大切にされること、愛されること
先日、甲府市内のカフェ the;kokubo さんが火事に見舞われた。
さまざまな方におススメしてもらい、いつかは行きたいと思っていたカフェだったから、思わずTwitterで調べてしまった。
そしたら近所の人が動画を載せてて。
そこには、激しく燃え上がる the;kokubo が写っていた。
残念とかよりも先に、誰も巻き込まれていないことを願った。
結局はお客さんもスタッフさんも巻き込まれていなかったけれど、お店は焼け落ちてしまっていた。
愛されてる実感
翌日Instagramを開くと、the;kokuboさんがストーリーを更新していた。
短文だったけれど、そこにはとにかく前に進もうとしている人がいた。
そして数日後に見た一本の動画には、本当にたくさんの人がうつっていた。
無言で抱き合い、強く、哀しく、でも踏ん張ろうと背中を叩き合う人。
ついこの間まで使われていた焙煎機を覗きながら『まだいけるね』って。
焼け落ちて空も見えていたけれど、誰かが持ってきてくれたケーキを見て笑顔がこぼれてて。
自分は行けなかったけれど、ほんとうにあったかい空間だったんだな、って見るだけでわかった。
お店は燃えてしまったけれど、the;kokuboさんが大切にしてきた想いや、ご縁はきちんと残っていた。
翌日から30人もの人が集まって、『大変だったね、踏ん張りどころだよ』って声をかけあってて。
Instagramのストーリーでは本当にたくさんの人々がthe;kokuboへの心配と復活をあげてて。
そしてその誰もが、「自分にできることがあるなら」って必ず書いてて。
純粋にそう思ってしまった。
東日本大震災のときとは質が違うかもしれないけど、ふと誰かに降りかかった大きな困難を、周りのみんなが必死に支えて、一緒に歩もうとしている。
そう思ってくれる人に囲まれている the;kokubo って、すごいな、って。
普段見えない『価値』を見て
どうしても人やモノをみるとき、
って、目に見える部分や、何かと比較できる部分でばかり見てしまう。
でも、そこだけでは、ほんとうの『価値』ははかれっこない。
そんなことに気づかされた。
特に『人』自身がもつ価値って、その人がほんとうに困ったときに、どれだけの人たちが必死に支えてくれるのかなんだな、って。
ふつうがなくなったり、あたりまえではないことが起きてしまったときにこそ、その人の価値とか、普段周りの人に与えている影響や価値が見える。
自分に関わってくれる人たちを想い、大切にし、きちんと愛することができていれば、それはしっかり帰ってくる。
the;kokubo は、ほんとうにたくさんの人に、ほんとうに大切なモノを届けていたことが、直接行ったことがなくてもわかった。
それと同時に、
そんなことを考えさせられた。
おわりに
前途は多難でも、必ず洋々たるものであることを知っているから、人は、どんな時でも『もういっかい』って踏ん張れる。
自分が窮地に陥ったときに手を差し伸べてくれる人がいるから、人は生きていける。
自分が支えたい、届けたい、愛したいって思える人がいるから、人は頑張れる。
もし the;kokuboさんに一緒に行きたい人がいたら、ぜひ行きましょう。
the;kokubo さんの復活を願って。