いつか天の御国で
またお一人、信仰の師が天国に旅立たれました。
私たち信徒にとって、いつもそこにいてくださることが当たり前だった、強くて揺るぎない、頼れる指導者。
本当はしんどいことや大変なこともきっと山ほどあったはずなのに、沈んだお顔や自信を失って元気がないようなお姿を、一度も見たことがなかった。
そんな、教職者としてのまっすぐな姿を、いつもいつも先頭に立って自ら見せてくださる気骨のある、大きな大きな存在でした。
長く私たちの教会をリーダーとして力強く牽引してくださっただけでなく、私たちの教会が属する教団の理事も務め、戦後の日本のキリスト教宣教に強い使命を負われ、本当なら父親としておじいちゃんとして、当たり前のご自分の幸せを追求しても誰にも怒られないのに、ご自身のことはいつも後回し。
病床にあっても最後まで私たち信徒のことを気にかけ、祈り続けていてくださいました。
いつもいつも神様を第一に、私たち信徒一人一人のことを、本当の我が子のように、弱っている時には励まし、そばに来て寄り添ってくださり、時には叱咤激励してくださる、私たちの本当の父親のような存在でした。
山間部から2時間近くかけて教会に通っている私のことを心配してくださり、「今日は雪は大丈夫だった?」「道路は凍ってなかった?」といつも声をかけてくださいました。
姉夫婦や私たちの結婚式の司式を始め、子どもたちの献児式や幼児祝福式、我が家を建てる時やお墓の落成式には、遠路はるばる駆けつけ、数年前には母に洗礼を授けてくださいました。
個人的にも家族としても、本当にたくさんたくさんお世話になりました。
20代の頃には人生の大きな選択を前に押しつぶされそうになり、突然お電話して押しかけた私に付き合い、夜遅くまで2時間もお話を聞き、共に祈ってくださったこともありました。そんな時も嫌な顔一つせず、親身になって話を聞いてくださった先生。
あの時の温かな励ましのお声が、今でも耳に残っています。
一昨日のお別れの会では、昨年夏に最後に講壇に立たれた時のメッセージ動画が流れていました。
最後のメッセージの聖書箇所はヨハネ2章から「カナの婚礼」。
キリストの公生涯で最初の奇跡が行われた場所です。
動画から流れてきたのは、もうその後から教会に来れなくなるほどの重い闘病生活に入る人とは到底思えない、張りのある響き渡るような力強いお声でした。
おそらくもうご自分の命が長くないこと、このメッセージが最後になるかもしれないと覚悟しながら、私たち信徒を叱咤激励された先生のお声は、まさにコリントの信徒を力強く励ました、パウロその人の声そのものでした。
Ⅱコリント6章1~2節
私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。
神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。
神の恵みを無駄にしないように、いつか天の御国で再会した時に、
「先生の後を引き継いで、私たちも一心に使命を果たすべく、己の道を全力で走り切りました。」
そう胸を張って言えるように、残りの人生を生きていきたいです。
長い間、本当にありがとうございました。