ)そうかサーカス『アメリカン・フィーリング』一語一語全部入って来ます。
若)はっきりしてるよね。
ミ)サビの開放感!本のここを読んでこの曲が聖子さんの曲じゃないかと思ったんですよ。
スー)ああ、次の『青い珊瑚礁』も小田裕一郎さんですよね。同じようにサビの開放感がある。
若)小田さんにデビュー曲やってもらったってのが、結果正解だったよね。聖子のバーッていう伸びやかな声と小田さんのサビの所でガーッって行くのが、上手くフィットしたって感じだよね。
スー)小田裕一郎さんがこんな感じでどう?♪あ~私の恋は~ってその場で歌ったとか?
若)そう、その場。
スー)ハハハッ。
若)あの人もねえ、遠慮なく何でもやる人だから。「若松さん、ちょっと今度の歌やるから、聞いてて」て自分で♪あ~私の恋は~ってやるから、「小田さんいいんじゃな~い。このまま行こうよー」ってね。
スー)ハハハハッ。何か周りは「いいじゃな~い」って人多いですね。
若)そう、物作り、物作りじゃなくても意外とそうかもしんないけど、やっぱり「いいんじゃない」ってのは、感覚的にパッと入って来るんだよね。「どうかなあ」じゃなくて、パッと針が振り切る。うん。振り切るから「いいんじゃない」って言葉になるけど、一見ねC調なイージーな感じするけど、そうじゃなくて、多分相当凄い事なんだと思うんですよね。
ミ)そこ掴めるかどうかなんですね。
若)そう、そこ掴めるかどうかなんだよ。
ミ)理屈探しちゃって違うんじゃないって手放しちゃう事も多いかもしれない。
若)そう、多い。
ミ)そっか、「いいんじゃない」って凄い事。
♪松田聖子『青い珊瑚礁』
☆スタジオ
スー)2枚目のシングル『青い珊瑚礁』。今聞いたら壮絶なボーカルだなあ。大ヒットしたからフツーになっちゃったんですけど、すっごいですよ。
ミ)はい、改めて聞くと。
スー)アルバム「SQUALL」は名盤だなあ、授業で聞いた方がいいですね、これ、全曲。
ミ)授業と言えばですねさっき、聖子さんの曲に聞こえたと言った、サーカス『アメリカン・フィーリング』中学1年の時合唱コンクールでクラスで歌ったんですよ。当時私、バスを歌ったんですけど、ちっともテンション上がらなかった。‘93の時、音楽の先生が「実はこれ松田聖子なんだよ」って一言添えてくれてたら、絶対テンション上がってたと思うんですよ!(※当時そんなラディカルな音楽の先生がいたかは疑問ですけど^^;)
スー)僕はこの本読んで『アメリカン・フィーリング』がそうだったんだと思って聞いたら、『青い珊瑚礁』との類似性はかなりありますね。♪ソド~シド~シド~♪ドレミシドシ~かなり近いですね。開放感だ。
ミ)プロデューサーとして面白い話をしてましたね。理屈より「いいんじゃない」ってのが大事だと。
スー)朝妻一郎さんも村井邦彦さんも若松さんも、みんなビジネスマンでクリエーターの両面持ってて、やっぱりね、いろんな意見を聞いて、多数決じゃなくって「いいんじゃない」で行くんですよ。
ミ)「いいんじゃない」キーワードだなと思いましたね。
スー)そして「辛口」フフフ。貴重な音源をお届けしてるっていう自負もあります。プレゼンと等もありますので、メールもお願いします。後半もっと凄いです、あの方とかあの方の話をしたいと思います。
ミ)いよいよあの人の話題ですね。
スー)えーえーえー。
【Ep.3へ続く】⇒