見出し画像

どんな民族でも僕は助ける

先月放送されたNHKスペシャル「どんな民族でも僕は助ける 杉原千畝の思いに触れる旅   祖父はユダヤ人を救った~ガザ攻撃と“命のビザ”~」

ご覧になった方はいらっしゃるでしょうか?

「東洋のシンドラー」と謳われる杉原千畝。
第二次世界大戦中に、リトアニア領事官の外交官として、本国からの停止命令を破り、自らののちの処分を覚悟しつつ、多くのビザを発給することでユダヤ人をナチス・ドイツから救い、国内外で知られている人物です。

(実際、千畝さんが脚光を浴びるようになったのはずっと後のこと。
戦後帰国した千畝さんは外務省の命令を無視したことで解雇され、民間の会社で別の仕事をしながらひっそりと生活を続けていました。)

今、その人道的な救命行為が間違っていたのではないかと指摘する投稿がSNS上で溢れているというナレーションが番組冒頭で流れ、
えー?一体全体どういうこと?
と思わず耳を疑ってしまった私。

そういう指摘をする人たちの理論は、下記のようなものでした。
(番組設定上、そういうセンセーショナルな出だしにしただけで、実際はそんな指摘をする人は、ごくごく一部だと信じますが💦)

杉原氏がユダヤ民族を助けたばかりに、イスラエル国家が、今国を挙げてガザを攻撃し、罪のない子どもたちを含む多くの血が流されることにつながっているのだと…

今回のNHKスペシャルは、連日のように続く、そういったネガティブコメントの数々に当惑している杉原氏の直系の孫である杉原まどかさんが、祖父の行った行為の意味をあらためて問い直すため、リトアニアの元総領事館やポーランドのアウシュビッツ強制収容所を訪ねる旅に出る、という内容。

アウシュビッツの死の門の前で、どうしても歩を進めることができなくなり、立ち止まり、涙を流し始めたまどかさん。

その思いが私にも押し寄せてきて、苦しくなりました。

しばらく気持ちを落ち着けた後、勇気を出して中に入り、展示室のガラスの向こうにある、うずたかく積み上げられた靴やかばん、衣類。
眼鏡や時計などの貴金属の山を、声もなく見つめ続けるまどかさん。

その苦しさが、テレビ画面を見ている私にも痛いほど伝わってきました。

ネガティブ画像などの情報が深く入りすぎて、いつまでもその残像を引きずってしまいやすい、HSP傾向のある私。
普段は怖い画像や残虐なシーンが流されそうになると即チャンネルを変えるのですが、この時ばかりは目をそらしてはいけないと、一人涙を流しながら、歯を食いしばって、頑張って最後まで見続けました。

人間は、いったいどこまでこんなに残酷に、無慈悲になれるのだろう。
そんな風に、絶望的な気持ちにならずにはいられません。

声を上げる猶予もないままに没収され、ガス室に送られた数えきれない命。
積み上げられた靴の中にはまだ2、3歳くらいではないかと思われるような小さなものもありました。

まどかさんは、生前祖父の千畝さんが言っていた言葉を思い出します。

「僕は何か特別なことをしたわけじゃない。ただ、人間として当たり前のことをしただけだ。」

「僕は、彼らがユダヤ民族だったから助けたわけじゃない。たとえそれがどんな民族だったとしても、きっと僕は彼らを助けただろう。」

迫害され、人権を蹂躙され、命を脅かされる対象が、何人であろうと、どこの民族であろうと、まっとうな精神を持った人間であったなら、目の前でその相手が助けを求めるのを、ただ黙って看過することはできないはずだ。

そう千畝さんは言いたかったのでしょう。

もし、千畝さんが今も生きていて、人と人が互いに血で血を洗うような殺し合いを続けている、この惨状を目にしたら、どんな言葉を紡がれるでしょうか。

赦せない思い、憎悪で一杯になると、人は視野が狭くなり、相手の苦しみに思いを馳せる余裕もなく、ひたすら我が身を守ることに集中します。

強固な民族主義=我が民族だけを守るという強い思いは、我が国、我が民族、我が家、究極は自分さえ良ければいいという、自己中心性につながっていきます。

では、どうすればこの地上から戦争がなくなるのでしょうか。

イエスは言われた、「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛せよ』。これが一番大切な、第一のいましめである。第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ』。」

マタイによる福音書 22:37-39

究極の愛は、敵を赦すこと。
自分自身を愛するように隣人を愛すること。
過去に自分や自分の家族、自分の民族が受けた傷をすべて水に流し、傷つけた相手を完全に赦し、愛すること。

それが実現できたとしたら、戦争だけでなく、あらゆる争いごとはこの地上からなくなることでしょう。

だけど、生まれながらに自己中心の性質を持っている私たち人間が、自分の力や努力だけでそれを実行に移すことは、ほとんど不可能に近い話です。

目の前で愛する家族や我が子を残虐な方法でもし殺されたとしたら、怒りのあまりダークサイドに落ちて、敵をめちゃめちゃにしてやりたくなってしまう。
ダース・ベイダーだけじゃない。
それが人間の、ありのままの姿です。

それでもイエス様は、そのほぼ不可能に近いことを、実行に移しなさいと言われるのです。

しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。
あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。
あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょにニミリオン行きなさい。
求める者には与え、借りようとする者は断らないようにしなさい。
『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。
また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。
だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。

マタイによる福音書 5:39-48

人間の力だけでそれを実現するのは不可能だけれど、神様の前にそんな罪深い我が身を赦してくださいと憐れみを乞い、こうべを垂れること。
私には到底不可能だけど、あなたの憐れみで、自分を傷つける目の前の相手に対する負の感情を消してください、どうか愛させてください。と祈ること。

それだけしか、方法はありません。

この世界の終わりが来るときには、全世界の許された人々が、そんな風にただ一人の主を見上げて、主をほめたたえる時が来る。

そう聖書には書かれています。

天国に国境はありません。民族の別もありません。
肌の色も、髪の色も関係なく、すべての人々は完全な主権者である神のもと、ただひとつの神の国の国民となる。

そんな世界が、いつか必ず実現するのです。