【80年代MLBの世界へ】ホワイティ改革①〜暗黒期カージナルスをたった一人で常勝軍団へと変えた男〜
セントルイス・カージナルスの歴史を語る上で外せない人物、ホワイティ・ハーゾグ。暗黒期真っ只中だった70-80年代のカージナルスを僅か3年で、たった一人で強豪チームへと作り替えたその男です。
彼は一体何者なのか。そしてどのようにチームを作り変えたのか。その物語の最後にはとてつもないドラマが待っていました。
本シリーズ『ホワイティ改革』ではそんなチームの歴史が変わるまでの道のりを、リアルタイム感覚で追っていく実況形式でお送りします。
ぜひ先の展開を予測しながら、40年前にタイムスリップした気持ちで楽しんでいただけると幸いです。
①-1 苦難続きの選手生活
まずはタイムスリップする前の事前知識として、ホワイティ・ハーゾグという人物のカージナルス入団までの経歴を見ていきましょう。
MLBには多くの殿堂表彰者(Hall of Famer)がいますが、ハーゾグもその中の1人。しかし、MLBファンでも彼の名前を知っているという人は少ないのではないでしょうか。
ハーゾグは現役時代は外野手で、4球団(カージナルスには在籍せず)を渡り歩き634試合に出場。メジャー通算8年で414安打、25HR、172打点、打率.257という成績を残しました。最も打席数が多かったのは1年目だった1956年。そこからは主に控えの外野手としてプレーしました。よって選手としては"MLB殿堂入り級の活躍"をしたとは言えません。
つまり彼が殿堂入りするにあたって評価されたのは選手引退後の功績だったということです。
①-2 希望が見えた監督業
選手引退後はアスレチックスでスカウト(1964年)、コーチ(1965年)を務め、翌年はメッツでコーチ、その翌年には同球団のフロントに昇進します。そして1969年、「ミラクル・メッツ」と呼ばれたメッツはワールドシリーズを制覇。フロントとしてその手腕を評価されたハーゾグは、1973年にレンジャーズの監督に就任。しかし結果を残せず僅か半年でシーズン途中に解任。翌年はエンゼルスのコーチを務めます。
転機となったのは1975年。この年の途中からハーゾグはロイヤルズの監督を務めます。すると低迷していたチームの底上げに成功。ロイヤルズは地区2位となり、翌年から3年間は地区優勝を果たします。しかしポストシーズンでは初戦敗退が続き、地区2位となった1979年限りで監督を退任することに。
ただしハーゾグがロイヤルズで残した業績は球団やファンに高く評価されており、現在でもハーゾグの誕生日にはロイヤルズが誕生日を祝うツイートを投稿しています。
①-3 巡ってきた大チャンス
先程も述べた通りロイヤルズでのチーム内からの評価は高く、それは他球団も同様でした。1979年シーズンが終了すると、複数球団がハーゾグを新監督の候補にリストアップ。そんな彼が次のチームとして選んだのが、1980年6月に監督兼GMとして就任要請を行なったセントルイス・カージナルスでした。
1882年の球団創設以来、多くの名選手を輩出し強豪チームとして名を馳せてきたカージナルス。最初の黄金期、1930年代には機動力を用いて泥臭くプレーする様子が工場労働者に例えられた通称"ガスハウス・ギャング"が活躍。続く1940-50年代にはMLB史に名を刻むレジェンド、外野手スタン・ミュージアルが登場しチームの人気がさらに上昇。1960年代はエースのボブ・ギブソンや盗塁王ルー・ブロックの活躍で2度のワールドシリーズ制覇を成し遂げます。
しかし1970年代前半、ギブソンとブロックの活躍も虚しくチームは低迷。1975年に投手陣を率いてきたギブソンが引退、1979年に野手陣を率いてきたブロックが引退し、一時代の終焉を迎えます。
正捕手テッド・シモンズ、一塁手キース・ヘルナンデスなど多くのスター選手が在籍していながら、11年間地区優勝から遠ざかっていたカージナルス。そんな中で再建を託す新たな監督として選ばれたのがホワイティ・ハーゾグでした。
「さぁ、改革を始めよう」
ーホワイティ・ハーゾグ
①-4 1980年シーズン〜ファンに親しまれたチームを大解体〜
1980年6月に監督兼GMに就任したハーゾグは、ある程度チームの状況を把握した後、8月に監督を一時辞任しGMに専念。
こうして入団から約6ヶ月間で改革のプランを練ったハーゾグは、この年の冬から再建をスタートさせます。
*ここからは随時、チームのその時点での状況をお伝えします。補強ポイントが一目で分かるように、選手ランクは当時の総合成績を反映したSS,S,A,B,C,N(未デビュー)の6段階に割り振りました。またそれぞれを6,5,4,3,2,1点とし、戦力の合計数値を掲示します。
*()は年齢。成績は、(野手)打率/HR/打点/盗塁数、(先発)試合数/防御率/イニング数/勝敗、(リリーフ)試合数/防御率/セーブ数です。
ここからは時間の許す限り、選手の成績や実績を見て「ハーゾグはどのようなチームを作ろうとしているのか」を推理しながら、また「あなたが当時のGMだったら次の補強はどうするか」などと考えながら読み進めてみてください。選手名を覚えるというよりも、チームの補強ポイントを随時確認していくと読みやすいかと思います。
果たしてハーゾグのチーム作りにおけるいくつかの「テーマ」を見抜くことはできるでしょうか(明確な答えがあります)。そしてハーゾグが実行した改革は成功するのでしょうか。
それでは、1980年冬のメジャーリーグの世界を覗いてみましょう。
1980年シーズン閉幕時点
(80年オフFA選手は除く)
【現在の状況】
〔野手ベストオーダー〕
合計スコア:31 (スコア推移:- )
2B:B K.オバークフェル(24) .303/3HR/46/4
SS:A G.テンプルトン(24) .319/4HR/43/31
1B:S K.ヘルナンデス(26).321/16HR/99/14
C:SS T.シモンズ(30) .303/21HR/98/1
RF:S G.ヘンドリック(30) .302/25HR/109/6
3B:B K.リーツ(29) .270/8HR/58/0
LF:B D.オージ(30) .303/3HR/36/1
CF:C T.スコット(28) .251/0HR/28/22
〔野手控え〕
C:B T.ケネディ(24) .254/4HR/34/0
2B:C T.ハー(24) .248/0HR/15/9
UT:B L.デュラム(22) .271/8HR/42/8
〔先発ローテ〕
合計スコア:14 (スコア推移:- )
S P.ブコビッチ(27) 32G/3.40/222.1IP/12-9
B B.フォーシュ(30) 31G/3.77/214.2IP/11-10
C B.サイクス(25) 27G/4.64/126.0IP/6-10
C S.マルティネス(24) 25G/4.81/119.2IP/5-10
C J.マーティン(24) 9G/4.29/42.0IP/2-3
〔ブルペン〕
合計スコア:16 (スコア推移:- )
CL:A J.リトルフィールド(26) 52G/3.14/9SV
RP/SP:B J.カート(41) 49G/3.82/4SV
RP:B J.ウレア(25) 30G/3.48/3SV
RP:B K・シーマン(23) 26G/3.42/4SV
こちらが1980年閉幕後のベストメンバー。
シーズン中にLFスタメンが多かったボビー・ボンズ(バリー・ボンズの父)は結果を残せず在籍1年でリリースが確定的に。第二捕手テリー・ケネディは打力が売りの3年目の有望株で、正捕手にはシモンズがいるためLFでの起用もありました。
先発は絶対的エースのブコビッチと2番手フォーシュ以外は計算出来ない状況。リリーフは33試合でERA3.39と好調だったドン・フッドがFAで退団も、ウレアとシーマンの有望株2人は将来のクローザー候補。投打を比較すると投手陣がよりテコ入れが必要なように見えます。
さて、GMホワイティ・ハーゾグはこのチームをどのように"ホワイティ色"に染めていくのでしょうか。
そんな気になる改革の一歩目は、トレードではなくFA選手の獲得でした。
1980年12月7日(日)
【FA選手獲得!】
C:A ダレル・ポーター (28歳/10年目)
118試合/打率.249/7HR/51打点/1盗塁
補強一発目は、ロイヤルズからFAとなっていた捕手のダレル・ポーターを5年350万ドルで獲得。因みにこれがFAシステム導入以降初めてカージナルスが結んだ大型契約です。
「捕手の補強!?」と驚いた方も多いかもしれません。
それもそのはず、現時点でカージナルスにはチームの顔でもある正捕手シモンズと、打力が売りの有望株ケネディの2人のキャッチャーが在籍。キャッチャーは確実に補強ポイントではありません。
今回獲得したダレル・ポーターはブルワーズとロイヤルズで8年間正捕手を務め、ハーゾグのロイヤルズ監督時代の愛弟子だった選手。オールスターに4度選出されている一流キャッチャーであり、控えに置く選手ではありません。
またポーターは79年には打率.291/20HR/112打点とハーゾグ監督のもとでキャリアハイの成績を残すも、同時期に現役生活も危ぶまれるほどの薬物依存症に苦しんだ選手。80年には治療を受けたこともあり成績が下降しますが、そんな最悪のタイミングでFAとなったポーターに救いの手を差し伸べたのが恩師ハーゾグでした。
それにしてもキャッチャーを獲得とは、一体ハーゾグはなにを考えているのか。
そんな事を考えさせる暇もなく、ハーゾグは翌日に大型トレードを敢行します。
1980年12月8日(月)
【トレード成立!】
カージナルス⇔パドレス
カージナルス獲得:(合計スコア:14)
CL:SS ロリー・フィンガーズ (33歳/13年目)
66試合/ERA2.80/23SV/103.0IP
77年(35SV),78年(37SV)セーブ王
C/1B:A ジーン・テナス (33歳/12年目)
133試合/打率.222/17HR/50打点/4盗塁
75年(.255/29HR/87打点)ASG選出
RP/SP:B ボブ・シャーリー (26歳/4年目)
59試合(12先発)/ERA3.55/7SV/137.0IP
C:N ボブ・ゲレン (19歳/未デビュー)
79年ドラフトSD1位(全体24位)
パドレス獲得:(合計スコア:19)
CL:A ジョン・リトルフィールド (26歳/1年目)
80年カージナルスで新人ながらチーム最多9SV
C:B テリー・ケネディ (24歳/3年目)
打力が売りのカージナルス第二捕手
RP:B ジョン・ウレア (25歳/4年目)
シーマンとともに将来のSTLクローザー候補とされていた即戦力の若手リリーフ
RP:B キム・シーマン (23歳/2年目)
ウレアとともに将来のSTLクローザー候補とされていた即戦力の若手リリーフ
SP:C アル・オルムステッド (23歳/1年目)
デビュー後5先発でERA2.86、ローテ候補有望株
IF:C マイク・フィリップス (29歳/8年目)
63試合で.234/0HR/7打点の控え内野手
C:C スティーブ・スウィッシャー(28歳/7年目)
伸び悩む控え捕手、昨季は僅か出場18試合
なんと11人が動く超大型トレード。
カージナルスは80年のブルペンを支えたリトルフィールド、シーマン、ウレアの3人に加えて、期待の第二捕手ケネディ、先発ローテ有望株オルムステッドと将来が有望視されていた若手選手を大量放出。
しかし対価として、リーグ屈指のクローザーであるフィンガーズ、捕手兼一塁手として実績のあるテナスを獲得。先発とリリーフどちらも任せられるシャーリーも魅力的です。
しかしさらにその翌日、ハーゾグは誰も予測できない奇抜なトレードを実行し、一気にストーブリーグの主役へと躍り出るのでした。
1980年12月9日(火)
【トレード成立!】
カージナルス⇔カブス
カージナルス獲得:(合計スコア:6)
CL:SS ブルース・スーター (27歳/5年目)
60試合/ERA2.64/28SV/102.1IP
79年(37SV)サイ・ヤング賞&セーブ王,
80年(28SV)セーブ王
カブス獲得:(合計スコア:9)
3B:B ケン・リーツ* (29歳/9年目)
カージナルスの正三塁手(80年ASG選出)
UT:B レオン・デュラム (1年目/22歳)
新人ながら96試合で打率.271の有望株
UT:C タイ・ウォーラー (1年目/23歳)
80年デビューで5試合に出場の若手UT
レギュラー格2人を放出してまで獲得したのは、まさかのリーグNo.1クローザー、ブルース・スーター。前日に同じくリーグ屈指のクローザーであるフィンガーズを獲得したとは思えない動きです。
補強ポイントはまだまだ沢山あるにもかかわらず、大物クローザーを2名獲得したカージナルス。
"ハーゾグは頭のキレる策士"という認識は以前から広がっていたため、今回の動きに対しては「ハーゾグは他の誰にも思い付かない独自の計画でチームの改革を進めているのだろう」と球界全体から高い注目を集めたカージナルス。
そしてその僅か3日後、ハーゾグはカージナルスファンから猛批判を受けることとなる衝撃的なトレードを実行します。
1980年12月12日(金)
【トレード成立!】
カージナルス⇔ブルワーズ
カージナルス獲得:(合計スコア:10)
SP:A ラリー・ソレンセン (24歳/4年目)
35試合(29先発)/ERA3.68/195.2IP/12-10
78年(ERA3.21/280.2IP/18-12)ASG選出
SP:C デーブ・ラポイント (20歳/1年目)
5試合(3先発)/ERA6.00/15.0IP/1-0
OF:B シクスト・レスカーノ* (26歳/7年目)
112試合/打率.229/18HR/55打点/1盗塁
OF:N デービッド・グリーン(19歳/未デビュー)
かつてのR.クレメンテ(PIT)と比較されるほどのブルワーズNo.1有望株
ブルワーズ獲得:(合計スコア:17)
C:SS テッド・シモンズ (30歳/13年目)
"ミスター・カージナルス"と呼ばれるチームの顔
SP:S ピート・ブコビッチ (27歳/6年目)
直近3年間のカージナルスの絶対的エース
CL:SS ロリー・フィンガーズ (33歳/13年目)
4日前に獲得したリーグ屈指のクローザー
「あれ、右下のピッチャーついさっき見たぞ?」
なんとハーゾグは4日前に加入したばかりの守護神フィンガーズをトレード放出。さらに絶対的エースのブコビッチ、チームの顔であった正捕手シモンズ、まで放出しました。
情報が多いので一つずつ整理していきましょう。
まず守護神フィンガーズは、当初からトレードの駒としての獲得でした。同じくクローザーのスーターをカブスから獲得したのはそのため。
続いてエースのブコビッチの放出は、先発不足のカージナルスにとってはかなり痛手。このままでは先発1番手が今回獲得したレスカーノとなってしまいます。
そして最もファンの反感を買ったのが、正捕手テッド・シモンズの放出。シモンズはデビューから13年間で7度のオールスター選出を誇るまさにチームの顔。この時点で既にのちのチーム殿堂入りは堅いとされていた、セントルイスが誇るスーパースターでした。年齢もまだ30歳と若く、衰えの兆候も無し。ファン目線では放出する理由は一つも無かったわけです。
一方で対価として獲得したのはどんな選手たちだったのか。
即戦力はオールスター選出経験のある前年ERA3.68の先発ソレンセンと、GG賞獲得経験のある外野手レスカーノの2人。そして投打の有望株、先発ラポイントと外野手グリーンを獲得しました。
特にグリーンは球界最高の有望株の一人。
オフシーズンが開幕した当初、彼についてブルワーズのR.ポワトビント編成部長は「彼はウィリー・メイズの身体能力とピートローズの精神力を兼ね備えている」と発言。また同球団GMのH.ダルトンは「我々は彼の市場価値など考えたことすらない。(当時の主力である)ポール・モリターよりもトレードの可能性は低いと言っていい」と語っていました。
しかし先にトレード案を提示したカージナルス側(ハーゾグ)が「グリーンをパッケージに含めない限りトレードは行わない」と明言。結果、ブルワーズはグリーンの放出を決断しました。
このトレードだけを見ると現在でもよく見られる「再建」の動きに見えますが、パドレスとカブスとのトレードでは期待の若手有望株を大量放出しているためそれは間違い。
しかし全体的にトレードの意図が読みにくく、ハーゾグが次にどんな手を打ってくるかも予想できません。
これにて80年オフの補強及びトレードは終了。
それではここから約4ヶ月後、81年開幕直前のロースターを見てみましょう。
1981年シーズン開幕時点
【現在の状況】
〔野手ベストオーダー〕
合計スコア:29 (スコア推移:31→29)
*ハーゾグGM就任以降に加入した選手=⭐️
SS:A G.テンプルトン(25) .319/4HR/43/31
3B:B K.オバークフェル(25) .303/3HR/46/4
1B:S K.ヘルナンデス(27).321/16HR/99/14
RF:S G.ヘンドリック(31) .302/25HR/109/6
C:A D.ポーター(29) .249/7HR/51/1⭐️
LF:B S.レスカーノ(26) .229/18HR/55/1⭐️
CF:CT.スコット(29) .251/0HR/28/22
2B:C T.ハー(25) .248/0HR/15/9
〔野手控え〕
LF:A D.オージ(31) .303/3HR/36/1
C/1B:A G.テナス(33) .222/17HR/50/4⭐️
OF:N D.グリーン(20) 未デビュー⭐️
〔先発ローテ〕
合計スコア:14 (スコア推移:14→14)
B B.フォーシュ(31) 31G/3.77/214.2IP/11-10
A L.ソレンセン(24) 35G/3.68/195.2IP/12-10⭐️
C S.マルティネス(25) 25G/4.81/119.2IP/5-10
B B.シャーリー(26) 59G(12GS)/3.55/7SV⭐️
C A.リンコン(22) 4G/2.61/31.0IP/3-1
〔ブルペン〕
合計スコア:14 (スコア推移:16→14)
CL:SS B.スーター(27) 60G/2.64/28SV⭐️
RP:A J.カート(41) 49G/3.82/4SV
RP:C M.リッテル(28) 14G/9.28/2SV
RP:C J.オッテン(29) 31G/5.53/0SV
打線は正捕手がシモンズからポーターへグレードダウン。昨季セカンドでレギュラーだったオバークフェルはサードへコンバート。空いたセカンドには昨季控えの若手トム・ハーが入ります。正三塁手のリーツをカブスに放出したのはこの計画のためでした。ただしリーツは昨年オールスターにも選出された主力であり、こちらもキャッチャー同様弱体化感は否めません。
先発ローテは、昨季2番手のフォーシュが暫定エースに昇格。パドレスから獲得したシャーリーはリリーフではなく先発4番手に。5番手は有望株のリンコン。ハーゾグが「マイナーで最高の腕を持っている」と太鼓判を押す投手です。昨季ERA4.64で先発3番手を務めたサイクスは先発ローテ入りならず。
クローザーは当然ながら新加入のスーター。リリーフ3番手には2年前まで約4年間、球界屈指のリリーバーだったリッテルが入ります。ロイヤルズ時代の76年にハーゾグ監督がクローザーに抜擢し、キャリアが始まった選手です。復活なるか。
①-5 1981年シーズン〜予期せぬ大騒動〜
ハーゾグは再びGM兼任監督となり、1981年シーズンが開幕。するとチームは序盤から投打ともに絶好調。4月は開幕4戦目から8連勝、5月上旬には"ビッグレッドマシン"終焉期の強豪レッズに5連勝。地区1位を維持し続けます。
ただ常に好調が続くわけではないのが厳しいメジャーの世界。5月22日からのメッツ、エクスポズ6連戦では5敗を喫し、続くフィリーズ3連戦ではかつてのエース、S.カールトンに完投負けを喫するするなど痛い負け越し。それでも6月に入るとチームは再び調子を取り戻し、10戦で7勝。
"5月下旬の短期的な不調はなんの問題もなかった"と思われていました。
その考えは間違いなく正しいでしょう。
ただし、通常のシーズンであればの話です。
それはどういう意味か。実はこの年の6月12日に、FA補償に関する問題に猛抗議を続けていた選手会が突如ストライキを開始したのです。
このストライキは長引き、7月31日にオーナー側が折れてシーズンが再開するまで、50日間試合が行われませんでした。
ではなぜストライキと5月下旬の短期的な不調が関連しているのか。その理由を順を追って説明します。まずストライキ終了後の8月上旬、MLB機構はシーズンを前後期制に分けることを正式決定します。目的はストライキで失われかけたファンの熱量を取り戻すこと。
前提として、当時のMLBはア・リーグが7チーム×2地区(東西)、ナ・リーグが6チーム×2地区(東西)の計4地区26チーム。そしてこの前後期制では、各期地区1位の計8チームがプレーオフに進出することになりました(両期同じチームが優勝した地区は2位もプレーオフ進出)。
つまり極端な例を示すと、前期地区1位だったチームは後期0勝だとしてもプレーオフに進出することができるということです。
ではカージナルスはどうだったのか。
1981年シーズンのカージナルスは前期は30勝20敗でフィリーズに1.5ゲーム差の2位、後期は29勝23敗でエクスポズに0.5ゲーム差の2位。シーズントータルでは59勝43敗、これはナ・リーグ東地区で最も高い勝率でした。それにもかかわらず、僅かな勝ち星の差でプレーオフには進出できず。結果的に5月下旬の短期的な不調が命取りとなってしまったのです。
さらにはカージナルスはシーズン最終9戦で7勝。最終戦では首位エクスポズとの差が0.5ゲームに縮まるも、試合数が1つ少ないエクスポズに追加の試合日程は組まれず。よってこの年は、二期制なうえに同じ試合数で戦うことすら許されないという、何とも不公平な扱いを受けてしまいプレーオフを逃しました。
ちなみにカージナルス同様シンシナティ・レッズもシーズン勝率1位にもかかわらずプレーオフを逃すのですが、このシーズンにてレッズは約10年間続いてきた黄金期が終了。翌シーズンからはピート・ローズ監督が就任し、長い暗黒期に突入します。
果たしてハーゾグ率いるカージナルスも同じような運命を辿ることとなってしまうのでしょうか。
そんな訳で惜しくもプレーオフを逃したカージナルスでしたが、先程触れたように後期もチーム状態は安定して上向きでした。その理由は、ストライキが起こる5日前の6月7日にトレードで大物を獲得したため。かつてのブコビッチに代わるエースがセントルイスへやって来たのです。その詳細がこちら。
1981年6月7日(日)
【トレード成立!】
カージナルス⇔アストロズ
*成績はトレード時のもの
カージナルス獲得:(合計スコア:4)
SP:Aウォーキン・アンドゥーハー(28歳/6年目)
9試合(3先発)/ERA4.94/79.0IP/2-3
77,79年ASG選出
アストロズ獲得:(合計スコア:2)
CF:C トニー・スコット (29歳/8年目)
45試合/打率.227/2HR/17打点/10盗塁
2年間センターのレギュラーを務めるも成績が下降していたトニー・スコットとのトレードで獲得したのは、なんと2度のオールスター選出経験のある先発投手ウォーキン・アンドゥーハー。80年まではデビューから5年連続で110イニング&ERA3点台を記録していた大物選手です。
一体なぜあまり釣り合っていないように見えるこのトレードが成立したのでしょうか。
その理由はアストロズとアンドゥーハーの確執にありました。
アンドゥーハーは先発として2度目のオールスターに選出された79年前半戦に活躍を見せるも、後半戦序盤にやや不調に。すると当時のB.ビルドン監督はアンドゥーハーをブルペンへ配置転換。これに対してアンドゥーハーは「毎試合勝たなければいけないのは私だけだ。勝てなければブルペンに送られる。チームは私を忘れるんだ。今はただ自分がトレードされるかリリースされることを願っているよ」と発言。
そしてこの年のオフにFAのノーラン・ライアンと契約したアストロズは、アンドゥーハーをトレード市場に出します。これにパイレーツが興味を示し、3ヶ月に渡る交渉の末ベテラン外野手B.ロビンソンとのトレードで両チームが合意。しかしB.ロビンソンがアストロズのフロントに不信感を露わにしトレード拒否権を行使。結果、トレードは成立しないまま80年シーズンが開幕しました。
大型補強を敢行し、球団創設以来初の地区優勝が期待されたアストロズの80年シーズン。結果チームは下馬評通りに地区優勝を果たし、球団にとっては飛躍の一年に。しかしこのシーズンもアンドゥーハーにとっては辛いものでした。
春のキャンプではチームメイトから自分のロッカーにB.ロビンソンの写真を置かれる"笑えないイタズラ"を受け、開幕は先発で投げる機会すら与えてもらえずブルペンスタート。5月にはフィリーズへのトレードが決まりかけるも、対価となるはずだった選手がIL入りしまたも交渉決裂。翌81年もアンドゥーハーはブルペンに配属され、チームへの不信感から成績はさらに悪化。
こうして迎えた6月7日、ようやく念願のトレードが決定したのです。
こうして移籍したカージナルスで任されたのは、先発1番手のエースの座。燃えないわけがありません(炎上って意味ではなくて)。
移籍後は8先発でERA3.74。久々の先発ローテとあって大満足と言える成績ではないものの、期待して自らの獲得に乗り出してくれたハーゾグ監督の信頼を勝ち取ることには成功しました。
一方でそんなアンドゥーハーとは対照的にこのシーズン上手くいかなかった選手もちらほら。
一人目は新加入の正捕手ダレル・ポーター。
輝かしい実績をもつ名捕手も、チームの顔であったテッド・シモンズの後釜という重圧に押し潰された結果キャリアワーストの成績に。ポーターへの怒りは彼を入団に導いたハーゾグにも飛び火し、現地紙は「ハーゾグ史上最悪のトレードだ」とこき下ろしました。
現代で言い換えれば、全盛期のヤディアー・モリーナをトレード放出しその後釜としてFAで獲得した捕手が全くダメといった感じ。シモンズは守備面での貢献度は少なかったためモリーナ引退後のような投手崩壊は起こりませんでしたが、いずれにせよファンが怒り狂うのは当然のことでしょう。
続いて先発5番手ローテのアンディ・リンコン。
次期エースとも言われていた2年目の22歳は、最初の4先発でERA2.22と開幕から絶好調。しかし5試合目の登板となった5月9日、悲劇が起こります。
リンコンはこの日も7回まで無失点と好投し、打線も13得点と大量リード。続く8回、点差的には調整のために今季不安定な中継ぎボブ・サイクスを投入しても良かったのですが、ハーゾグ監督は続投を選択。すると先頭打者のP.ガーナーの打球がリンコンに直撃。このプレーでリンコンは右前腕を骨折し、負傷降板します。その後はリハビリを続けて8月にマイナーで復帰するも思うような投球ができず、リンコンはわずか5登板でシーズンを終えることとなってしまいました。
また中継ぎではロイヤルズ時代のような活躍が期待されていたリッテルが、結局復活することなくERA4.39(28登板)でシーズン終了。来季もあまり期待はできなさそうです。
そしてこの年には、成績とはあまり関係のないところで問題を起こした選手もいました。ショートのレギュラーを務めるギャリー・テンプルトンです。
ここでは1981年のカージナルスを象徴するこちらの事件を詳しく見ていきましょう。
①-5x テンプルトン狂騒曲
デビュー以来カージナルスのレギュラーショートストップとして活躍を見せてきたギャリー・テンプルトンでしたが、以前からその素行の悪さが指摘されていました。
79年にはオールスターに選出されるも、自身がスタメンでないと分かると急遽出場をボイコット。この時まだ23歳です。また他の日には、自身の給料についての不満を漏らす場面もありました。
そして迎えた1981年シーズン。この年は出だしは好調だったものの、5月に突然の大不振に。これを見たハーゾグ監督は「彼は四球も出せていない。現状の1番打者の最適解はトム・ハーだ」とテンプルトンの打順降格を命じます。するとこれを聞いたテンプルトンは憤慨。ストライキ直前の6月1日には「自宅のある南カリフォルニアの近くのチームに自分をトレードしてくれ。トニー・スコットと自分を、(同ポジションの)オジー・スミスとジーン・リチャーズと交換でパドレスへトレードすればいい。このチームにはもう疲れた」と現地紙のインタビューにて発言します。
実際トニー・スコットはこの1週間後にアストロズへトレードされるわけですが、この時点ではテンプルトン問題とはなんの関係もないため完全な巻き込み事故です。スコットはさぞ驚いたことでしょう。
それから2ヶ月後の81年8月。ストライキが終了して無事に後期が開幕しますが、相変わらずテンプルトンは怠慢プレーを連発。これにはファンのみならず一部のチームメイトも不満を募らせていたといいます。またある日にはハーゾグ監督に「ナイターの翌日のデーゲームは出場したくない」とわがまま発言。ハーゾグ監督は「疲れているのかもしれないが、どんな時でも試合には出なければいけない」と答えます(自身の著書『White Rat: A Life in Baseball』より)。それでもハーゾグ監督は何とかテンプルトンにやる気を出してもらおうと、後期は再び打順を1番に戻す試合も多くなっていきました。
8月26日、ナイターの翌日のデーゲームだったこの試合にテンプルトンは1番ショートでスタメン出場します。この試合は雨のため試合開始が1時間半遅れ、飲酒をして待つファンも多くいました。試合が始まり1回表は先発アンドゥーハーが無失点投球。そして1回裏、先頭のテンプルトンは空振り三振。するとキャッチャーはボールを弾きますが、テンプルトンは走ることすらせずにアウトに。この怠慢プレーにファンはブーイング。するとテンプルトンはファンに向けて中指を立て応戦。これを見た球審のB.フレミングはテンプルトンに警告を与えます。
この時のことを後にハーゾグは「自分が大金を払って見に来ているファンの一人だったら、同じようにブーイングをしていただろう」と回想していますが、一方で当時対戦相手だったジャイアンツの二塁手J.モーガンは「あの時点でテンプルトンを下げなかったハーゾグにも責任があると思う」と語っています。
続く3回裏、9番打者アンドゥーハーが三振に倒れネクストからベンチに帰ろうとするテンプルトン。すると白人のファン3人が近付き、黒人を揶揄するnワードを叫びます。これに対してテンプルトンは片方の手で中指を立てながら、もう片方の手で自らの股間を握り「Suck my d— !」と激昂。これを見た球審はテンプルトンに退場宣告し、同時にハーゾグ監督は「とっとと下がれ」と怒鳴りながらテンプルトンをベンチへ引きずり込みます。
この時の写真は当時の新聞にも掲載され大きな話題に。現在でもカージナルスのファンやメディアの間では時々話題に上がる一枚となっています。
「選手に対してあの時ほど腹を立てたことはなかった。ファンの前であんなジェスチャーをする選手は見たことがない。次のサンディエゴへの遠征には行かせない。彼を私の選手たちに近づけたくない。もし今後彼が大人になってファンとチームメイトに公の場で謝罪すれば、戻ってきてプレーできるだろう」と話したハーゾグ監督は、テンプルトンに5000ドルの罰金と無期限の出場停止処分を科します。
また同僚の捕手兼一塁手G.テナスは「奴は負け犬だ。全員に謝罪する勇気もないだろう。アイツは我々のチームには必要ない」と発言。
しかし当のテンプルトンは「ハーゾグ監督はあの時ファンが何を言ったか(=差別発言)を聞いていたはずだ。それに何人かの選手も聞いていた。それでも彼らは私を支持しなかった。あとは何も言わない。それが全てだ」と主張。これが2018年のインタビューの時の発言であることからも、本人がこの一件を未だに根に持っていることが伺えます。
この騒動を受けてブッシュオーナーは「あのクソ野郎を今すぐ追い出せ」と憤怒。しかしハーゾグは「今のところその必要はない。あれほど能力のある選手を私は見たことがない。彼は精神面で苦しんでいる」とし、テンプルトンは鬱病の治療でIL入りすることとなります。
こうして治療は進み、約1ヶ月後の9月14日。テンプルトンはチームに再合流し、約束通りチーム関係者に対して謝罪会見を行います。
テンプルトンは「私がファンに対してやってはいけないことをした。今はただ謝りたい。チーム関係者、ブッシュオーナー、全国のファン全員に謝罪したい。私は今後も薬を飲み続け鬱病を治していくので理解して欲しい」と謝罪。
この謝罪を受けて、騒動時には強い口調でテンプルトンを非難していたG.テナスは「彼は自らのプライドを捨てて謝罪した。自分の犯した間違いを認めた。それは称賛に値することだ」、T.ハーは「自分たちには謝罪の必要は無かった。彼はここに戻ってきて全力でプレーしたいと話した。それが聞きたかった全てだ」、D.オージは「彼が本当に傷付けたのは彼自身だ。我々は謝罪を受け入れ、可能な限り彼を助けなければならない」といずれもテンプルトンを擁護するコメントを残しました。
しかしのちにテンプルトンが「ビジターの選手たちからのほうがチームメイトより多くの歓迎を受けた。決して責めることはできないが、もっと多くのチームメイトが私を歓迎すべきだったと思う」と語ったように、当時のチーム内ではテンプルトンの復帰を良いように思っていない選手が多数派だったそう。当時の新聞では、先程コメントを残した選手を除いたほぼ全員が復帰反対派だったと噂されています。
それでもテンプルトンは復帰後は2番ショートとして9月は打率.386と大暴れ。その打棒でチームの快進撃を支え、見事に完全復活を果たしたのでした。
少し寄り道してしまいましたが、
再び81年レギュラーシーズン閉幕後へ時を戻しましょう。
「こんなのは不公平だ!」とMLB機構に訴えるのは、セントルイスの熱狂的カージナルスファン。
シーズンが閉幕しても怒りは収まりません。もしこれを読んでいるあなたがカージナルスファンであれば、同じような気持ちかもしれません。
そんな中で怒り狂うファンには目もくれずにトレードを模索し続けていたのは、今回の主人公ホワイティ・ハーゾグ。他球団の監督がオフシーズンを満喫する中、ハーゾグは一人GMとしての仕事に追われて大忙しです。
そして閉幕から僅か1ヶ月後の1981年10月21日、今オフ初めてのトレードが行われます。
1981年10月21日(水)
【トレード成立!】
カージナルス⇔ヤンキース
カージナルス獲得:(合計スコア:1)
OF: N ウィリー・マギー (22歳/未デビュー)
77年ドラフトNYY1位(全体15位)
ヤンキース獲得:(合計スコア:2)
RP:C ボブ・サイクス (26歳/5年目)
22試合(1先発)/ERA4.58/37.1IP
ヤンキースがドジャースとのワールドシリーズ第2戦を行っていたこの日。
カージナルスは今季リリーフに本格転向するも例年通りの成績と結果を残せなかった中継ぎボブ・サイクスを放出し、ヤンキースの有望株外野手ウィリー・マギーを獲得しました。マギーは81年ヤンキース傘下AA級で打率.316/24盗塁を記録し、外野守備も非常に上手な選手。ただし対価がサイクスであるのを見て分かるように、決して大物の有望株ではありません。一方のサイクスは若手の先発リンコンが打球直撃による負傷退場した際に「8回から投げさせておけば良かった」となっていたあのピッチャー。
ウィリー・マギーは入団2年目にスイッチヒッターに転向すると結果を残し、球団内では「彼は来季のAAチーム内の首位打者最有力候補だ」との声もあがるほどに。しかし翌年80年は7月に顎を骨折した影響で出場は78試合止まり(ちなみにこの年のAAチーム内首位打者はあのバック・ショーウォルター)。
またこの頃ヤンキースは同じくAAで両打の外野手であるT.ウィルボーンのほうがマギーより優秀だと考えており、トレードの候補者にもリストアップされるようになります。そして81年、マギーはウィルボーン、ドン・マッティングリーとともにAA級で結果を残すも、チームの戦力の構想外に。
そして81年オフ、マギーをルール5ドラフトで放出するのは勿体無いと考えたヤンキースは、カージナルスの中継ぎ右腕ボブ・サイクスとのトレードを決断。こうしてウィンターミーティング前のこのタイミングでトレードが行われました。
なおこの頃カージナルス以外にマギーを獲得しようとしていたチームは居なかったそうです。
前年にブルワーズから獲得したデービッド・グリーンに続き、さらに外野の有望株を獲得したカージナルス。それでもハーゾグは自らの理想のチームを作り上げるため、トレードを仕掛け続けます。
1981年11月20日(金)
【三角トレード成立!】
カージナルス⇔フィリーズ⇔インディアンス
カージナルス獲得:(合計スコア:4)
(フィリーズから)
LF:A ロニー・スミス (25歳/4年目)
62試合/打率.324/2HR/11打点/21盗塁
フィリーズ獲得:(合計スコア:3)
(インディアンスから)
C:B ボー・ディアズ (28歳/5年目)
63試合/打率.313/7HR/38打点/2盗塁
81年ASG選出
インディアンス獲得:(合計スコア:11)
(カージナルスから)
SP:S ラリー・ソレンセン (25歳/5年目)
23試合/ERA3.27/140.1IP/7-7
SP:A シルビオ・マルティネス (25歳/5年目)
18試合(16先発)/ERA3.99/97.0IP/2-5
(フィリーズから)
SP:C スコット・マニングホフ (22歳/2年目)
81年MLB登板無し
77年ドラフトPHI1位(全体22位)
カージナルスは先発2番手ソレンセン、5番手マルティネスを放出し、ロニー・スミスを獲得。いくらアンドゥーハーを獲れたからとはいえこれでは先発の頭数が足りなくなってしまいそうですが、昨季怪我で5登板に終わったアンディ・リンコンの復活に賭けるのでしょう。
今回獲得したロニー・スミスは80年に100試合で打率.339/33盗塁で新人王投票3位となった若手外野手。守備も上手く、レフトのレギュラーを任せることになりそうです。
そして年が明けた1982年2月、ハーゾグは2年間を要した改革の最後の仕上げに取り掛かります。
1982年2月11日(木)
【トレード成立!】
カージナルス⇔パドレス
カージナルス獲得:(合計スコア:10)
SS:A オジー・スミス (26歳/4年目)
110試合/打率.222/0HR/21打点/22盗塁
81年ASG選出 80,81年GG賞
SP:A スティーブ・ミューラ (26歳/4年目)
23試合/ERA4.28/138.2IP/5-14
SP:C アル・オルムステッド (24歳/2年目)
81年MLB登板なし
パドレス獲得:(合計スコア:12)
SS:S ギャリー・テンプルトン (25歳/6年目)
80試合/打率.288/1HR/33打点/8盗塁
77,79年ASG選出 80年SS賞
RF:A シクスト・レスカーノ (27歳/8年目)
72試合/打率.266/5HR/28打点/0盗塁
79年GG賞
RP:B ルイス・デレオン (22歳/1年目)
10試合/ERA2.35/15.1IP
このトレード、どこか既視感がありませんか?
そう、テンプルトンがチームに不満を募らせていた時期に例え話で登場したあのトレードが現実となったのです。
実はこのトレードは81年12月10日、ウィンターミーティング開幕日の時点で暫定的に成立していました。
しかし問題となったのはオジー・スミスが全球団へのトレード拒否権を持っていたこと。そんな彼はこのトレードにおいて「チームは移っても構わないが、来期年俸が現在の2倍の75万ドルになるまでは承認しない」と発言。しかし当時のカージナルスにとって75万ドルはかなり大きな金額でした。これにより一度はトレード交渉が決裂しかけますが、何としてもO.スミスを獲得したいハーゾグは再び代理人と交渉を続行。そして3ヶ月間の話し合いの末、O.スミスは当初の要求より低い年俸50万ドルで承認し、トレードが実行されたのです。
またO.スミスとともに加入したスティーブ・ミューラは、マルティネスの穴埋めとして先発ローテ入りが濃厚。若手先発オルムステッドは、序盤に紹介した守護神フィンガーズのトレードで先発の有望株としてパドレスへ移籍した選手。しかし昨季は結果が出ず、2年ぶりにカージナルスへ出戻りとなりました。
このトレードを終えたハーゾグは、理想のチームが完成したと判断。「もっとレジャーを楽しむ時間が欲しいんだ」と冗談を言い残しGMを退任。
監督業に専念します。
これにて82年開幕前の動きは終了。ハーゾグが作り上げた新生カージナルスの面々を見ていきましょう。
1982年シーズン開幕時点
【現在の状況】
〔野手ベストオーダー〕
合計スコア:34 (スコア推移:31→29→34)
*ハーゾグGM就任以降に加入した選手=⭐️
CF:A L.スミス(26) .324/2HR/11/21⭐️
2B:A T.ハー(26) .268/0HR/46/23
1B:S K.ヘルナンデス(28) .306/8HR/48/12
C:A D.ポーター(30) .224/6HR/31/1⭐️
RF:S G.ヘンドリック(32) .284/18HR/61/4
LF:A D.オージ(32) .327/2HR/39/2
3B:A K.オバークフェル(26) .293/2HR/45/5
SS:A O.スミス(27) .222/0HR/21/22⭐️
〔野手控え〕
C/1B:B G.テナス(34) .233/5HR/22/0⭐️
OF:C D.グリーン(21) .147/0HR/2/0⭐️
OF:N W.マギー(23) MLB未デビュー⭐️
〔先発ローテ〕
合計スコア:21 (スコア推移:14→14→21)
S J.アンドゥーハー(29) 20G/4.10/79.0IP/8-4⭐️
S B.フォーシュ(32) 20G/3.18/124.1IP/10-5
A S.ミューラ(27) 23G/4.28/138.2IP/5-14⭐️
A J.マーティン(26) 17G/3.42/102.2IP/8-5⭐️
B A.リンコン(23) 5G/1.77/35.2IP/3-1
〔ブルペン〕
合計スコア:15 (スコア推移:16→14→15)
CL:SS B.スーター(28) 48G/2.62/25SV⭐️
RP:A J.カート(43) 41G/3.40/4SV
RP:B D.ベアー(32) 35G/5.10/1SV⭐️
RP/SP:C D.ラポイント(22) 3G/4.22/0SV⭐️
打線は走って守れるWスミスを迎え入れ、中軸にはHRを狙える強打者が3人。正捕手ポーターを4番に据えているのは恩師ハーゾグ監督の期待の表れでしょう。先発ローテは新加入ミューラと打球直撃による怪我明けの有望株リンコンに期待。
最も心配なのはブルペンで、3年連続セーブ王の守護神スーター以外は計算できない陣容。カートは毎年安定した成績を残しているものの、今年43歳といつ投げられなくなるか分かりません。リリーフ3番手のベアーは昨年9月にトレード加入後、11試合で3.45と好投した選手。かつては78年に70試合でERA1.97の好成績を残しています。昨季はリッテルの復活に賭けて失敗しましたが、今季の復活枠であるベアーはどうなるか。リリーフ4番手ラポイントは80年オフのブルワーズとの大型トレードで獲得した有望株。先発とリリーフをどちらも試す見通しです。
ハーゾグ就任三期目のカージナルス、今季こそ"正真正銘の"地区優勝を果たせるでしょうか。
①-6 1982年シーズン〜ガスハウス・ギャングの再来〜
多くの大型トレードを行ったことと前年のチームが好調だったこともあり、下馬評は高かった1982年のカージナルス。
その前評判通り、チームは開幕直後に12連勝を飾るなど素晴らしいスタートダッシュをきります。
この原動力となったのは新加入の外野手ロニー・スミス。L.スミスは開幕16試合目時点で打率.343/3HR/13打点と絶好調。4月の古巣フィリーズとの5戦では計22打数10安打と打ちまくりました。
一方で5月時点で既に誤算続きだったのは先発陣。先発4番手マーティンは5月15日までの7先発でERA5.87と絶不調。また期待の先発5番手リンコンは昨年の怪我の影響で制球が定まらなくなり、5月は7登板でERA6.35。その結果2人はマイナーに送られ、開幕ローテ5人のうち2人が開幕2ヶ月で居なくなってしまったのです。
この緊急事態にハーゾグ監督は、今ST(スプリングトレーニング)で結果を残せずマイナーで開幕を迎えていたジョン・ストゥーパーを昇格させ先発ローテへ。5月28日に昇格するまで、AAAではERA1.46と好調でした。また残りの先発ローテもうひと枠には、ブルワーズからトレードで獲得した期待の若手デーブ・ラポイントを起用。今季開幕時点ではリリーフ4番手となっていましたが、元々先発として試す予定でもあったためこのタイミングで初のローテ入りとなりました。2024年現在のカージナルスで言うところのザック・トンプソン枠です。
こうして6月から先発ローテに入ったストゥーパーとラポイント。その結果、ストゥーパーは23試合に登板(21試合先発)しERA3.36と安定した投球で最終的には先発3番手にまで昇格。一方のラポイントも先発21試合、中継ぎ21試合でERA3.42と状況に応じた起用でチームの便利屋として見事な働きぶりを見せてくれます。
シーズンの後半は再びラポイントに中継ぎを任せることも多く実質4人ローテとなりましたが、この2人の活躍が崩壊しかけた投手陣を救ったのです。
またここで気になるのはラポイントを先発起用していた時期のリリーフの穴埋め問題ですが、これはそのぶん守護神スーターが投げまくるという力技で解決。当時のクローザーは3イニング回跨ぎも当たり前であり、ほぼ1人で勝ちパターンを担っていました。スーターは毎試合のように圧巻の投球を見せ、この年4年連続となるセーブ王のタイトルを獲得。
一方の打線は6月以降も軒並み好調を維持。
ヤンキースから獲得した有望株外野手ウィリー・マギーは、出場47試合目時点で打率.349と大暴れ。またブルワーズから獲得した有望株外野手のデービッド・グリーンも8月中旬までは打率.340超えと、ハーゾグ自慢の若手が大当たり。
そしてこの時のカージナルス野手陣の特徴は、走って守ること。実はハーゾグのカージナルス改造計画の根幹にあったのはこの「走」と「守」であり、過去の補強も思い返せばこれらが得意な選手ばかり。マギーにグリーンにL.スミスにO.スミス...これまでハーゾグの強い希望で獲得してきた選手達は見事にこの特徴が当てはまっています。
これが前半部分でお話しした、ハーゾグのチーム作りにおける「テーマ」の正体です。
攻撃はヒットで出塁するとすぐさま盗塁をしかけ、ゴロや犠牲フライで得点。送りバントやスクイズも多用。そして守備ではどのポジションも隙がなく好守でアウトを奪っていく。
これこそがハーゾグ流の野球であり、いつしかこの戦法は「ホワイティ・ボール」と呼ばれるようになりました。
この独自の戦術"ホワイティ・ボール"がハマったチームは、後期に入っても首位をキープ。終盤はフィリーズとの一騎打ちになりますが、9月中旬に怒涛の8連勝。この期間に2位フィリーズと3ゲーム差が付き、念願のナ・リーグ東地区優勝を果たしました。
それでは82年レギュラーシーズン閉幕時のロースターを見てみましょう。ついに完成したハーゾグ理想のチーム。各ポジションのスコアは最初に比べてどれほど変化しているのでしょうか。
1982年シーズン閉幕時点(プレーオフ前)
【現在の状況】
〔野手ベストオーダー〕
合計スコア:37
(スコア推移:31→29→34→37)
*ハーゾグGM就任以降に加入した選手=⭐️
2B:A T.ハー(26) .266/0HR/36/25
3B:A K.オバークフェル(26).289/2HR/34/11
CF:SS L.スミス(26) .307/8HR/69/68⭐️
1B:S K.ヘルナンデス*(28) .299/7HR/94/19
RF:S G.ヘンドリック(32) .282/19HR/104/3
C:A D.ポーター(30) .231/12HR/48/1⭐️
CF:A W.マギー(23) .296/4HR/56/24⭐️
SS:S O.スミス*(27) .248/2HR/43/25⭐️
〔野手控え〕
C/1B:A G.テナス(34) .258/7HR/18/1⭐️
OF:A D.グリーン(21) .283/2HR/23/11⭐️
LF:A D.オージ(32) .294/0HR/34/0
〔先発ローテ〕
合計スコア:23
(スコア推移:14→14→21→23)
SS J.アンドゥーハー(29) 38G/2.47/265.2IP/15-10⭐️
S B.フォーシュ(32) 36G/3.48/233.0IP/15-9
A S.ミューラ(27)35G/4.05/184.1IP/12-11⭐️
A J.ストゥーパー(25) 23G/3.36/136.2IP/9-7
A D.ラポイント(22) 42G(21GS)/3.42/152.2IP/9-3⭐️
〔ブルペン〕
合計スコア:19
(スコア推移:16→14→15→19)
CL:SS B.スーター(29) 70G/2.90/36SV⭐️
RP:S D.ベアー(32) 63G/2.55/8SV⭐️
RP:A J.カート(43) 62G/4.08/2SV
RP:A J.ラーティ(25) 33G/3.81/0SV⭐️
ここでは"ホワイティ・ボール"の特色が顕著に出ている成績をいくつか紹介します。
まず盗塁数は、L.スミスが自己最多の68盗塁を記録するなど二桁盗塁が7人。チーム盗塁数200は両リーグ最多の数字です。守備では1Bヘルナンデスが5年連続、O.スミスが3年連続のGG賞受賞。そのほかの選手もシーズンを通して堅実な守備力を発揮し、奪三振率リーグ最低の"打たせて取る"投手陣を援護しました。
そして最も注目されたのは、パワー面を完全に捨てたあまり、20HR到達者が誰一人いなかったこと。チームの合計HR数はわずか67。いくらホワイティ・ボールがハマったとはいえ貯金22を疑いたくなるような数字です。
隙あらば走り、守備では常に打球に飛び込み、泥臭くプレーする。1982年のカージナルスは、いつしか"ガスハウス・ギャングの再来"と呼ばれるようになりました。
①-7 リーグ優勝。そして最終決戦へ
1982年10月7日、プレーオフが開幕。
この頃のプレーオフは各地区優勝の計4チームのみが参加し、3戦先勝のCSに勝利すればワールドシリーズに進出できるというシンプルな仕組み。
そんなプレーオフ初戦、NLCSの対戦相手はアトランタ・ブレーブス。カージナルスには今季7勝5敗と勝ち越しています。
ブレーブスは開幕前の下馬評こそ低かったものの、開幕13連勝で勢いを付けるとドジャースとのデッドヒートの末最終戦で地区優勝。打線は今季MVPデール・マーフィーとボブ・ホーナーの大砲2人が存在感を発揮し、投手陣は43歳ニークロが自慢のナックルボールを駆使して17勝。ドジャースと比べると戦力は遥かに劣るものの、日替わりWクローザーを採用するなど独自の采配を貫いたジョー・トーリ監督の手腕が光りました。
そんな強豪ブレーブスとの戦いは接戦が予想されるも、結果はカージナルスが無傷の3連勝。
ブレーブスは優勝争いが最終戦までもつれた疲れが出たのか、4,5,6番が3試合合わせて2安打と打線が繋がらず。一方のカージナルスは正捕手ポーターが打率.556に盗塁阻止2回と大活躍で満場一致のシリーズMVP。またシーズン4HRのマギーにはHRが出るなど打線はシーズンの勢いそのままに絶好調。第2,3戦は守護神スーターを投入し、ワールドシリーズ進出を決めました。
ここから中1日で始まる1982年のワールドシリーズ。その対戦相手は...
なんと前年にカージナルスが主力3人をトレードで送った放出先の、ミルウォーキー・ブルワーズです。
この年のブルワーズのエースは今季サイ・ヤング賞を受賞したピート・ブコビッチ。4番打者は正捕手のテッド・シモンズ。そして守護神はロリー・フィンガーズ。
ご存知の通り、主力選手は皮肉にも昨年のトレードでカージナルスが放出した選手たち。
果たしてあのトレードは成功だったのか失敗だったのか、全てはワールドシリーズの結果次第。
ホワイティ・ボールの集大成、1982年ワールドシリーズが幕を開けます。
(後編へ続く)
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