第44試合「ムタ」
ここ1ヶ月の間、NOAHは厄介な奴に付きまとわれている。
グレート・ムタである。
魔界からやって来た正体不明の者。
その詳細はもちろん誰も分からず、唯一、武藤敬司だけが仲介を出来る者。
2019年に丸藤正道と戦った後から音信不通だったが、6月13日に突如拳王の前に現れ毒霧を吐き、その場を去った。
その後、拳王とのシングルマッチを行った後、魔界に帰らずにそのまま清宮海斗・小峠篤司とのタッグマッチを行った。
決戦の地・広島は以前、馳浩を担架送りにした場であり、当日もパートナーのNOSAWA論外が担架を持って入場。惨劇の広島を再現するアピールを行った。
試合は流血した清宮が大爆発、椅子をも使うファイトを見せ、小峠は担架に寝かせたムタにムーンサルトを決めた。
その後、清宮もムーンサルトで追撃するも避けられてしまい、そのままムタの術中にはまりピンフォールを取られた。
良い試合ではあったが、拳王も清宮もムタには勝てなかった。
ここで一つ気になる事が有る。
果たしてムタに勝つ理由はあるのだろうか?
答えは無いのである。
まず、ムタはプロレスをする気は無いと思う。
プロレスは相手が居て成り立つものである。だから相手を立てながら自分が勝つことが大事なのだ。
しかし、ムタは自分を出す事しかしていない。プロレスをしようなんぞはなから考えていないのである。だから何が何でも勝ちに来るのである。
じゃあ、何でムタと戦うのか?プロレスをしないムタと戦うメリットはあるのだろうか?
私は考えるムタとの戦いの意味は「自分を出せるか」である。
プロレスをしない相手とどうプロレスをするか。
相手が引き出さないのなら、自分で出すしかないのだ。
拳王は格闘技ベースの自分のプロレスを思う存分出し、断崖式PFSやレガースに火をつけて蹴り込むプロレスを魅せた。
清宮は流血しながらも真っ向から戦い、時折椅子や担架でムタを痛めるラフファイトで怒りを表現した。
小峠も持ち前のファイトでムタに立ち向かい、ムーンサルトを決めてアピールした。
結果は負けだったが存在感は十分出せたと思う。
プロレスは勝ち負けは二の次である。
格闘技と違い、プロレスはいかに魅せるかが大事である。負けても存在感を出した時点で勝ちなのである。
だからムタに普通に勝っても意味が無い。
負け覚悟でも自分のプロレスを出す事が大事なのである。
特にムタ相手なら自分自身でプロレスを作らないといけないのだ。
私はもちろん戦ったことはない。だが、ムタと戦うとプロレスの奥深さが分かるのだろうか。
最近まで悩み続けていた清宮がこんなツイートをしていた。
ここで椅子で叩くのもプロレス。叩かないのもプロレス。
表現方法なんぞ無限にある。その中で何をチョイスすればいいか。
これこそがプロレスであり、それを楽しむのがプロレスなのだ。
グレート・ムタはプロレス界に蔓延る混沌そのものではないか。
全てのレスラーがその混沌に捕まり、狂わされる。
混沌の中で自分を出せる存在。それこそがプロレスと対等になる唯一の存在なのだ。
プロレス界の混沌はまだ飽き足らず、川崎にも出没する。
今度はJrシングル王者・HAYATAと重鎮・小川良成の二人。
それも魔界から魔流不死を呼んでさらなる混沌を引き起こす気である。
果たしてHAYATAは何を持って混沌の中で自分を導くのか。
小川はどの様にプロレスの混沌を振り払うのか。
そして魔界の主は今度の試合で満足して魔界に帰るのだろうか?
(敬称略)
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