ようこそ 犬語の世界へ 番外編 狭間で...
緊急事態宣言中であっても保護収容される/されている犬猫には、そんなことは関係なく、同じことの連続の毎日であることは変わりはない。
行政はCOVID-19のことで職員の応援を他の部署に要請することになり、その皺寄せは当然収容犬猫になる。
「◯が犬舎に戻らず時間ばかりかかり、困っています」
「いつから...?」
「ここ数日のことで...」
「動画を撮っておいてください、その行動が起こる前々前々ぐらいから、棟に入る扉あたりから。◯曜日に行きます。」
保護収容された犬たちは朝9時に人間に会い、午後5時には人間がいなくなる生活をここを出るまで繰り返す。
または何かしらの天命であちらの世界へ旅立つ。
積極的な致死処分がなくなった行政施設の問題は、譲渡がなかなか進まない犬や譲渡不可の犬の存在がある。
譲渡希望に添わない、またはその犬を譲渡するにはそぐわない環境であったりするからだ。
そして犬たちは...
24時間のうちの8時間。
職員は他の仕事も抱える...
保護猫にはない、外の社会との唯一つながり“散歩”は保護犬のための欠かせないエンリッチメントのひとつだけれども、これがなかなか大変なことであるのは犬飼ならわかるはず。
犬舎にすんなり戻ってくれる犬もいれば、戻りたくないという犬もいる。
殆んどの犬は“おかえりコング”のことがあるので、割りと嬉々として犬舎に戻るのだが、1頭の犬がたまにストライキを起こすのだ。
在籍(収容)の長い犬は、つどつど行動的な問題を起こしやすくなり、そのために普段から低ストレスな環境や扱いを提唱している。
低ストレスな暮らしは犬の心理面から行動を安定させ、職員の仕事もスムーズに進むからだ。
殺されないなら幸せで、食うに困らなければ御の字だろうという人間側の想いは、犬に過剰なストレスを与えることになり、それが犬の攻撃的な行動を発現させることもある。
犬も猫も望んでここへ来たわけでない、このことはどの施設にも当てはまることで、救ってやっているから生かしているから、このぐらいの扱いで良いだろうは動物福祉という考えからは外れることになる。
致死処分から救うためには、少々の人側の事情をわかってもらおうなんてことは、期待してはいけないことなのです。
行動的な問題を起こしている犬のところにいくと、ストレスに曝されているという行動が観られる。
犬舎から出すと100年は会っていなかったというほどの歓迎をしてくれる。
本当に申し訳ないと思う。
ただでさえ、ストレスフルな環境にいるのにCOVID-19による規制が犬にも人にも影響を与えている。
美味しい物をねだる要求に素早く応え、要求されればいくらでも出す。
ガツガツな口が穏やかになる頃には犬は自らフセて寄り添いに来るし、自分でおもちゃ箱を覗き、なにかやろうと誘う。
誰だって、自分の要求にすぐに応えて、それを叶えてくれる人が大好きなはずだ。
犬も、そこは犬も同じなのに。
小一時間ほど遊び、時間に縛られる人間は君を犬舎に戻さないとならない。
案の定、途端に犬の行動が不安定になる。
好物やコングを入れても犬舎に自ら入るとはならない。
人の子なら言葉でもって諭せるならそうできるのだが、相手は犬。
物理的な物の助けを借りることになる。
リーシュをつけ、促す。
もちろん拒否される。
促す、
もちろん拒否される。
再び促す...
もちろん拒否される...それでもリーシュを思いきり引いて犬を放り込むということはしない。
促しながら首に刺激が入らないように最大の注意を払い、犬の動きにリーシュを合わせて退路を塞ぐ...
幾度かの繰り返しの後、犬は諦めたかのように犬舎に自ら入る...とびきり美味しいものが詰まったコングもいれる。
犬は何かを悟ったかのような眼をくれる...その眼に心から申し訳ないと思う気持ちが湧いてくる。
一連の犬舎に戻す人間側の行動を説明して、これをするのは極力避けてほしい。
できれるならば、犬が自発的に「入る」を選択するという行動を尊重してほしいと念を押す。
夕方の散歩の後はすんなり戻ったという連絡を受けて、私は安堵する。
とびきり美味しいものを入れたかと確認する。
犬のストレスが軽減され、これが再び正の強化につながるように願いつつ...
犬は「楽しいこと、美味しいこと」が、ずっと続くことを願っている...本当にそうだと心から思う。
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