男性リーダーとそれを囲む女性という構図が苦手な件 〜 お金とパートナーシップの関係①
前回、こんなことを書いた。
わたしは、これを書いたときには同性である女性ばかりを想定していた。
そして、そういうひとはもう目の前に現れなくなったなと思っていた。
けれど。
まさか。
まだ、いるじゃないか。
そう気づいたのは、古い記憶が蘇ったときだった。
現在目の前にある景色は、過去の焼き直しだとわかった瞬間。
いつも、うまくいかない。
そう思いながら、グループを出ることは何度かあった。
主宰者は100%男性で、何かを学ぶ集団。
「がっかり」から始まり、「呆れ」を通り越し、「もういいや」で終わる。
大体は、矛盾だ。
そういう集団の主宰者は「先生」とか言われる立場にいて、イベントや講座などで、綺麗事を並べ立てて、高い料金をとる。
綺麗事、そう感じてしまうのは後になってからのこと。
最初はもちろん素晴らしい、とその価値を感じてグループに参加する。
立場を利用して、スタッフの女性から ” 性 ” や " 労働 " を搾取している。
グループでの活動に慣れてくる頃、そんな現場に居合わせてしまうとき、「あぁ、まただ」そう感じる。
ものすごく料金が高くても、その価値があればいい。
綺麗事もご本人が実践されているのであればいい。
スタッフに手を出すのも、合意なら他人がとやかく言うことじゃない。
けれど、自分で言っていた綺麗事を自分の怪しげな行動でひっくり返す。
わたしはそんな「先生」に賛同できなくなっていく。
「先生」には、ただの男性以上に責任感を持って欲しいと期待してしまう。
こういうことが起きているとき、周囲の人間関係はごたつき、女性同士のマウンティングが始まったりする。
女性の裏側をわかる男性などほとんどいないし、そういう意味で女性を管理できる男性などいない。
けれど、「先生」は管理できていると思っている。
先生との仲のよさが、そこでできることにモロに影響を与える。
分かって収拾できるならいいが、「先生」は大体できないしそもそもやろうとはしない。
この辺で気づく。
たぶん、「先生」にはやりたかったことなどありはしない。
さらなる高みなんて目指していない。
ただ、「モテたかった」「ちやほやされたかった」だけで、それはもう達成されているのだと。
気づくとさらに体はひけていて、頭は冷静になり、心が冷めていく。
一応、本人に忠告してみたりしたこともあるけれど、そんな「先生」をするような男性はプライドが高く聞く耳を持たない。
(忠告、というのはその業界でのその状況は逮捕があり得たからだ。)
集団に所属し続けることは、目の前で起きていることに賛同することであり、受動的な加害者になってしまうことになる。
やだな、と思う。
「やりたかったこと」はもうここにはない。
かくして、集団から離れることを選択する。
ある日、ふと気がついた。
この図式は家族の焼き直しだと。
男性リーダーは父、それを取り巻くの女性たちは母と姉。
わたしは目の前の光景に、かつての家族を投影している。
長くなったので分けます。
続きます。