どんな気持ちだ / ひとりぼっちになるというのは
『追憶のハイウェイ61』。1965年発表。ディランの代表作で、ロックの大名盤と言われる作品。
本作を初めて聴いたのは30数年前。CDで。まず歌詞が意味分からず笑、しかも曲長いしで、当時大好きとは決して言えないアルバムだった。なんでだろう?例えば同じ時期に聴いたブルース・スプリングスティーンの『明日なき暴走』は、歌詞分からずともめっちゃ感動したのに。今思うと、ディランはやっぱり歌詞をちゃんと読むのが肝なんだろうな。その数年後、大学生になって『血の轍』や『プラネット・ウェイブズ』を聴いて、ボブ・ディラン良いなーとディランに(浅く)目覚めたのだが、この『追憶の〜』は、その後もそこまで正直ハマらなかった。
40代も終わりに近づき、なぜか急にディラン信者になった自分が、本作に改めて向き合う。そして、想像以上に、強烈に心を動かされている。これやっぱりすごい。30数年前の子供だった自分へ言いたい。おっさんになってようやくこのアルバムの素晴らしさが分かったよ、人生悪いもんじゃないぞ、と。こうやって出会いはあるんだよ、と。
前作『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』からわずか数ヶ月後の録音。『ブリンギング〜』よりバンドの音は分厚く、自由でまあとにかく伸び伸びしている。エレクトリック路線、ロック路線が、大爆発。次作『ブロンド・オン・ブロンド』より一曲一曲の深みという点では劣るが、瞬間最大風速ではこっちが勝っているかも。要するに勢いがハンパじゃない。歌の創造性がグンと違うステージに行った感じ。ディランの声も神がかっている。
なんと言っても、ラストの『廃墟の街』、そして一曲目の『ライク・ア・ローリング・ストーン』。この二曲の音楽、ディランの言葉と声を、心で全力で受け止めれば、少なくとも受け止めているあいだは、周囲の景色はガラっと変わり、人生の苦しみから一瞬解放される。何だそれ宗教?と笑うなら笑え。それぐらい音楽を聴くってことは自分にとって切実なのだ。そして、ボブ・ディランは音楽のそういう力を心の底から信じている人。
“窓の下のオフィーリアがおれはどうにも気がかりだ/二十二歳の誕生日にオールドミスの顔して/死をロマンチックに感じてる/鉄の防弾チョッキを着て/神への挺身を職となし/生気を失う罪をおかし/その目はいつも/ノアの虹に注がれてはいるけれど/ときどき覗きにやってくるんだ/荒れ果てたこの通りを”(『廃墟の街』)
“一時間前一緒にいた、羨望たらたらの坊さんは/タバコー本せびる姿も完璧なほどおぞましく/排水パイプに鼻をつっこみ/アルファベットを吟唱しながら去っていく/坊主のことなどどうでもいいと思うだろうがあいつも昔はならしてた/電気バイオリン弾いていた/荒れ果てたこの通りでね”(同上)
いろんな登場人物の個人的な憂鬱と、人生の悲哀。ボブ・ディランは、ディランらしく、それらを冷静に描き、優しく歌う。ナッシュビルの名手チャーリー・マッコイのアコギのソロが、暖かく響く。曲のラストで恋人に「もう手紙は送ってこないで」と告げるのが切ないが、人間っていろいろあるよな、分からんよなって、聴いているこちらの心はなんだか穏やかになっていく。魔法のような曲。11分超えもあっという間。
そして、さまざまな人生を見つめたこのひたすら優しい最終曲は、アルバム一曲目の『ライク・ア・ローリング・ストーン』にまた繋がっていく。
“どんな気持ちだ/どんな気持ちだ/ひとりぼっちになるというのは/帰るところがないっていうのは/知り合いもなく生きるのは/石ころみたいに転がってくのは”(『ライク・ア・ローリング・ストーン』)
華やかな世界から転落し孤独に落ちていく人への、皮肉みたいな感じ?とも以前は捉えていたが、今は違う風に聴こえる。あらーひとりぼっちになっちゃったね?と、なんかディランがニヤっと笑っているようにも思える。ここからがスタートなんだと、おっさんにも(おばさんにも)勇気を与えてくれるような。
圧倒的なこの二曲以外も、名曲が多い。メロディが良い曲が多い。特に『クイーン・ジェーン』なんて何回聴いてもグッと来る。
“お世話好きの連中が/プラスチックのカードを貴女の足許に投げてきたのか、さぞかし苦しいでしょうって?/ドラスティックな結論こそが必要なんだといいたいんだな/僕に会いに来ないかい、クイーン・ジェーン/僕に会いに来たらいいさ、クイーン・ジェーン“(『クイーン・ジェーン』)
ディランの声で絶妙なメロディで歌われると、聴き手の心のなかで、シンプルなフレーズも大きく膨らむ。良いなあ、なんか多幸感ある。やっぱこの人はモテそうだなー笑
日本語の対訳は、全て『The Lyrics』(岩波書店)の佐藤良明さんによるものです。
2024年5月2日 記
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