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永遠に分かり合えないのだろうか?/奥のほうを見ようとする、ということ

A:あなたにもできる!
さあ一緒に成長しよう!

B:いやべつに
そういうのいいです

A:大丈夫!あなたにも輝ける場所は必ずある!一緒に見つけよう!
きっと幸せになれる!

B:なんかそういうの疲れるんで
いいです

A:待って待って!
大丈夫、必ず成長できるから!

B:・・・

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この二人は
一生、永遠に分かり合えないでしょうか?

これを現実で考えるには
この文字(表面上のことば)だけでは無理があると思ってて

その人の本当の姿をいかに「見ようとするか」
向き合おうとするかにある

もしかしたら?
という目線でどのくらい幅広く考えられるか

そして実際に話を聞けるかだと思ってる

例えば

Aさんは躁鬱病で
今は躁状態の場合もありうる

Bさんが無気力無関心なのは
単に最近寝不足なだけで
普段はAさんよりパワフルな人かもしれない

という可能性を
考えられるかだと思ってる

躁鬱病という病でなくても
Aさんがこんなにしゃかりなのは
さまざまな理由が考えられます

・部下の成長について会社からものすごいプレッシャーをかけられている
・奥さんとの仲がうまくいっていなくて焦っていてそれが仕事にも出てしまった
・昨日読んだ自己啓発本に触発されているミーハーな人

ただ、わかります
>忙しい毎日の中で、ひとりひとり、一つ一つに、そんなにゆっくり向き合ってられないよ

できる時で良いです
忙しくてやってられない
それは本当にそうでしょうか?

ほんの少しだけ
目の前にいるひとの「奥のほう」を
見ようとしてみませんか?

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