依存症患者の家族になって③
依存症家族の会。私の行っていた会は、家族支援専門の先生主催の会でした。依存症問題を抱える人の家族が集まり、「この1か月どう過ごしてたか」「今回何を感じたか」など、1人ずつ話す場面も多い一方で、専門の先生からの助言もあり、テキストを使った学びもある。
こういう会、なんか前にもどこかで…と思ったら!そう、双子の会でした🤣これこれ!同じ悩みを抱えた人が集まり、あーでもないこーでもない、言いっぱなし聞きっぱなしの原則の元語り合って、癒されて帰る。これはどんなトピックでも成り立つのだなあと思いました。
しかし私は例によって、「うまくまとめて話せるか」とか、「話が脱線しないか」とか、また持病の"ちゃんとしたこと話さなきゃ病"がしっかり発動し、お利口さんぶっておりました笑
でもそれでも毎回疲れつつ癒されました。そして先生のコメントから、気づきと学びをたくさん得ました。今考えると、これらは依存症の家族としてではなく、人と関わること全般に役立つものだったと思います。
一年ほど通ったこの会で1番心に残った言葉。それは、
「依存症の本人に、家族ができる1番の支援とは…?それは、「本人にこうなって欲しい」と思う生き方を、家族自身がすること。」
あー…本当にそうだなぁと思いました。私が弟に求める理想は…心身共に元気で仕事をして、公私共に良好な人間関係を築き、適度に頑張り適度に癒され楽しく生きてほしい。
そういう生き方を、果たして自分はできているのか?答えは、NOでした。なぜなら、弟や家族の問題で押しつぶされていたから。
でも、ここで初めて、自分と家族の間に境界線を引く、ということを学べた気がします。これまで、お互いに依存し合う家族で育った私は、家族の問題は自分の問題、というような謎のAll for one精神がありました。でもここで、弟の人生は彼のもの。私の人生は私のもの。と考えられたことで、彼がうまくいっても、いかなくても、それは自分の生活に影響しないのだと割り切れるようになりました。
ところで、最近になって読んだブレネー・ブラウンさんの子育てに関する記載に、同じような話があり驚きました。子供にどんな風に育って欲しいか。それは、親がまず社会とどう関わるかによる。というものです。
あれこれ子供に要求したり、期待する前に、親がまずそのロールモデルになれ。ということですね。
全くもってそのとおり。精進します!とばかりに、当時の私は自分の生活を取り戻すべく、徐々に仕事や家庭にエネルギーを注げるようになっていきました。というかむしろ、自分の人生を、弟の病気を理由に侵食されてたまるかい!絶対諦めずに私は幸せになる!という、意地にも似た気持ちでした。
最終的に弟が底をつき、仕事をやめ、回復施設に入るまでに10か月くらいかかりました。その間、お金を管理し、弟の言動に一喜一憂し、弟が誘惑に負けて薬を再使用してしまえば腹を立て、落ち込み、大きな遠心力に逆らえないような"振り回され生活"をしました。
自分も家庭があり、仕事がありながら、どうしてこんなに弟に労力を注げたのか。よくわかりませんが、私は弟のことを好きなんだと思います。昔からよく色々な話をして、学生時代は旅行をしたり、一時期は同居したこともあります。こう書くとちょっと気持ち悪いくらい仲良しみたいですが(笑)、とにかく弟は私の知る中で一番みんなに好かれる人。一度会うと誰とでも仲良くなり、友達もたーくさんいて、昔から色々とこじらせるめんどくさい私からみれば、本当にうらやましいキャラクターでした。
そんな彼が、まさかこんなことになるとは!親の愛を集中して受け続けた、ラッキーな人だと信じていたのに。そんなに生きづらさを抱えた大人になっているなんて。人生観、子育て観、すべてがひっくり返る出来事だったなぁと、今になっても思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?