My Learning Log of Law】児童福祉法in The U.K.#001】はじめに、親責任と1989年児童法
01 はじめに~「親責任」~
離婚後に共同親権が日本で導入されることになった。離婚後、片親のみが単独で親権を保有していたが、今後、父母ともに親権者となる場合がある(選択的共同親権)。私は、今、イギリスの児童福祉、特に法制度について学んでいる最中である。今春、イギリスの児童サービスや家庭裁判所を訪問させてもらった。そんな折、"note"という本サービスに出会ったので、自分の勉強をnoteに投稿し、記録することにした。自分の学習を確認しつつ、かつ、ネットで公表し、自分の怠慢になりがちな部分を多少なりとも抑制できれば良いというのが動機の一つでもある。
私にとって記念すべき第1回目、イギリスで採用されている「親責任」を取り上げたいと思う。日本の法制審議会における共同親権の議論の中でも「親責任」概念の意見も出たようであるが、「親権」でなく「親責任」という概念になることで何が変わるのか、それとも何も変わらないのかについてイギリスの親責任を説明する中で書いてみたい。
さて、今後この投稿を続けるにあたり、皆様ご承知のとおり、イギリスはイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドで構成され、法制にも違いがある。私が学んでいるのは専らイングランの児童福祉であり、特に断りのない限り、イギリスと表記する場合はイングランドを意味するものとしたい。また、この投稿は、私の学習の記録である。そのため私の現時点の理解が間違っている可能性もあり、その場合は後日修正させて頂く場合もある事をご理解ください。
02 Children Act 1989
イギリスは"Children Act 1989"(以下「1989年児童法」という。)を制定し「親責任」を導入した。1989年児童法は児童虐待などから行政が子どもを保護する手続として、家庭への支援や、日本でいう一時保護といった親子分離に関する制度を定めており、日本でいう児童福祉法、児童の虐待の防止に関する法律と同じ役割を担っていると評価して良いと思う。
無論、日本の児童福祉法や児童虐待防止法で定められていることの全てが1989年児童法に定められているわけでもないし、逆もまたしかりであり、双方に差異はある。
その違いの一つが「親責任」が1989年児童法に定められているという事である。
03 「親権」→1989年児童法に「親責任」が取り込まれる。
共同親権で話題となった「親権」について日本は「民法」に定めを置く。
「民法」とは「私法」領域(私人間に適用される法領域)のもっとも基本となる法律である。イギリスでも私法領域の法律に「親権」が定められていた。ところが、1989年児童法は、この「私法」に定められていた「親権」を「親責任」という概念に変更するだけなく、1989年児童法という日本の児童福祉法に相当する法律内に取り込んでしまった。
思わず「取り込んでしまった」と表現したが、この事は「親権」が「親責任」という変化する以上に衝撃を受けた。おそらく、私と同じ法曹の方々も同じような感想を抱くと思う。国の共同親権の議論における親責任概念の意見も児童福祉法に親責任を持ち込むという発想まではなかったのではないかと推測している。
04 1989年児童法に「親責任」が取り込まれたことが大きな法改正だった
日本では都道府県(最近では、政令市、中核市、特別区も含む)が児童福祉の担い手であるのと同様、イギリスでも地方当局(Local Authority)が児童福祉の担い手である(イギリスの地方自治に関する法制度の勉強はまだしていないので現時点では、この程度の説明にとどめる。)。
そして、地方当局が児童福祉業務を遂行する際に従う法定ガイダンス(Statutory Guidance)が多数用意されている。日本でも児童相談所運営指針などの指針が国から発出されているが、それと似ている(但し地方自治体に対する法的拘束力や役割は日本とイギリスの間で違いがあると思われる。)。
1989年児童法に関する法定ガイダンス第1巻が "Court Orders and Pre-Proceedings"であり、本ガイダンスは地方当局が児童福祉に関する裁判手続の利用、裁判前の手続について記述する。
その第1章のタイトルは「Private Law」であり「親責任(Parental Responsibility)」のことを説明する。法定ガイダンスの一番最初に行うべき説明が1989年児童法に「親責任」という「私法」の定めが設けられていることを取り上げている。
1989年児童法の法定ガイダンス第1巻のトップバッターとなるべきトピックが「親責任」とされて、同章では、1989年児童法内に私法領域が含む事を説明しており、この事実が、イギリスにおいても大改正であった事を物語っていると思われる(つづく)。