コロナ社会でリトル・リチャードと音楽について想う
一瞬の発熱・体調不良にて帰宅をせよとの業務命令がくだり、お休みをいただき、水曜夕方より家に閉じこもる。
実際は当日熱もすぐ下がりまったく元気ではあるが、時節柄、密にならないように家でも半隔離。しかし同居の5歳児くんが「パパー、“め”って字どう書くんだっけ?」「パパー、仮面ライダーセイバーの戦いごっこやりたい」「パパー、YouTube止まったんだけど」「パパー、サクサクパンダ食べていいのー?」「パパー、間違い探しやろー」「パパー、ひまー」などなどその都度思いついた質問と主張を持って、隔離部屋に入ってくる。かわいいです。
画像は、ブルース&ソウル・レコーズの最新号。リトル・リチャード追悼特集。
現クロマニヨンズの真島昌利がかつてブルーハーツ時代に、「学校や親の言うことより、キース・リチャーズのカッティングやリトル・リチャードのシャウトの方にリアルがある」という主旨の発言をしていたので、さっそくCDを借りて聴いた「トゥッティ・フルッティ」。日本の東北の中学生にも一発でガツンと来た圧倒的な声。遅くなりましたがご冥福をお祈りします。
今回の特集に限らず、ブルース&ソウル・レコーズの情報量の多さはほんと重宝する。同誌やあとはミュージックマガジンで紹介されている音源をサブスクリプションで入手して聴いて、すごく良かったらCDをネットで買うという、完全に在宅で完結する音楽生活になってしまった。良くも悪くもコロナ社会のモデルのような。聴いていない古い音楽ももちろん、チカーノ音楽やニューオリンズ音楽の新譜系も最近は気になる。
まあほんとはそういった好きな音楽についてリアルで酒でも飲みながら友人と話すというのが一番楽しいのであって、その点でのストレスはかなりたまっているなと思う。