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コロナ明けのシンガポール・タイ旅行記/後半

 ↑これの後編です。書いてたら長くなっちゃいました。話的にはEdward José™️(以下甲)が大学の先輩で今は新卒会社員(以下乙)と大学の後輩(以下丙)の三人でシンガポール経由でバンコクに行くことになり、前編ではタイ入国までお話ししました。以下その続きです。常体でいきます。

6.バンコク1日目

 バンコクに着いた我々は、成田から運ばれてきたデカ・キャリーケースを受け取った。デカ・キャリーケースを引きながら市内を駆けずり回るなんて、我々はそんなビリーズブートキャンプは御免こうむりたいので、まずホテルに向かうことにした。
 スワンナプーム国際空港はAirport Rail Link(รถไฟฟ้าแอร์พอร์ตเรลลิงก์)という鉄道の駅が直結しており、街中に人が繰り出すならタクシーかこれというのが相場が決まっているようだ。ただ私は空港タクシーなんてものは法外な値段を吹っ掛けられる、いわば法外な値段吹っ掛けられマシーンだと思っているし、何よりオタクは鉄道命なので鉄道に乗ることになった。ちなみに甲は3人の中で唯一鉄道オタクではないので、乙と丙の2人が道中色んなところでこの列車はシーメンスだとか川崎だとか言っていたのはチンプンカンプンなのだが、鉄道は2つのレールの上しか走らないので変な所に連れていかれることはないのでそういう意味では鉄道は安心なのだ。ホテルもこのAirport Rail Linkの駅の近くに取ってある。そういうわけで駅に向かった。

駅の券売機

 このAirport Rail Linkはトークン方式乗車で、台北のMRT桃園機場捷運のような感じで乗る。ちなみに我々はราชปรารภ(ラーチャプラーロプ)駅で降りるので片道40バーツだ。円バーツは大体3.7とかだった気がしなくもないので、バーツを大体4円で計算しても160円。10円で計算しても400円なのだ。人の心がない成田スカイアクセス線の運賃と比べても鬼安い。仏教国なのに鬼とはこれはまたすごい。

Airport Rail Linkの運賃表

 そして私はスワンナプーム駅でいくつか気づいたことがある。スワンナプームという名前をタイ語で綴ると、สุวรรณภูมิとなりsùwannaphuumと発音されるのだが、まず[r]を表すรが2つ続くことでaもしくはanという発音になるという意味不明な発音規則を少し前に覚えたばかりなのだ。タイ語の学習が生きている!超そそる。
 そしてスワンナプームの英語表記を見ると、SUVARNABHUMIと書いてある。一番気になるのは最後のmiのところで、タイ語でも最後の文字がมิになっているので文字通り読むなら[míʔ]と発音しなくてはならないのだが、このスワンナプームという言葉はサンスクリット語のスヴァーナブーミ的な感じに由来する言葉で、タイ語の発音に合わせると最後の[i]が消えて残された[m]が末子音化してsùwannaphuumという発音になるっぽいのだが、サンスクリット系など由来の言葉をタイ語で表記する時はなるべくオリジナルに近づけないといけないということでこのような表記になっているっぽいのだ。東京外大タイ語科のなかで陰キャ文字(サンスクリット系由来の言葉などにしか使われないのであまり出現しない文字でそう呼ばれているらしい)であるณ(ノー・ネーン)も入っているしどうりで…といった感じなのだが、こういうところがタイ文字と発音の一致を複雑にさせていて、めちゃくちゃ良い。バカなので詳しいことは分からんくせに、難しくされると逆に燃え上がってしまうのだ。

スワンナプーム駅。タイ文字がそそる

 タイ文字の識字がまだ出来ない乙と丙を尻目に1人興奮しているうちに電車がやってきたので乗り込む。どうやら折り返す時に車内点検があるので、降車客と同時に乗車してはいけないらしい。そんなん聖書に書いておまへんからね、と言わんばかりに年配の欧米人カップル旅行客が乗り込んでしまってタイ人に止められていた。こういう所で勝手が分からないと旅行客というものは郷に入っては郷に従えというのもままならないのだ。旅行の難しいところでもあるし楽しいところでもある。
 そして我々は、終点の一つ前のราชปรารภ(Ratchaprarop)で降りた。

ราชปรารภ(ラーチャプラーロプ)駅
Airport Rail Linkの列車

 私たちがまず泊まったホテルは、โรงแรมใบหยกสวีท(Baiyoke Suite Hotel)というところだ。駅から徒歩6分、しかも物理的に相当高いホテルだ。わが福井県にはこんな高い建物はないので、高すぎて見上げたら首がちぎれそうだ。ちぎれても現代医療なら何とかしてくれるだろう。文明の力はきっとすごいのだ。

โรงแรมใบหยกสวีท(Baiyoke Suite Hotel)

 ちなみにバンコクでは合計4泊するのだが、4泊とも同じところでは面白くない。でも1泊ごとにホテルを変えるのは面倒臭い。ということで最初の2泊はここ、次の2泊は近くのโรงแรมใบหยกสกาย(Baiyoke Sky Hotel)というところに泊まるということにした。名前がめっちゃ似ているし場所もめっちゃ近いところにある。あとなんだかビジュアルも似ている気がする。前者は3つ星、後者は4つ星のホテルである。3人とも初めて入る国なので、治安も知らずに安宿に泊まるのは何かあった時にヤバだから、ということで多少星がついてるホテルの方がいいということでそうした。それでもほかの国に泊まるよりはなかなか割安で泊まることができた。

駅からホテルまで6分、多難の道のり

 駅からホテルまで徒歩6分なら安心出来るだろう、と思っていたのがすこし甘かった。まず鉄道駅を地上に降りると、横断歩道の渡り方が分からないのだ。車用の信号はあるのに歩行者用信号はないし、周囲のタイ人は適当に横断しているし、車は絶え間なくなだれ込んでくるし、一体どういうことなのだと思いながら頑張ってググると、タイではそもそも自動車優先だから歩行者は信号とかは気にせず車の間を縫ってとにかく頑張って渡れということしか書いていない。修造の書いた文章かこれは。信号を渡るというのは、頑張るという精神論だったのか。信号ひとつ渡るのにそんなに命懸けなのか。恐ろしい国だ、王政国家は一味違うぜ…と思いながらむしろこちらがスーツケースで車を轢き殺さんとばかりに鬼の形相で信号を渡る。こんどは店の客引きの女の人たちに声をかけられる。歌舞伎町はあちらですよ、と思いながらいそいそと歩道橋を渡るとただでさえ狭いのにホームレスが横になっている。ホテル周りの治安がこうとは知らなかった。平和ボケの代名詞のような日本人がこぞって来るバンコクがこんなにサバイバルじみているとは思っていなかった。さぞ治安がシンガポールや台湾のように良いのだろうと思っていた。以前ヨーロッパを旅して現金を騙し取られたり携帯をスられたりしたから分かるのだが、大きなキャリーケースを引きながら外国の街中を歩くと現地のヤバ人々に目をつけられるのである。スーツケースがない時に歩くのならともかく、我々は今スーツケースを引いているのだ。一刻も早く安息を!とホテルに急いだ。

 やっとのことでホテルに着いたのだが、甲はバンコクに着陸以来飛行機頭痛を発症してしまいなかなか収まらなくて爆発寸前、もしかするとすでに頭は散り散りになっていたかもしれないが、まあそんな感じだったので、ホテルにチェックイン後は乙と丙に近くのセブンイレブンに夜食を買いに行ってもらった。

ホテルからの夜景

 2人がコンビニから戻ってくると、コンビニ飯で宴が始まった。ちなみにここは3つ星ホテルっぽいのだが電子レンジはない。だからコンビニ飯はコンビニで温めてもらわないと食べれないので注意である。

 ちなみにバンコクにはチップ文化があり、ホテルなどではボーイや部屋の清掃の人などにチップを渡したり部屋に置いたりするのだ。日本人はチップ文化が無いのでここの点にも注意が必要だ。本来はむしろ私のほうがチップを欲しいのに。

 この日は3人ともフライトで疲れているので、そのあとはシャワーに入ってすぐ寝た。

コンビニ飯の宴

7.バンコク2日目

ホテル付近のご様子

 翌日朝、どうするかということになってとりあえず市内で極度乾燥(しなさい)とMINISOを探そうということになった。海外に来たら極度乾燥(しなさい)とMINISOを探す。これはもう避けられない✝︎オタク✝︎の運命(さだめ)なのだ。
 ご存知ない読者の皆様にも説明しよう。まず、極度乾燥(しなさい)、またの名をSuperdry®️というのだが、これはイギリスかどこかのブランドであり、極度乾燥(しなさい)という奇怪な日本語でれっきとしたひとつのブランド名なのだ。しかしSuperdry®️という名前が、日本ではアサヒスーパードライの商標と被ってしまっているために日本進出ができず、日本語が書いてあるのに日本にない、つまり海外に行かないとこのブランドのものを手にすることが出来ないのだ。この日本語の奇怪さと海外でなければ手に入らないレアさが多くの日本人の心を鷲掴みにし、東京外大ではこれを日常的に身に纏う学生は決して少なくない。甲もその1人で、3年前のシンガポールではサンダルとTシャツを、同じ年の香港でももう1枚Tシャツを買って日本に持って帰ってきたのだ。でもこれは欧米ではなかなかイイ感じのブランドなので、Tシャツ1枚買うのにも6000円強払わないといけないぐらいの感じなのだ。
 そしてもう1つ、MINISO、またの名を名創優品というのだが、これはビジュアルがいかにもUNIQLOのパクリで店名はDAISOのパクリのフュージョンしたキメラみたいなもので、いかにも日本企業ですといった感じを醸し出しているけれど、中国企業の雑貨チェーンなのだ。実は日本にも以前高田馬場にあったのだが、品揃えの悪さと知名度の低さで撤退してしまったのだ。海外店舗なら品揃えが豊富だし、怪しげな日本語が観察出来るかもしれない、という事なのだ。
 とりあえずGoogleマップでMINISOを探すと、สุขุมวิท(スクンヴィット)駅とอโศก(アソーク)駅近くのTerminal21という大型商業施設にあるっぽかった。羽田空港でもターミナルは3つしかないのに21とは、やはり現国王ラーマ10世の権力はきっとレベチなのだ。

 とりあえずホテルからชิดลม(チッロム)駅かสยาม(サヤーム)駅まで歩けば列車一本で行けるらしかった。途中บิ๊กซี(Big C)という大型商業施設に立ち寄り、腹ぺこの我々はフードコートで朝食にありついた。ここでトムヤムクンを頼んだのだが、どうやら甲はトムヤムクンが結構好きらしい。

Big Cで食べたトムヤムクン

 ここで初めて知ったことなのだが、タイではフードコートで食物を注文する時、そのフードコートでしか使えないプリペイド式のカードで払う必要があるらしいのだ。なんかそういうやつを買ったりチャージしたりする感じのカウンターがフードコート内にあって、そこでなんか金を出すと、なんかカードが渡される感じなのだ。そのシステムにするとなんかいい事があるのだろうか。タイに行って初めてフードコートで食べようと思っている方がいたらこの方式に注意されたい。
 
 朝食を食べてイイ感じになった我々は、その後สยาม(サヤーム)駅まで歩き、BTSスクンヴィット線をอโศก(アソーク)駅まで乗った。BTSという名前はあまりにもバンタンソニョンダンすぎるので、バンタンに跨って運んでもらえるサービスかと思いきや、バンタンなど周りを見渡してもどこにもいない。彼らは当然、全員韓国にいるのだ。BTSと言うのはBangkok Mass Transit SystemのBTSらしい。それならBMTSではないのかと思うがよく分からない。そんなことを気にしていたらサバンナでは生きていけないので、まあそういうものなのだろう。

BTSスカイトレイン

 อโศก(アソーク)駅に着いた我々は、チロロロエモ(FOODIE FEST)の熱烈な歓迎を受けながら駅直結のTerminal21に入った。

Terminal 21とチロロロエモ(FOODIE FEST)

 ここにMINISOが眠っている。ついでにググッたら極度乾燥(しなさい)も同じ建物の中にあるっぽかった。

MINISO

 まずはMINISO。日本にあったMINISOよりも品揃えが多くて充実している。でもDAISOの隣にあったので多分DAISOに喧嘩を売っているか或いはDAISOに喧嘩を売られているかしているのだろう。

極度乾燥(しなさい)

 次に極度乾燥(しなさい)。残念なことに、怪しい日本語よりは怪しい中国語の方が多かった。極度乾燥(しなさい)と書いてあるTシャツはあまりなく、目娱乐节今日(ちなみにこれは非文の中国語なので、この文字列に意味は無い)と書いてあるTシャツの方が圧倒的に多かった。たまに自動車潤滑とか書いてあるやつがあって非常に良い。丙が友達用と自分用で2枚購入していた。

 二つを見て満足した我々は、次に寺院を巡ることにした。สนามไชย(サナームチャイ)駅まで行けば近くにクソデカ寺院があるっぽいのだ。こんどはBTSではなくMRTというやつに乗る。BTSとMRT、会社が違うのだ。おまけに乗るためのICカードも違う。日本でいうJRと小田急みたいな感じだがそれのICカードは相互利用できない感じなので、厳密に言うと鹿児島市電と小田急みたいな感じかもしれない。
 補足なのだが、日本で言うSuicaみたいな交通系ICカードは、BTSとMRTのもの、どちらも外国人はパスポートと電話番号もしくはメールアドレスを提示しなければならない。もし買うのならば事前に用意しておいて列に並んだ方がいいだろう。

 駅を出た我々は、ワット・ポー(วัดโพธิ์)に行くことにした。するとなにかタイ人の人に呼び止められて、何個か寺院を回って戻ってくるルートで3人で100バーツでトゥクトゥクに乗らないかと言われた。おっトゥクトゥクじゃん!やっぱタイと言ったらトゥクトゥク、トゥクトゥクと言ったらタイでしょ、安いのもバンコクの物価的なやつなんだろう、と思って3人ともOKした。
 勘のいいガキの読者の方はお気づきだろうが、これは怪談なのだ。先に言っておくが、タイで向こうから声をかけられるトゥクトゥクには「絶対に」乗ってはいけない。DON'T TAKE TUKTUK。千万不要坐嘟嘟车。อย่านั่งตุ๊กตุ๊ก。NO SUBE AL TUKTUK。千祈唔好搭篤篤車。삼륜 택시를 타지 마라。NIMM NICHT DIE TUKTUK。これだけ多言語で忠告しておけば500億人ぐらいには届くだろう。声をかけられたトゥクトゥクには乗ってはいけない。

トゥクトゥク

 これから起こることを何も知らない純粋な男たち我々3人は、まず最初にวัดสิตาราม(ワット・シターラーム)という寺院に連れていかれた。べつに怪しげな場所じゃないし、普通に寺院だ。連れてきてくれるんだからなんか有名なんやろ、ぐらいの感じだった。中に入ると老人が出てきて、色々英語を使って解説してくれた。

วัดสิตาราม(ワット・シターラーム)

 なんか日本でも地方都市にこういう教えてあげるおじさん的な人はよくいるので、普通に話を聞き、おじさんは礼拝の方法まで教えてくれた。我々は大乗仏教徒なのに上座部仏教を拝んでいいものなのか分からなかったが私は特に熱心な仏教徒という訳でもないのでとりまOK牧場、といった感じで参拝した。
 その後老人に「汝どもたちズは、これからどこに行くのであるか?」(意訳)と聞かれ、トゥクトゥクの運転手から渡されていた紙の地図を渡した。地図には運転手が丸をつけてくれていて、この後に行く地点を指さして、「おぉ!ここはなんか市場的なところで、ちょうどこの週はラッキーな週なので安いシルクとかカシミヤとかなんかの高い布とか服とかを、ありえん安(やす)の値段で買えるのじゃ!!」(意訳)と言うので、よくわからんがとりあえずヨシ!と言った感じで老人に別れを告げてトゥクトゥクに戻って乗り込んだ。
 トゥクトゥクが我々を次に連れて行ったのは、寺院とかではなかった。スーツのテーラーだった。えっなに!!と思っていると、店内に入って、と言われてここで甲は気がついた。トゥクトゥクとテーラーがグルで、我々に高いスーツを買わせようとしてくるのだ。しかも店には1人2人とかじゃなくて、10人ぐらい店員がいる。もしかしたらそれは見間違えで、本当は1億人ぐらいいたかもしれない。客は我々のみ。やばい。甲は香港ギャング映画の見すぎで、無間道(Infernal Affairs)という映画ではタイ人が麻薬の売買に関係していたことを思い出し、もしこのグループがそういう感じのやばめのヤクザとかだったら我々が誘拐されどんな暴行を受け銃撃戦に持ち込まれるか知れない。横断歩道ひとつ渡るのに命懸けの国なのだ。もし銃撃戦になったら我々に勝ち目はない。大人しく言う通りに入った。
 かと言って我々は貧乏限界学生+社会人旅行集団なのだ。何万もするスーツなど買えるわけがない。そもそもスーツなんて今別に欲しくない。店員と話す中で、「君たちが学生ならば我々もそんなに高いものを押し付けない。カタログを見ないで買わないと言わないで欲しい。せめてカタログを見て、そうしたら欲しくなるよ」(意訳)と言ってきた。でも私は断言できた。スーツなんかいくらカタログを見たところで欲しくなんかならない。でも銃撃戦になったら丸腰の我々はひとたまりもないので、とりあえず見つつも「買わない」ということを頑張って伝えようとした。ただトゥクトゥクの運転手とテーラーが明らかにグルなので、このまま買わずに出ていってトゥクトゥクが大人しく我々を帰してくれるわけがない。まだタイでタクシーに乗ったこともなかったので、このままよく分からないところで放り出されるのも無理だし、逃げようとしても店員が1億人ぐらいいたら数の暴力で多分捕まえられてしまう。
 どうしようかと思っていると、社会人の乙はすでに社会人だと言ってしまっていたので、乙ひとりスーツ選びに連れていかれてしまった。なんとか切り抜けてくれい汗汗、と思いながら残された甲と丙でどうしようかな、と唸っていると店員が「じゃあベルトならどうだい」(意訳)と言ってきた。スーツがベルトになったのだ。とりあえずなんかを買えば無事に帰してくれるだろう。ベルトならスーツよりは安い方だし、ちょうど家にあるベルトはくたびれてしまっていたので、値段によっては買える。しかしベルトでも提示されたのは2000バーツとかそこら辺だった。バーツ4円で計算したら8000円ぐらい。バーツ5億円で計算したら2000×500000000=1000000000000円である。無理だ。ウーンと唸っていたら、店員が「甲と丙の2人が1本ずつ買うなら1人700バーツにしてあげるよ」と言ってきた。バーツ4円でしめて2800円ぐらい。いやそれでも高くない…?せめて500円ぐらいのハンカチにしてくれと思ったが、店員がベルトが本革製であることを確かめるためにベルトをライターであぶりだしたのだ。炙っても焼き目がつかない。匂いを嗅いでみて、合成皮革じゃないでしょ、と差し出すのでたしかにそれっぽい匂いはしない気がしなくもない。ただ私は貧乏限界学生なので、合成皮革を炙ったこともなければ本革を炙ったこともない。だから炙られて匂いをかがされても「これは、一体本革ですね!キリリ」とか言えないのだ。ただでも本革のベルトって、女性の真珠のネックレスみたいに1本持っとけば何かが確実なんじゃないかと思ったし、本革なら2800円って結構安いんじゃないかと思ったのだ。何が確実になるのかはわからないが。二人が1本ずつ買わないと各700バーツにならないみたいなので、結局2人で相談した結果買うことになった。
 2人で1本ずつ買ったタイミングで乙も戻ってきた。どうやらスーツじゃなくてネクタイを同じ700バーツで買っただけで済んだらしい。1人だけスーツ選びに連れていかれたのによくネクタイまで持っていけたものだと感動しながら安心して店を出た。このトゥクトゥクめ成敗してくれよう、と思ったがちゃんと帰してくれないと普通に嫌なので大人しく座っていた。最初のうちは「ウチら広義の島人ぬ宝、アゲ」といった感じの我々も、店を出たあとは完全にしょげ散らかしていた。後部座席で揺られながら丙がググると、タイのトゥクトゥクでテーラーに連れていかれてスーツを買わされた日本人のブログが出てきた。しかもテーラーに行く前に連れていかれた寺院で、老人に「その店はこの週では高い布地の服が安く買えるのだ」と言われたらしい。完全にデジャヴだ。なんとも手が込んだ詐欺なものだ。我々は今その人が犯したあやまちを完全になぞっているだけなのだ。普通に悔しい。国恥なまである。
 そうこうしているうちに、トゥクトゥクは次の寺院、วัดบวรนิเวศ(ワット・ボウォン・ニウェート)に着いた。これはまあ至って普通の寺院だ。特に怪しいところもなく、老人も出現せず、単純に礼拝をしただけで済んだ。
 トゥクトゥクに戻ると、運転手が「ボートに乗ってクルーズをしないか」と言ってきた。これまた怪しい。怪しいのに我々はなんか謎にまたOK牧場を出してしまった。丙がググると、トゥクトゥクの後でチャオプラヤ川を遊覧する小舟に乗って高額を要求された日本人の体験記がでてきた。おお恐ろしい。また我々はカモにされようとしているのか。今度こそはカモられるわけにいかない。我々だって限界貧乏旅行集団なのだ。必死である。我々は船着き場に着いた。船着き場は路地の奥にひっそりとあって、明らかに怪しい。我々は「予定を変更したので船にも乗らないしトゥクトゥクはここまででいい」という旨を皆で頑張って伝えると、船着き場の人がなら行っていいよと言うので、約束の100バーツとすこしばかりのチップを渡して逃げるように退散した。結構粘られるかと思ったら結構すんなり帰してくれた。とうとう解放された。ちなみに我々が退散する時も、次から次へとトゥクトゥクに乗ったカモられ人が運び込まれ、我々は彼らを哀しげな目で見つめることしか出来なかった。以降我々三人の間では、トゥクトゥクのことを「カモ車」、トゥクトゥクに載せられた人々を「カモられ人」と呼ぶようになった。
 これをご覧の皆様には、タイで向こうから声をかけられたトゥクトゥクには絶対に乗らないでいただきたいし、NOと言う勇気を持っていただきたい。

 詐欺トゥクトゥクから解放された我々3人は、気を取り直して寺院めぐりを再開した。たまたま近くにタイ三大寺院のวัดโพธิ์(ワット・ポー)があったのでそこに向かった。

วัดโพธิ์(ワット・ポー)の仏塔

 ワット・ポーは涅槃仏で有名な寺院だ。外国人の拝観料はたしか200バーツとかそこら辺で、多分タイ人なら無料で入れる。敷地は広く、あちこちにある仏塔がどれも綺麗だった。
 ちなみに涅槃仏は全部金ピカで、とにかくデカい。横に長い。自分の肩幅かと思った。足の指紋の作画が適当で良かった。

ワット・ポーの涅槃仏

 ワット・ポーを出るといい時間だったので、夜ご飯を食べるためにหัวลำโพง(フアランポーン)の近く、ถนนเยาวราช(ヤワラート通り)のチャイナタウンに向かうことにした。
 MRTで数駅離れたフアランポーンで降りると、国鉄のกรุงเทพ(クルンテープ)駅、またの名をหัวลำโพง(フアランポーン)駅というが、まあなんかそれがあった。

タイ国鉄のหัวลำโพง(フアランポーン)駅

 巨大なフアランポーン駅を横目にチャイナタウンへ向かうと、一昔前の香港みたいな看板たちがちょうど夕暮れ時だったので光りだして、とても綺麗だった。夏目漱石が月じゃなくヤワラート通りを見ていたら、「ヤワラート通りが綺麗ですね」が告白の代名詞になっていたのではないだろうか。

ヤワラート通りのチャイナタウン

 我々はとりあえず中華料理屋に入って夜飯にありつき、シンハービールも飲んだ。多分タイビールといえばチャーンとシンハーである。ちなみにタイ人はシンハーのことはシンとしか発音しないらしい。เบียร์สิงห์ と書いてbiasǐŋと発音するのだ。シンハーというのはサンスクリット語でライオンを意味するスィンハに由来する言葉なので、それがなんかヒンディー語ではスィンフとかスィングになって、タイ語に入る時にシンになったっぽいのだ。個人的に凄くそういうの良くて、ハチャメチャ好物である。

夜の食物

 満腹になった我々は、そこからホテルに帰った。ちなみに地下鉄を使うと結構乗り換えがある上に結構歩くので、地下鉄で数駅乗ってからタクシーに乗った。これがバンコクで初めてのタクシーである。タクシーを引っ捕まえるのは福井人の技量が問われる。バンコクではタクシーを捕まえるときは手を斜め下に突き出してプラプラさせるっぽいのだ。とりあえず流しのวาง(空車)のサインがついているタクシーを片っ端から捕まえ、ไบโรงแรมใบหยกสวีทได้ไหมครับ?(バイヨークスイートホテルまで行って貰えますか?)と聞くのだ。1台目では断られてしまったが、2台目では100バーツでどうだと言われたのでそれでホテルまで戻った。バンコクではタクシーを捕まえても運転手に断られることはよくあることなのだ。また事前に運転手に値段を提示されるパターンも個人タクシーでは結構多い。ここの値段交渉で提示された額が少々割高なこともよくあるが、値切ったり断ったりしてばかりいるとなかなかタクシーに乗れないこともあるので難しいところなのだ。

8.バンコク3日目

 次の日はとりあえずアユタヤに行くことになった。ただこの日はホテルをチェックアウトし、もう片方のホテルに移らなければならなかった。ふたつのホテルは徒歩3分ぐらいの離れ方なので、銀河の規模で見たら実質同じ場所にあると言ってもいいのだが、まあとりあえず元のホテルをチェックアウトし、新しいホテルにチェックインして荷物を置くと、我々はアユタヤに向かうべく国鉄駅に向かうことにした。

移動した先のホテル、โรงแรมใบหยกสกาย(Baiyoke Sky Hotel)

 ちなみにバンコクからアユタヤまで国鉄で向かうには、どうやらกรุงเทพ(クルンテープ)駅すなわちหัวลำโพง(フアランポーン)駅まで行くのが良いらしかった。ただ調べてみると、公式発表ではフアランポーン駅は2021年12月に営業を終了してบางซื่อ(バーンスー)駅にターミナル機能を移したとか、でも実際は告知不足で終了できなかったからまだ発着しているとか、よく分からないことがいっぱい書いてあった。インターネッツの世界は信じられないということは、私はツイッターで学んだ。とりあえず新しいターミナルのバーンスー駅に向かうことにした。
 バーンスーまではタクシーとBTSとMRTを乗り継いで行く。着いてみると駅はクソデカい。たぶん岩手県ぐらい面積がある。クソデカくて新しいのに乗り場が見つからない。長距離列車という案内板に沿って歩くと、工事とかの衝立でホームに上がれないのだ。案内所的な所に行って聞くと、反対側の出口の方に行ってください(意訳)的なことを言われたので、とりあえず反対側の出口に出ると、新しい高架駅の隣に、従来の古い地平のホームが目に飛び込んできた。

สถานีกลางบางซื่อ(バーンスー中央駅)。
我々の後ろに長距離列車用のホームがある

 つまり要はまだ高架ホームに切り替わっていないということなのだ。従来のホームはすごく古くていい味を出している。いい味が出すぎてかつおだしが取れそうなくらいだ。我々は切符売り場でアユタヤ行きの三等車を買う。1人片道14バーツ。バーツ4円で56円。安すぎる。安すぎてサン宝石でほっぺちゃんやスクイーズに混じってアユタヤ行きの切符が売っていそうなくらいだ。

従来の古いホーム

 我々が乗るのはสุรินทร์(スリン)ゆき12:05発普通列車だ。ちなみにスリンというのはバンコクから見て東北東、カンボジアとの国境にまあなんか近い感じの、たぶんイイ感じの街だ。スリンに着くのは20:00らしいので、すごく長距離の列車だ。

สุรินทร์(スリン)ゆき普通列車。これに乗る

 列車は15分ぐらい遅れて入線してきた。タイ国鉄では時間通りに運行することはあまりないし、私達も特段急いでいる訳では無いので気長に待つ。

สถานีกลางบางซื่อ(バーンスー中央駅)発車直後

 列車が到着し、我々は列車に乗り込んだ。三等車の自由席なので適当なところに座る。列車が動き出すと、オタクたちの思い思いに写真撮影タイム、車内探検タイム、おやつもぐもぐタイムが始まる。アユタヤまで2時間ぐらいの道のりだ。しばらくして強面な、スターリンみたいな車掌さんが検札にきて入鋏された。この車掌さんはスターリンとは違って優しいので、アユタヤに着く直前に我々に到着を知らせてくれた。

อยุธยา(アユタヤ)駅

 列車はアユタヤ駅に着いた。ここで甲は面白いことに気づいた。アユタヤはタイ語でอยุธยาと書くので、文字通りに読めば多分ʔayúʔ thayaaとかʔayút yaaとかになるのだ。でも実際の発音はʔayútthayaaになって、アユッタヤーみたいな感じで促音みたいなのが発生するのだ。これはタイ語では一字再読といって、อยุธの部分でธを末子音[t]として読むことでʔayútと読み、そこで末子音として使ったธをもう一度頭子音[th]として読むことでธยาがthayaaとなるので、合わせてʔayútthayaaになるのだ。一字再読をするかしないかは単語によって決まるのでひとつひとつ覚えなくてはならないのだが、この一字再読という変態的現象も、タイに来る前に事前に勉強してあったので、乙と丙を差し置いて1人で興奮していた。

駅正面

 バンコクを出る時に既に正午を過ぎていたので、アユタヤに着いたのは14時半とかだった。飢えている我々は、駅舎のすぐ隣にあるThe Stationというカフェで昼食をとる事にした。私はチャーハンとなんかタイのお茶のラテ的なものを頼んだ。ハチャメチャ美味しかった。

チャーハン

 食べ終わった我々は、とりあえず寺院とか日本人街とかを回りたいという話になった。しかしそれぞれが結構離れている上に、前日のトゥクトゥクでいい思いをしていない我々は、トゥクトゥクには死んでも乗りたくなかった。タクシーも全然いないが、ゲストハウスとかでレンタサイクルを借りられるということがガイドブックに書いてあったため、そのゲストハウスを探しに駅からアユタヤ市内まで1キロほど歩くことにした。
 ちなみに駅からアユタヤ市内まで徒歩で行くには渡し船に乗らないといけなかった。1人片道5バーツで、テンション的には北九州の若戸渡船みたいな感じだが船は普通に木造のボートだ。

Nice boat.

 ひたすらアユタヤ市内を歩き、おめあてのゲストハウスに着いたのだが、どうもそのゲストハウス併設のカフェレストランしかやっていなかった。辺りに自転車を借りれそうなところもなく、ここで自転車は無理となったので全て回ることは諦め、ひとまず近くにあるวัดราชบูรณะ(ワット・ラーチャブーラナ)に歩いて行くことにした。ちなみにレンタサイクルは、ググッたところ渡船の駅側と市内側の両方にあったらしいのだが、我々が行った時はなかったので多分コロナとかの影響ではないかと思う。

วัดราชบูรณะ(ワット・ラーチャブーラナ)

 ワット・ラーチャブーラナは外国人拝観料50バーツ。雰囲気的にはなんかラピュタに出てきそうなやつだ。アユタヤ王朝時代の寺院で、15世紀ぐらいの建物らしい。クメール様式がアンコールワットに似ている。ちなみに建物の中に登って入ることも出来る。ラピュタすぎて感想が「めっちゃラピュタ」しか出てこない。建物の崩れ具合、草の緑具合がめっちゃラピュタなのだ。

 そして次に、これの隣にあるวัดมหาธาตุ(ワット・マハータート)に行った。この寺院もたしか拝観料は50バーツだ。あの菩提樹の木の根元に埋まった仏頭で有名な寺院だ。このワット・マハータートはアユタヤ王朝初期の寺院で、誰がいつ建てたかの詳細は正確にわかっていないらしい。

วัดมหาธาตุ(ワット・マハータート)

 ちなみに我々はあんまり事前に調べてこなかったので、たまたま来た寺院にたまたまよく見る有名なやつがあったという感じだ。この木は菩提樹なので、ブッダが下で悟りを開いた木と同じ種類の木なのだ。1600年頃に胴体から地面に落ちた仏頭が、菩提樹の成長とともに根に取り込まれて水平を保って存在しているのが奇跡ということで有名になっている。私のメンタルの水平もついでに保っていただきたいものだ。

菩提樹の根に覆われた仏頭

 このふたつの寺院を回ると、時刻は17時とかを回っていた。ニューヨークなら朝の5時なので大変な事だ。渡し船がなくなったら大変なので、このふたつでアユタヤ観光を切り上げて駅に向かうことにして、日本人街とか他の寺院はまたの機会にすることにした。

 アユタヤ駅に戻って、バンコクまでの切符を買う。駅のモニターにはกรุงเทพ(クルンテープ)ゆきと書いてあったので、クルンテープ駅がまだ営業しているのならそちらも行ってみたいということでクルンテープまで買った。クルンテープまで3枚お願いします、と窓口で伝えると、先発のスペシャルエクスプレスが345バーツ、後発の普通列車が14バーツでどちらがいいか、と聞かれた。とりあえず我々三人オタクは、行きで普通列車に乗ったのなら帰りはスペシャルエクスプレスだ、という思考なので345バーツ払うことにした。

クルンテープゆきスペシャルエクスプレス

 帰りの列車も15分ほど遅れていた。駅員に聞くと乗り場も変更になっていた。スペシャルエクスプレスが到着すると、往路とは違って車掌の女性が乗る前に切符を確認するスタイルで我々は車内に乗り込んだ。
 往路の車内は非冷房で、4人が2人2人で向かい合う、要はボックスシートだったのだが、復路はスペシャルエクスプレスなだけあって冷房ありの上、2人ずつみな同じ方向に向いて座るいわゆるクロスシートだった。しかも指定席で、リクライニングや前の座席の後ろから下ろす机もついており、列車はバンコク市内に入るまでほとんどの駅をすっ飛ばしていく。おまけに途中で車掌の女性が食物を持ってきてくれるのだ。さすが345バーツ払っただけある。中にはパックのご飯、レトルトのおかずが2種類、クッキー、水とプラスチックのカトラリーが入っていた。丙のご飯とかおかずとかは温まっていたが、私のやつはご飯やおかずが温まっておらず食べれなかったので、日本に持ち帰って食べることにした。これが王権国家の国ぐるみのいじめだとしたら結構光栄かもしれない。

車内で配られた食物

 列車が駅に近づく度に、車掌の女性が列車の中を彷徨いながら「รังสิตนะค่ะ!」(ランスィット駅ですよ)とか「ดอนเมืองนะค่ะ!」(ドンムアン駅ですよ)とか耳をつんざくような声で叫び出す。放送とかじゃなくて直接叫ぶやつか…と思いつつも、日本では見られない光景なので新鮮だ。列車がいくらかの駅に停車していった後で「สถานีหัวลำโพงนะค่ะ!」(フアランポーン駅ですよ)と叫ばれ、列車は終着のフアランポーンに到着した。

หัวลำโพง(フアランポーン)駅

 到着したのが多分20時とかそこら辺なので、腹が減っている我々は、前にも行ったTerminal21のフードコートに行くことにした。MTRに乗って1本で着くことができる。
 Terminal21に着いて再度探検する我々は、日本をモチーフにしている階に怪しげな日本語が多いことに気がついた。

怪しげな日本語
怪しげな日本語

 我々はそういう物が大好物なので、とりあえず怪しい日本語収集活動に勤しんだ。変なところに高田馬場とか鶯谷とか表参道とか書いてあるし、「嬉々として」とかよく分からない日本語が提灯に書かれている。素晴らしい空間だ。こういうのは日本にいたら絶対見れない光景なのでそそる。ひととおり見たあとは、上の方の階にあるフードコート、Pier21に向かった。
 そこでは、以前訪れたBig Cのフードコートと同じように、専用のカードにお金をチャージして注文の時にカードを渡すという方式だった。私はข้าวต้มกุ้ง(カオトムクン)というエビのお粥みたいなのを食べた。日本じゃない味がして美味しかった。一人暮らしあるあるなのだが、美味しいものを見つけると家で自分で作れないかレシピを調べ始めるのだ。クノールの固形チキンスープがあれば自分でも作れそうだったのだが、カスの記憶力に定評がある甲なのでタイで買うのを忘れてしまい後悔している。

ข้าวต้มกุ้ง(カオトムクン=エビのお粥)

 その後は、タクシーでホテルに帰った。タクシーの中で、運転手に「メーターは使いますか?」と聞いたら、「夜6時以降はバンコクではメーターは使わないのだ」(意訳)と言われた。絶対嘘だ。なぜバンコクの人はこうも流れるように堂々と嘘をつけるのか。しかも運転手が「帰る時は私の番号に電話してくれたら、ホテルから空港まで265バーツで送ってあげるよ」とか言うのだ。電話番号を差し出すので、番号の写真を撮れと言われたのでとりあえず撮った。「分かりました〜」ととりあえず言ったが、電話なんか掛ける訳が無いので、ただの記念写真になった。こんな写真が携帯のアルバムに1枚ぐらい残っている方が、人生は風流なのだ。

運転手の番号

9.バンコク4日目

 この日はタイ出国前日だったので、朝の8:30にMedConsultというクリニックでPCR検査を受けることになっていた。タクシーでクリニックに向かい、クリニックでは事前に予約してあったのですんなりと手続きを終えた。検査代1500バーツを払うと、領収書と一緒に日本政府指定の用紙が渡された。朝なのにすごく人が並んでいたが、順番が来ると光のような速さで綿棒で口の中を擦り取られ、鼻に綿棒を突っ込まれて抜かれてメチャクチャ、鼻の中ぐっちゃぐっちゃにされた。検査結果がその日の20:00までに分かるっぽかったので、メールで送られてくる検査結果を自分で用紙に書く形だった。

クリニック前で撮った野生のリス

 その後は我々は、バンコクの東の方にある飛行機墓場という、オリエントタイ航空とか日本航空のジャンボジェットが放置されているという空き地みたいな、知る人ぞ知る有名スポットがあって、そこに行ってみたいという話になった。場所がすごく分かりにくかったので、タクシーを捕まえるのではなく配車アプリのGrabを使おうということになった。それで車を待っていると、運転手から「そこは今閉鎖されているよ」とメッセージが来た。そうなのか。たしかに事前に調べた時もGoogleでは臨時休業中と出ていたが、それは閉鎖されているという意味だったのか。もう少し詳しく調べてみるとやはり閉鎖されているようだったので仕方なく、運転手が到着したあとで場所を変更し、タイ三大寺院のあるエリアの、ワット・ポー以外の残り2つを回ることにした。

 まず我々は 2つの寺院のうちวัดพระแก้ว(ワット・プラケーオ)に行くことにした。ワット・プラケーオはタイの王宮と同じ敷地みたいな感じの所にあり、王宮と一緒の順路で見ることが出来る。ただ国王はここの王宮ではなく別のところにあるพระตำหนักจิตรลดารโหฐาน(チットラダー・ホーターン宮殿)というところにいる。王宮とワット・プラケーオの入場料は500バーツで、ワット・プラケーオにはエメラルドブッダがある。写真は撮ることは出来ないのだが、ブッダがガチでエメラルド色をしているのだ。誰もブッダを食べる訳がないのになぜ食欲減退色の青緑にしようと思ったのかは分からないが、サバイバルの国タイでブッダも野生動物とかに食べられないように進化を遂げたのだろう。食べなければ普通に綺麗で良かった。

วัดพระแก้ว(ワット・プラケーオ)

 順路的にはワット・プラケーオの後に王宮が出てくる感じのやつな順路だった。王宮はなんというかディズニー映画に出てきそうな感じのそういうやつだった。

王宮

 王宮を出た我々は、出口近くの食堂でご飯を食べた。なんかドリンクメニューにココナッツがあったので、初めてココナッツを飲んでみた。なんかココナッツミルク的なまったりしているのを想像していたので、意外と白くて透明で甘ったるい味が自分にはあまり合わないかも、と感じてしまった。Z世代21歳ののわがままな味覚なので許して欲しい。

ごはん

 ご飯の後に、タイ三大寺院の残り1つ、วัดอรุณ(ワット・アルン)に行くことにした。王宮の辺りからはチャオプラヤー川を隔てて対岸にあるので、水上バスに乗って行くことにした。

水上バスのりば

 皆様には気をつけて頂きたいのだが、水上バスは王宮あたりからワットアルンまでは1人片道16バーツで行けるのだが、公式の切符売り場の横で堂々と詐欺じみたクルーズ船の人が客引きをしているのだ。我々も切符売り場と書いてあるところに行くと、「どこ行くの?ワットアルン?往復?片道?片道なら1人400バーツね」と言った具合に払わされそうになったのだ。あれ?おかしくない?と気づいたのですんでのところで払わずに済んだのでよかったが、気づかずに払ってしまう人も多いと思うので是非注意していただきたい。

Nice boat.

ワット・アルンまでは単に対岸に行くだけなので何十分も乗る訳ではなく、数分でワット・アルンの桟橋についた。

水上バスから見るวัดอรุณ(ワット・アルン)

 ワット・アルンの巨大な仏塔は、水上バスの中からでも普通に見ることが出来る。桟橋と寺が直結していてめちゃくちゃ便利だ。たしか入場料は100バーツで、水がついてきたように記憶している。

ワット・アルンの仏塔

 ワット・アルンの仏塔はどれも白を基調としており、複雑な装飾がスゴかった。ちなみにここには世界各地に散らばっているブッダの骨が入っている場所の1つらしく、結構スゴいところなのだ。
 ワットアルンを一通り見ると、我々はICON SIAM(ไอคอนสยาม)というクソデカ・ショッピングモールに行くことにした。ここも船で行けるので、こんどはなんだか強くて速そうな船に乗り込んだ。

Nice boat.

 ICON SIAMでは、乙がタイに留学に来ている外大生フォロワーとエンカウントする手筈になっていた。まだ時間があったため、我々は中のスーパーで買い物をして待っていた。私は友達に、DENTISTÉ(デンティスと読むらしい)という歯磨き粉の大量買いを頼まれていたため、それを爆買い、ついでに土産を買ったりなどしていた。しかしどちらかというとそこのスーパーは輸入品が多かった。

ICON SIAM

 買い物を終えてそのフォロワーの方が来ると、乙は2人でお茶をすべくどこかに消えてゆき、甲と丙はICON SIAMの近くにある地元のスーパーで地元の物を手に入れに向かった。

 別行動をしている中で、朝に受けたPCR検査の結果が出た。甲と丙は陰性で、乙も合流したあとで見たところ乙も陰性だった。ちなみにここで陽性だったらバンコクで強制的に1週間とかそこら辺の隔離が実施され、同行者も濃厚接触者と言うことになって多分隔離されることになる。そのための海外旅行保険なのだが、とくに乙は社会人なので帰国できなくなると完全に休み明けの仕事がオワってしまうのだ。しかし陰性だったので、これでひとまず安心して日本に帰れるのだ。

 用事を終えて合流した我々は、その後ถนนข้าวสาร(カオサン通り)に行くことにした。カオサン通りは航空券・バスの手配業者が多いことやネット接続が比較的容易なことからバックパッカーの聖地として知られているらしい。露店やレストランなどが並ぶ繁華街である。ここに行くには、船でพระอาทิตย์(プラ・アーティット)桟橋まで行ってから歩いて行くことが出来るらしかったので、船に乗り込んでプラ・アーティットまで向かった。

Nice boat.

 カオサン通りに着くと、なんやらいろんなパブやら大麻の店やらレストランやらマッサージ店やら色々あって、結構危なそうだが賑やかだった。どこで飯を食べようかな、と思っていると急にスコールが降ってきてしまった。マッサージ店の軒下で雨宿りをして待つのだが、一向に雨が止まない。後ろでは欧米人が足をモミモミ、モミモミされている。前はザーザー、後ろはモミモミ、まるで逃げ場がない。傘は持っているが、お土産とかが濡れるのは嫌なので少し雨が弱まったのを見計らって歩き出す。

ザーザー・カオサン通り

 少し歩いたところにあるイイ感じのそれっぽいレストランに入って夜ご飯にありついた。前にシンハービールを飲んだので、今回はついでにチャーンビールを頼んだ。

チャーンビール

 その後で我々は、Grabを使ってホテルまで戻った。
 ちなみに、ホテルには頂上近くの階に展望台があった。宿泊者以外はお金を払って入る系のそういうやつらしく、我々は宿泊者なので無料で登れた。

ホテル展望台からの景色

 我々は寝る前にMySOSのアプリにワクチン接種証明や陰性証明をアップロードした。審査が完了すればアプリの画面が青になり、日本に入国する時にスムーズに通過することができるという感じだ。ちなみに審査完了したのは夜中の2時ごろのようで、日本時間だと恐らく4時台なのだが、そんな時間にも我々の書類の審査をしてくれる方がいることにめちゃくちゃ感謝した。

10.バンコク5日目

 この日はいよいよ出国の日である。まずチェックアウトをし、荷物をホテルに預けた。飛行機は17:35スワンナプーム空港発なので、14:30ぐらいに空港に着けばいいため午前中は時間があり、我々はวัดเบญจมบพิตร(ワット・ベーンチャマボピット)に行くことにした。ちなみに言いにくすぎて、タクシーを捕まえたときに何回も噛んでしまって舌が迷子になった。目的地を言うのが大変だった。

วัดเบญจมบพิตร(ワット・ベーンチャマボピット)

 ワット・ベーンチャマボピットは大理石寺院と呼ばれており、名前の通り建物のあちこちに大理石が使われている。ここは1899年にラーマ5世が建立した寺院で、比較的新しい感じの寺だ。寺院の回廊には世界中から集められた仏像が並んでおり、国や時代によってさまざまな仏像のスタイルになっていることがわかる。自分がひっそりと横に並んでいても気づかれなさそうだ。

 ちなみに寺院周辺はタイの政治の中心地であり、国王の住まいであるพระตำหนักจิตรลดารโหฐาน(チットラダー・ホーターン宮殿)がこの寺院の隣にある。我々も国王の住みかとは一体どんなものか確認するべく門のようなところまで散歩したが、門の中では衛兵たちが集団でなにか隊列を組んでおり、それを眺めていたら横からポリスマンとおぼしきバイクが我々の横にヴヴン、ヴとやってきたので、我々は日和って退散した。

พระตำหนักจิตรลดารโหฐาน(チットラダー・ホーターン宮殿)

 時間が昼近くなってきたので、我々は荷物を取りにホテルに戻った。Grabだと170バーツで少し高かったので、150バーツぐらいで乗れないものかと思いタクシーを捕まえると、2台目のタクシーが150バーツの値段を提示してきたのでGrabよりも安く乗ることができた。

 ホテルに戻った我々は、空港に向かうべくราชปรารภ(ラーチャプラーロプ)駅に歩いていった。乙が「せっかくならエクスプレスにのりたいよねえ」というので、鉄道が命の我々は、エクスプレスが止まるらしい市内側終点のพญาไท(パヤータイ)駅まで一駅だけ乗って折り返すことにした。ちなみに、ラーチャプラーロプ駅のホームからパヤータイ駅はすでに見える距離にある。我々がパヤータイ行きのホームに上がると、見知らぬおじさんがホームに上がってきて「君たちどこ行くの?」と聞いてきたので「パヤータイです」と言うとあぁじゃあ大丈夫だ、とホームを下りて行った。観光客の様相で大きなスーツケースを引き、さも空港に行かんとするような日本人集団が、まさか実際は見える距離にあるパヤータイまでの逆方向に一駅を列車に故意に乗るなど気違いの行動をするなどとは思わないので親切心で声をかけにホームまで来てくれたのだろう。なんと優しいことか。優しすぎて結婚しようかと思ったぐらいだ。残念ながら私たちは気違い集団なので、空港と反対方向に、歩いてすぐの距離を、電車で一駅わざわざ喜んで乗るのだ。

พญาไท(パヤータイ)駅

 我々はパヤータイ駅に着いて、折り返しでエクスプレスに乗る気満々だった。だが改札を出ても料金が別建てらしいエクスプレスの案内も改札口も見当たらない。時刻表にも各駅停車しか載っていないので、訝しく思ってググるとコロナ禍の影響でエクスプレスは廃止され、通勤用に改造されたらしいのだ。我々は肩を落としてそのまま空港に向かおうとすると、入線してきたのが元エクスプレス車両だった。結果的にAirport Rail Linkを乗りとおすことができたし、元エクスプレス車両にも乗ることができた。

 空港に着いた我々は、まず昼飯を食べた。空港内のレストランに行き、私はカオトムクンとスイカのフローズンドリンクを食べた。またカオトムクンか、と思うかもしれないが私はカオトムクンがマジで好きになった。タイに来る前はそんな食物があることなど知らなかったが、これがマジでうまい。カオトムクンと自我を入れ替えたいぐらいだ。

カオトムクンとスイカ氷

 食べ終わった後はチェックインなのだが、サイネージを見ると飛行機が約1時間半遅れて離陸するらしかった。機材繰りの影響で到着が1時間半遅れることに伴うものだった。しかし用意の良い我々はシンガポールでの乗り継ぎ時間は4時間とってあるので問題はなかった。

 チェックイン時にはパスポートのほかにPCR検査結果とMySOSの画面の提示が求められた。
 荷物を預けてチェックインが終わり、展望デッキで飛行機を観察したあとは出国イミグレーションに進んだ。

11.出国から日本到着

 タイの出国審査もすんなりと通った。出国後は三人で別行動をして、各自お土産を買ったりコーヒーを啜ったりしていた。飛行機の出発時間が1時間半遅れているのでゆっくりお店を回ることができた。
 ちなみに制限エリア内にある免税店はKING POWERと書いてあり、中国語でも王权免税(王権免税)と書いてあった。キングパワー、王の力である。絶対強い。私も負けじとJOSÉ POWER、JAPANESE YENの力で買い物をした。

王権免税店KING POWER。つよそう

 ちなみに私は腹が減ったので制限エリア内のバーガーキングに行った。するとバーガーがひとつ250バーツぐらい、バーツ4円だと1000円ぐらいするのだ。どうなっているのだこの国は。王の権力はどうしたのだ。しかし王に直訴するよりも1000円払ったほうが早いので、苦渋の決断で千円を払ってバーガー一個を手にした。

 めいめいが買い物を終えてゲートに集合すると、ちょうど到着機がゲートに入ってきた。シンガポールからのスクートTR610便で、これの折り返しのTR611便が我々の乗る飛行機だ。機材はボーイングのB787-8、レジは9V-OFD。往路はずっと単通路機だったので、ようやく国際線の双通路機に乗れてテンションはブチ上がっている。

スクートTR611便

 搭乗が開始され、機内に乗り込む。大型機なのにほとんど席が埋まっていて、日本以外では国際線は活発に動いていることを実感した。いつものように座席ポケットにあるゲロ袋も収集した。
 離陸すると、また機内食が運ばれてきた。自分で選択しておきながら毎回のように何を頼んだか覚えていないので、取りあえず目の前に出されたものを食う。目の前に出されたのはORIENTAL BRAISED BEEFだった。

機内食④(バンコク→シンガポール)
オリエンタル・ブレイズド・ビーフ

 このオリエンタル・ブレイズド・ビーフ、往路の機内食でもどこかで出された気がしなくもないのだが、おいしいのでOK牧場なのだ。

 ちなみに、この便では着陸直前に機内が虹色に光った。こんなサイケデリックな飛行機に乗せられたのは初めてである。飛行機頭痛がちょうど発動していたので、まるで墜落してあの世かと思ったぐらいだ。

𝑹𝑨𝑰𝑵𝑩𝑶𝑾…

 飛行機は2時間ほど遅れてシンガポールに到着した。ちなみに大体の空港では到着フロアと出発フロアが下と上で別の階になっていて、入境を経ずに飛行機を乗り継ぐときには下の到着階から上の出発階に出るときに荷物検査とボーディングパスのチェックがあるのだが、シンガポールはそれらが同じフロアに集約されており、各搭乗口の直前に荷物検査のエリアがあるので、降りた直後に空港内のショッピングや食事を楽しむことができる。ちなみに、そのスタイルをとるため搭乗ゲートに行く前にお土産として飲み物などを買った場合は搭乗ゲート前の荷物検査場で没収されてしまうので注意が必要である。
 
 我々はこれからの長時間のフライトに備えて腹ごしらえをするために、24時間営業のレストランエリアに行って食事をとった。私はLaksa(ラクサ)というシンガポール・マレーシアの麺と、Kopi Oというブラックコーヒーを頼んだ。Kopi OのOというのは、福建語で「黒」を意味する「o͘」から来ている言葉だ。ブラックコーヒーのはずなのに結構甘かった。

LaksaとKopi O

 腹ごしらえを済ませ、お土産も買ってゲートに集合した。出発のゲートは
さっきバンコクから乗ってきた飛行機の到着ゲートと同じだった。飛行機もそのまま動いていないので、機材は変わらないで成田まで飛ぶということだった。出発時間は01:10だった。

スクートTR808(シンガポール→成田)

 飛行機が離陸し、シンガポールに別れを告げると、甲はすぐに爆睡モードに入ってしまった。夜中の2時ごろ起こされると、食糧配給の時間だった。何を頼んだか覚えていないのだが、実は一か月ほど前にこの便の食事の変更のメールが来ており、代替の食事になっているのだ。BEEF BRSKT WITH HOR FUNと書いてある。BRSKTを何と読むのか分からなかいが、持ち前の広東語力で推測するにHOR FUNというのは広東語の発音で河粉、つまりフォーのことである。これもまたおいしくいただいた。

機内食⑤(シンガポール→成田)

 食事を終えるとまたすぐさま爆睡に戻った。次に気が付いたときには窓からさんさんと朝日が照り付けており、知らないうちにそろそろ着陸しようという時間になっていた。私は嬰児(みどりご)の時から睡眠能力に関して定評があるので、次の日の朝に予定がある時とかを除けばいつでもどこでも爆睡することができるのだ。おかげで食事後から着陸前まで一度も目を覚ますことがなかった。

成田到着

 朝の9時ごろに飛行機は無事に成田に着陸し、これからドキドキハラハラの日本入国である。これで突き返されたらシンガポールに送り返されてしまうのだ。
 到着ゲートから結構な距離を歩き、いろんなところで色んな書類やいろんな画面を見せ散らかし、たぶん10分ぐらいいろんなところを通って、最終的に下の青い紙が渡された。この青い紙を以って日本に入国でき、隔離が免除される。無事に入国審査も通過して、荷物も受け取り、日本に戻ることができた。

青い紙
スタンプラリー

 日本に入国後は朝ごはんのうどんを展望デッキそばのフードコートで啜り、帰り道を電車で途中まで一緒に行って解散した。

第1ターミナル到着便案内

おわりに

 今回の海外旅行は、実に2年半ぶりの海外旅行だった。コロナ前と変わっていたこともあれば初めて行く場所で初めて体験したことも多かった。乙と丙は初めての海外旅行だったので結構感慨深そうにしていたが、甲も甲で、いままで待ち望んで行きたくても行けなかった海外だったので、割としみじみしていたのだ。いずれにせよ日本から海外、とくにタイとシンガポールに関しては入国も帰国も比較的容易であることがわかったので、これを読んでいただいた皆様にはぜひ積極的に海外旅行をし、そうすることで航空券の値段を下げていただきたい。
 いろいろと長くなってしまったが、中身がぎっしり詰まった1週間だった。今後お金と時間と政情に余裕が出てきたら、卒業までに香港やマレーシア、ヨーロッパにも行ってみたいものだ。

(了)

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