今必要な学びの多様性-通学以外の選択肢が増えると世界が変わる
日本の小中学校の不登校児が2021年を皮切りに急増しているそうです。
小中の不登校児童の数は全国で24万人を超えていて、
10年前と比較すると小学生で3.6倍、中学生で1.7倍増。
なお不登校の増加は9年連続で増え続けているとのこと。
9年連続と言うことは当然”コロナによる生活習慣の乱れ”なんかが
不登校の本当の理由でないことは明らかです。
むしろコロナによって受けた恩恵は多くあって、
今までの常識が「なんだこんなこと本当はしなくてよかったのか」と
多くの大人がこの数年で「物事を知る」よいきっかけになったほどです。
子供達はそんな不都合な真実を知ってしまった親の背中を見ていますから、
本音とは裏腹に何か大きなものを犠牲にしながら生きている自分の親を
尊敬するどころか、軽蔑の眼差しで見てしまう場面もけっこう多くあるんじゃないか?と、自分も娘を持つ親として
「不登校が普通じゃない」なんて言い切れる確かさは、
本当はどこにもない事に最近気付かされています。
さて、そんな複雑で生きにくい時代に
子供が「学校へ行きたきたくない」と言い出したら、
それは異常な事なんでしょうか?
自分の子供がもし明日同じような事を言ってきたら
私は親として何を言ってあげられるのだろうか?
親が願う子供の幸せって一体なんでしょうか。
実はよくよく突き詰めてみると、
結局は他の人と同じように「普通の人」であり続けて欲しい。
ただそれだけだったりします。
普通に学校に通って、普通に就職して、普通に結婚して。
永遠の普通を子供に対して願っている訳ですよね親って。
そんな「普通」を普通だと思い込んでいる親や
大人達が作り上げた社会の中で、
不登校で行き場を失っている子供達を、本当の意味で理解し
救える人はどれだけいるのでしょうか。
特にマイノリティな学び方になかなか移行できないでいる親世代は
とにかく1日でも早く学校に戻れるよう、みんなと同じようにせめて高校までは行ってもらいたい。
そんな思いが子供には鬱陶しいほど伝わっているのです。
運よく教育を受ける機会に恵まれた国々では、
「学校に行くのは当たり前で不登校は甘えだ」なんて思い込んできましたが、コロナ以降、通学する事が当たり前ではなくなりましたよね。
仕事も同様に、エッセンシャルワーカー以外の一般職のほとんどは、
在宅ワークで普通にお給料を頂いていましたし。
戦後から今日までずっと社会ではミーティングと言う方法でしか
他者とのコミュニケーションを図る手段を組織の中ですら
見つけて来なかったし、
学習と言う学びの手段も通学と言うスタイルでしか
築いて来なかった。
実は社会も学校もほぼ一択の狭い世界で誰も何も疑わずに
生きてきたんです。
これって実は極めて不自然で多様性が求められる現代に、
とても不釣り合いな在り方だと思いませんか?
学びだってある程度の年齢になったらオンラインでいいんですよ。
いつまでも受動的な通学スタイルを続けなくても、
学びはもっと能動的に攻めたほうが身につきます。
会社だって勤務地を固定される事なく
好きな場所で働ける権利がそれぞれの社員にあるはずなんです。
この選択肢の広げ方は、
実は既にマイノリティな生き方に移行されている人達が
とっくに昔からやっている事なんですが、
これがなかなか上手く出来る人が少ないのも事実です。
それはなぜかと言うと、やっぱりマジョリティの方が安心だし
人と違う生き方は怖いからです。
毎年増加し続けている不登校の課題についても、
不登校児を問題視するのではなくて
むしろ、不登校の子供達が何か新しい世界の選択肢を
示しているのかもしれないな?そう思えたら見えてくる世界も、
準備する学習インフラや予算も180度変わってきます。
不登校は通わせようと大人が子供に抗うから問題になっているけれど、
学校に通わなくても、
学びの機会はオンライン上にもあるし、
フリースクールの存在がいわゆる国に認可されている一条校よりも劣って思えるのは、ただの錯覚なんだと思います。
普通じゃない、メインストリームから少し外れただけで
将来が絶たれてしまう。
そんな社会なら、はなからそこには未来などありません。
我が家の娘達には高校からはオンラインスクーリングを希望していますが、
数年後、今よりももっと多くの学びの選択肢が増えている事を切に願いつつ
不登校や生きるのが苦しいと悩む子供達に対して、
どうかネガティブな視線を浴びせないで欲しいです。
なぜなら、私が、そしてあなたが正しいと言える
「過去の経験から繋がる確かさ」はどこにも存在しないからです。
グレイス