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CRCK/LCKS『クラックラックスのテーマ』への感想

仕事場が変わり、徒歩で通勤するようになった。
通勤時間がこの世で一番無駄な時間だと思っているので、ただ歩くだけではもったいない。それに、仕事に向かう憂鬱な気分をなんとかマシにしたい。
なので、最近は音楽を聴きながら歩いている。

その日一番最初に浮かんだ曲を聴くことにしている。
よく聴くのは、TWICEの『The Feels』や折坂悠太の『さびしさ』、宇多田ヒカルの『君に夢中』、そしてCRCK/LCKSの『クラックラックスのテーマ』。

わたしはこの『クラックラックスのテーマ』について語りたい。

テーマソングと聞くと、何が思い浮かぶだろうか。
アニメのOP曲やCMソングなど、その対象の「自己紹介」的な曲が頭に浮かぶのではないだろうか。
しかし、この曲はそうではない。CRCK/LCKSというバンドに通底するテーマ(主題)を表現した曲であると私は思う。

曲調は明るくポップなのに対して、歌詞は日々のやるせなさや誰かを思う気持ちの切実さが表現されている。

大人になっていくにつれ、いやなことを飲み込んだりいなしたりするのがうまくなっていく。不快な感情は蓄積していくが気づかず何も感じなくなっていき、社会になじむ「まっとう」な人もいる。でもわたしはそうなれない。なれない自分がばかだとも感じるが、今のままでいつづけたい自分もいる。その矛盾を抱えながら今日も生きていく。
こういったメッセージが込められていると感じた。

歌詞の中で印象的なのは、「石ころ」と「ストロベリーキャンディ」の対比だ。
曲中で、石ころは自分のいやなことを少し和らがせるが体にどんどんたまっていくものでもあり、昔好きだった人の目玉の代わりに詰まっていたものであった。向精神薬などの薬ともとれるし、重たい「いやなこと」の塊ともとれる。たまりすぎると好きだった人のように体の器官ととってかわり、何も感じなくなってしまうのかもしれない。もしかすると自ら石ころを詰め、自分の感覚を麻痺させてしまったのかもしれない。
それに対してストロベリーキャンディは、子ども時代を象徴するものである。赤色で甘酸っぱく、目にも舌にも鮮烈な刺激をもたらす。かくいう自分も、味はもう感じなくなってしまっている。でも、思い出すことはできる。忘れてしまった方が現実に絶望せずに済むのに、確実に覚えているし何度も思い返すのだ。
このふたつの鮮やかな対比が、曲に色彩感とキャッチーさをもたらしている。

そして、「自分」と「昔好きだった人」の対比も効果的だ。
好きだったころは目玉があったのに、今は石ころを詰めて(何も見えなくなって・感じなくなって)しまった人。道は違えてしまったし、今後も一緒になることはないけれど、どうか幸せでいてほしいという祈りの切実さがひしひしと伝わってくる。

自分は曲中で「自分の気持ちを持ち続けている」ことの方が間違っているのだと感じているのではないか。しかし、自分の感情に目を向けることををばからしいことだと言いつつも、答え続けている。そんな矛盾を抱えながら生きている姿に、自分を投影してしまった。
わたしのことをよく知らない上司との軋轢。だんだんと話が合わなくなっていく家族。価値観がずれてしまった友人。思い浮かぶシーンがいくつもある。そのたびに自分なりの石ころを飲んでやりすごす。でもその悲しさややるせなさは確実にたまっていく。
わたしの目玉はまだついているだろうか? わからない。でも、この曲を聴いて通勤途中なのに涙しているうちは大丈夫なのだと思う。

少なくとも、耳は石ころになっていない。

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