夢(短編小説)
ときどき、見る夢の話です。
チームメイトたちは、さほど効果に期待もしていないストレッチをしたり、ピタピタのラップを剥がして小さくて冷たそうなおにぎりを齧ったり、せっせとエナメルバックから着替えを取り出したりしています。
その間、僕は誰にも話しかけませんし、話しかけられもしません。汗をぎりぎりかかない程度に、鳥肌もぎりぎり立たない程度に焦っているのです。
久々のスターティングメンバーで、最初は心を踊らせていたと思います。ここで活躍してやるって、意気揚々と。ただ、その威勢は僕の血の気とともに流れ落ちて、土埃に紛れていきました。自分の失態、スパイクを忘れてきたことに気づいたからです。
正直にそれを先生に告げようものなら、意識の低いやつは引っ込め。そう言われるに違いないから、僕は今できるだけ先生の目を見ないようにしています。先生にはメデューサのように目を合わせると相手を石に変えてしまうような力があったからです。そしてメデューサよりも厄介なのは、固まらされたそのあとで、なんでも白状させられるのです。だからたぶんみんな、メデューサよりも怖がっていたと思います。
チームメイトにも告白するのは憚られました。スパイクを貸して欲しい。と嘆願できるのは、補欠の選手にだけだからです。スタメンの親しいチームメイトは各々が自分のためにそれを履くのが当たり前で、スペアを持っているなんて、プロでもない限りあり得ません。
同級生に親が金持ちで新しいモデルが出るた度に買い替えているやつもいましたが、僕はそいつが好きではありませんでした。察しの通り、自慢が絶えないやつだったからです。それ以前にたとえ複数スパイクを持っていても、今この場に持ち合わせていることは考え難いです。グローブにスパイクに着替えに弁当、それなりの量をいつも持ち運ぶのですから、できるだけ無駄なものは持ってきたくないのは僕も同じですから。
もうあと数分で試合が始まります。このまましれっとウォームアップシューズのまま試合に望めないものかとも考えましたが、それもできません。僕らのチームはウォームアップシューズを白、スパイクを黒と統一していたので、バレないわけがありません。なんでそこで色変えるんだよ。と今更考えても仕方のないことを頭の中でぼやいているうちに、まもなくプレイボールです。
目覚めた時の気持ちは、勿論いいものではありません。ただ、ベッドの上の僕は夢の中のように特別汗をかいていなければ、それほどシーツもよれていません。ハッと目を覚まして。ガバッと起きるわけでもなく、ただただ起床します。
それが例えば、高校最後の夏の出来事だったとか、短いながら僕の人生において最も後悔していることだとか。そう言ったことならばトラウマになってそういう目覚め方をするのかもしれません。ただ、そうではない。
もっと言えば、上級生が卒業した後、僕はほとんどの試合を1回の表から7回の裏まで戦い抜き、バッターボックスでは器用にバントばかりしていました。地区予選は突破できるも県大会ではいつの間にか負けていたようなチームだったけど、あの三年間はなかなか楽しかった。先生もほどほどに厳しく、でも基本的には優しかった。そもそも僕は、中学までしか野球をしていません。これも中学時代の思い出、野球にはその程度の思い入れでしかないのです。
それでも僕がその夢を忘れそうな頃になって、ある程度同じような状況をまた夢に見るのは、どうしてでしょうか?
「どしたの?」
多分僕が不思議そうな顔をしていたからでしょう。もぞもぞと布団から顔だけを出した彼女が僕を上回るように不思議そうに小首を傾げました。
彼女はなぜ、朝になると裸を見せたがらないのでしょうか。つい数時間前まで投げ出していた脚も踊らせていた腰も、全てを巻き付けて芋虫みたいです。理由はなんとなくわかるけれど、それでも僕はなぜか面白くありません。ただ、寝ぼけ眼でひょこっと覗かせた顔は愛くるしいといつも思います。彼女が僕のものになればどれだけ幸せなことか。
彼女はそろそろ帰宅して旦那の相手をしなくてはなりません。
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