「私は忘れていない。」
旧約聖書に記されている、カインが弟アベルを手にかけた人類最初の殺人事件。
アベルの行方を問う神に「私は知りません。私は弟の番人なのでしょうか。」としらばっくれるカイン。神は答えます。
創世記4:10
「いったい、あなたは何ということをしたのか。声がする。あなたの弟の血が、その大地から私に向かって叫んでいる。」
以前の記事で触れたクリスチャン政治家の方が、なぜこの地域に自分は遣わされているのか、神に祈り求めた時に、上記の聖書箇所を示されつつ、
「この地で多くの血が流された。私は忘れてはいない。」
という神の御声をはっきりと聞き、大迫害の歴史に思い当たり、神様が自分を通してこの地でなされようとしていることに思い至ったのだそうです。
長くこの地に住んでいながら、「濃尾崩れ」(「崩れ」とは、1つの地域で大勢のキリシタンの存在が発覚し、その信仰組織が崩壊すること)と言われる、尾張・美濃地方で江戸前期に行われたキリシタン弾圧により、2000名近いとも言われる隠れキリシタンが処刑された歴史的事実があったことを、私は最近まで把握していませんでした。
クリスチャンでありながら、そういう人類の負の歴史に目を背けていてはいけないと思い立ち、「濃尾崩れ」の発端の地である可児市と、昭和50年代に偶然道路工事中にキリシタン信仰の遺物が見つかったことから、隠れキリシタンが壮絶な迫害を避けながら山間の村でひっそりと信仰を貫いていたことがわかったという、御嵩町謡坂を訪ね、祈りを捧げてきました。
カトリック名古屋教区本部により、この地で犠牲になったキリシタンを称えるために建てられた顕彰碑。
フェンスに囲まれ、入り口には鍵がかかっていて中に入ることはできませんでした。息子たちの野球の試合で度々通っていた球場のすぐそばにあるのに、こんな碑があることも、この地でそんな悲しい歴史があったことも、その頃は全く知りませんでした。
顕彰碑から歩いてすぐの小さなお寺、甘露寺。
「転びキリシタン」(厳しい拷問の末棄教・改宗した元キリシタン)を管轄していたお寺かと思われます。
明治期まで、親類縁者やその子孫に渡るまで、長い間村人から壮絶な差別を受けていたといいます。
中山道の宿場町の一つ御嵩宿の一角に建つ中山道みたけ館。一階が図書館になっていて、2階にこの地にまつわる多くの歴史的展示物と共に、隠れキリシタンが隠し持っていたと思われる小さな聖母マリア像や十字架陰刻碑などのキリシタン遺物が数点ガラスケースの中に展示されていました。
ただ純粋に信仰を貫いたというただそれだけの理由で、多くの血が流され、多くのかけがえのない命が、情け容赦なく失われたという悲しい歴史的事実が、この地にも確かにあったことを肌身で実感してきました。
この国ではクリスチャン人口がわずか100万人というマイノリティではあるものの、信仰の自由が許される現代に生まれたおかげで、迫害にあうことなく自由に祈ったり賛美したりすることが許されている私たち。
果たして、怖がりで根性なしの私が、もしこの大迫害の時代に生きていたら、たとえ命が脅かされても家族が苦しむとわかっていても、信仰を守り通すことができただろうか。
踏み絵を踏まずにいられただろうか。
だけど、一つ確かなことは、過去に流された多くの血を、一人一人の祈りの声を、神様は絶対に忘れてはいないということ。
彼らはただただ虫けらのように、意味もなく、無駄死にしたわけではないということ。
彼らの叫ぶ声を神様は確かに聞き、その御手の中に受け取ったということ。
現世では、つらく苦しいことばかりだったかもしれないけれど、彼らは今はもうすでに、天の御国で安息を得ているということ。
数年前に泣きながら見た、遠藤周作原作、マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙 SILENCE』の壮絶な迫害シーンを思い出しながら、そんなことを考え考え、帰途についた私だったのでした。
詩編 126:5~6
涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。
種入れを抱え 泣きながら出て行く者は 束を抱え 喜び叫びながら帰ってくる。