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3/29 キズナ 彼が教えてくれたこと

先日、キズナの記事をウマフリ様に寄稿させていただいた。時間の許す方はご一読いただければありがたい。

彼は、私の人生を大きく変えた1頭。

今でも思い出すのは、あのダービー。

今日はそんな彼の話を少し、個人的な事情も交えてしたいと思う。

2013年。キズナがダービーを制覇することになるこの年。中学生だった私は精神的に不安定な面があった。所属していた野球部の顧問が春から交替し、どうにも馬が合わず、段々と嫌われていく日々が過ぎていった。おまけにチームメイトともうまくいかずに腐っていく毎日だったが、土日の練習試合や練習が終わった後のひとつの楽しみが、自分の心を支えてくれていた。

そう、ほかでもない競馬である。毎週の重賞レースを予想して、動画を見て一喜一憂する…そんな週末が自分にとっては家族との会話以外で、心を癒してくれる唯一の時間だった。

そんな中で、自分に衝撃を走らせた馬がキズナだ。毎日杯を見た時

何なんだ、この馬は――!?

そう感じて、全身に鳥肌が立ったのを覚えている。もともと名前から注目をしていたのは間違いなく、ラジオNIKKEI杯でその名前から初めて目に入った馬だった。しかし2戦続けて負けた、ということから「弱いのでは」というなんとも浅い疑念が湧いてきていたのだが、そんなものを一瞬にして吹っ飛ばすような、そしてまるで父のような「飛ぶ」走り。

10代の生意気な少年は思った。「この馬がダービー馬だ」と。

そして、5月の皐月晴れが照らす府中で、強豪ぞろいのライバルを蹴散らし、キズナは飛んだ。

大外から父譲りの強烈な、しなやかな末脚で。

その走りに、武豊の復活に、人馬一体の「絆」に、涙した。

精神的に不安定な私の心を、強く揺り動かした。「ダメな時を、必死に耐えればいつかきっといいことがある、運命的な出会いがある。」と。

その後、結局顧問からは嫌われ通し、遂には先輩から任命された副主将の座すらクビにされるような人生をたどることになっても、絶対に部をやめる選択はしなかった。

それは心のどこかで、あの日本ダービーの景色が、武豊のインタビューの言葉が焼き付いていたからかもしれない。

「ぼくは、帰ってきました」と…

そして、向かった高校で人生の恩師とも呼べるような監督と出会い、野球を続けていてよかったと最後は思えるほど、大きく成長できた。

ひとりの馬や騎手が人生を変えるきっかけになるなど、妄言と思う方もいるかもしれない。だが私は、彼らを見ていなければ部活は中途半端にやめていただろうし、高校も別の場所へ向かっていただろう。

それほどまでに、キズナは強烈なインパクト、思い出を私に与えてくれた。

だからこそ私は、彼が大好きなのだ。

ありがとう。


※余談だが、父親の会社で開いていた馬券大会(ミスターメロディの記事で述べたやつ)での予想はこれ。

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ダービー馬だと思うなら、キズナの単勝に20000円ベットすればいいのに、ロゴタイプも切れてないこの当時から、勝負に行けない弱さが垣間見える。…小さい頃から何も変わっていない!!

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小早川涼風
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