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【勝手な創作】 窓辺にて
病室の窓から見える銀杏の木が、黄金色に輝いている。
入院して三週間が経った。突然の発熱と激しい頭痛で救急搬送され、精密検査の結果、原因不明の自己免疫疾患と診断された。医師からの説明を聞きながら、私は妙に冷静だった。
「なぜこんな病気になったのだろう」
そんな問いを、窓際のベッドで横たわりながら、幾度となく自分に投げかけた。それまでの私は、効率と合理性を追求することばかりに必死だった。システムエンジニアとして、複雑なプログラムを設計し、バグを修正し、より最適な解を求め続けていた。
人工知能の研究開発にも携わっていた。人間の思考や行動をアルゴリズムで再現することに、どこか誇りを感じていた。しかし今、この病床で、私は人工知能には決して理解できない「人間らしさ」について考えている。
病気になって初めて気づいたことがある。人間とは、何と非合理的で、予測不可能な存在なのだろうか。
看護師の井上さんは、毎朝の検温時に必ず世間話を交わしてくれる。彼女は遠い田舎から、看護師になるために上京してきたという。「実家の母が病気で、いつか地元に戻って看護師として働きたいんです」と、彼女は照れくさそうに語った。コスパも将来性も悪いはずの選択を、彼女は迷いなく口にする。
同室の山田さんは、末期がんで余命宣告を受けているという。それなのに毎日、誰かに電話をかけては明るく笑い、「人生最後の楽しみよ」と言って差し入れの和菓子に舌鼓を打つ。非合理的で無駄な時間の使い方かもしれない。でも、その姿に心が温かくなるのを感じる。
夜になると、時折耳に入る救急車のサイレンが、人間の脆さを思い出させる。
プログラムは、エラーが起きれば原因を特定し、修正することができる。でも、人間の病は違う。原因が分からないことも多く、治療も必ずしも理論通りには進まない。その不確実性に、最初は戸惑い、苛立ちを覚えた。
しかし今は少し違う。この病室で過ごす時間は、確かに非効率で無駄が多い。でも、だからこそ見えてくるものがある。窓から差し込む朝日の温かさ、廊下を行き交う人々の足音、夕暮れ時に聞こえる子供たちの帰り道の話し声。
ベッドサイドの机の上には、母が持ってきてくれた幼い頃の写真がある。運動会で転んで泣いている私。それを抱きしめる母。非合理的で、無駄な時間の記録。でも、それが確かな人生の証となっている。
来週には退院できるという。病気は完治しないかもしれない。でも、それは人間らしく生きるということなのかもしれない。
銀杏の葉が、また一枚、風に揺られて落ちていく。その様子を眺めながら、私は静かに微笑んだ。
完璧なプログラムは書けても、人間は不完全なままでいい。その不完全さの中にこそ、人間らしさという豊かさが宿っているのだから。
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