1年後の自分へ贈る言葉
1年前の2023年5月18日、私は自分に宛てて手紙を書いた。
きっかけは、当時職場のお客様だった方が、少し関わっているからと誘ってくれた「ことばの日」というイベントだった。
正直なところ、わたしはワークショップという類のイベントが苦手な方で、大人数でひとつのことに取り組んで何かを発表したりするようなイベントは、参加するか否か問われる状況に直面することすら避けて通ってきた。
けれど「ゴーちゃん(他の人の呼ぶイントネーションと少し違う)は言葉を大切にしている感じだから、これそうだったらきなよ〜」という、そっけないアバウトさに見え隠れする、可愛らしい優しさを持った誘いに、わたしも概要も聞かずに足を運んでしまったし、ちょうど「ことばのワークショップ」が始まった直後だからと、気づけば流されるようにワークショップの席に着席していた。
ワークショップで書く手紙のテーマは「拝啓、1年後の自分へ贈る言葉」だった。こういうのは大概、他人に共有しない方が良いものだと思うのだけれど、わたしはこのnoteを書きたかったので、当時、何を書いていたのかを載せてみる。
なんだかぬるい手紙を書いている。
そんなことを思ってしまうくらい、この1年でわたしは変わった。
この時のわたしは当然まだ知ることはない。この後に大きく体調を崩し、入院し、引っ越しをして、人間関係も、生活スタイルも、何もかもが変化している現在を。
この手紙を書いた頃は、ロングと言っていいほどに伸ばした黒髪を誇らしく思っていたけれど、今のわたしは肩につかないくらいのボブを鮮やかなターコイズブルーに染めている。
なんてのうのうと言っているけど、今のわたしは「渇きや強いエネルギー」ばかりが体内に渦巻いていて、わりと困っている。
たった1年。わたしに何が起きたんだろう。わたしが起こしたわけじゃない。刹那に身を委ねてみたり、決意してみたり、諦めてみたり、そうしなくてはいけなかったり、たくさんの気持ちや、状況や、決断がわたしの元に訪れた。
今も、なんだか無敵になった気がしたり、立ち上がれないほど何かが不安になったりしながら、漠然と目的地を定めて日々できることをやってみたりしている。でも、こんなに無計画でいいのか?と自分に問う気持ちは止まらない。
けれど、この手紙を読んで思う。人生というものは、本当に本当に予測できないものだ。そもそもこの時のわたしは、こんな素敵風な手紙を書いていながら、当時好きだった人と結ばれているのかな?なんていう妄想くらいしかしてなかった。
今年ももうじき梅雨が訪れ、そして明け、夏が終わると「あと3ヶ月ちょっとで今年終わるよ」「1年って本当に早い」なんて言葉が繰り返されはじめるだろう。
その3ヶ月だって、口にし始めてからうんと長いことを私たちは知っていながら年末まで繰り返し、年が明ければ「2025年って響き慣れないね」だの「なんだか今年は明けた気がしない」だの、書類の年月日の欄に「2024年」と記載してしまったりだのを繰り返していくだろう。
わたしには本来、安定を求める性質が備わっている(そういう風にも生きられたことないけど)けれど、こんなにも想像がつかない人生なのであれば、いっそ本当に全てこの身を委ねようと心を新たにする。
わたしの身体は深く知っている。きっとどころか、この先も「絶対に大丈夫」なことを。