千葉県知事選挙の泡沫候補を見て思う事
昨年は東京都知事選において、小池都知事が圧倒的勝利をした様を都民として目撃した。都知事の手腕については疑問がいくつも有ったにも関わらず、コロナという緊急事態下で多くの人は何故か現状維持を望み、何かもっとこの国が進むべき、そして日本の中心である東京がどうあるべきかについてはほとんど語られれず終わった。そして、今年自分は引っ越し先である千葉で千葉市民として千葉県知事選挙に望む。引っ越し先でそもそもあまり情報もなかったが、ネットなどで主な候補者についての情報は今収集している。正直自分が知事に求める政策と合致しそうな人が今のところは見当たらなそう。しかし、自分のそんな投票先はおいて今回の知事選は泡沫候補に関して非常に注目をください浴びている。彼らの中には都知事選でも立候補し、注目を浴びた人もいる。兎に角、政見放送で放送事故が起きるパフォーマンスは驚異にあたるが、何かこの国の壊れ具合を端的に示している。神さえいなければ全ては許される、ドストエフスキーのいずれかの小説で語られたテロへの満ちへ走っていった若者と何かその姿はだぶる。彼らにとっては供託金などこの政見放送の視聴回数で回収できてしまい、彼らの知名度は否が応でもます。売れればいいのか、なんて昔の硬派なアーティストのセリフのようだかそんなことをふと思ってしまう。日本の選挙率の低下は、そんなニヒリズムに満ちた候補の反対側で、誰にいれても無駄というニヒリズムによる結果なのだろう。
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