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【コーチング】「コーチングに専門性は必要ない」という考えが変わった話

コーチングは極論、なんでも対応できる魔法@1995年

 一風変わったゴルフスクールの話です。
「コーチングマネジメント」(著者 伊藤守)で紹介されています。1995年著者が参加したゴルフのワークショップでの経験談です。 

 一週間のワークショップの中で、ゴルフの技術的な指導は全くありません。コースに出ても、通常のスコアは付けず
「目標に対する集中度は1~10点で何点?」
「自分の体や動きに対する気づきは1~10で何点?」
こんな感じに聞かれ、これをスコアにつけていきます。それで何点と答えても、コーチはそれから教えてくれるわけではありません。そのまま立ち去ります。
しかし、続けているうちに
「打つ瞬間まで何を考えていたんだろう」
「どこに力をいれていたんだろう」
と今まで考えていなかったことを考え始めた。
~中略~

「素晴らしいショットだったね」
「ありがとう」
「ところで、どうやってあの素晴らしいショットを打ったんだね?」
「はあ?」
「どうやって、あの素晴らしいショットを打ったのか聞いてるんだよ」
確かにボールを打ったのは自分なのですが、それを言葉にするのは難しいものなのです。
「とてもいいショットだけど、再現性がないね」
「確かに」                                                   

「どうやってあんなふうにボールを曲げたんだね」
「どうやってだなんて、曲げるつもりはなかったんだよ」
「それじゃ、誰が曲げたんだ」
「それは私ですが」
「どうやって、あの素晴らしい曲げ方ができたかについて話してよ」
~(略)~
「打つ前から曲がるような気がしたし、グリップやスタンスも気になったし、コーチがどう思っているかも気になったし、頭が混乱していたし、腕も緊張していた。」
「そう、それでどんなことを学んだ?」
「混乱しているときは、仕切り直しだな」
「そうか、次からは仕切り直せるんだね。」
「ふむ」
「今までだって仕切り直せるチャンスはあったと思うんだけど、それができなかったのはどうしてだろう」
「一緒にプレーしている人の目を気にしていたのかなあ」
「具体的には?」
「あまりぐずぐずしても悪いし、思い切りの悪いやつだと思われたくないからね」
「そうだね」
「今思ったんだけど」
「何を」
「ゴルフをやりながら本当にいろんなことを考えているんだなと思ったよ」
「ほんとだね」

コーチングマネジメント 伊藤 守 ディスカバートゥエンティワン

 これがコーチングだと分かったのは半年後で、コーチはゴルフのトレーナーではなく、プロのコーチだっということです。しかし、これまで95前後だった著者は、あまり練習もせずに5か月後のラウンドをハーフ39で回り、その後の平均も90前後まで上がったそうです。

 この事例からは多くの示唆が得られますが、その中の一つは、コーチングに専門分野は不要であるということです。極論を言えば、一流のコーチならば、スポーツ選手のコーチングも可能だということです。
 コーチに必要なのは、クライアント側の専門知識ではなく、質問や傾聴、感情の理解といった、コーチとしての能力を高めることで、それによってこそ、純度の高い、質の高いコーチングが可能になるのです。

 理論的にはそうかもしれませんし、実際に分野を問わずコーチングを行っているコーチもいます。私のコーチも、特定の分野のコーチとは限定せずに活動していました。
 しかし、これはコーチング黎明期の1995年の話です。

クライアントにはどう映るか@2024年

 30年後の現代において、実際はどうでしょうか。

 私の最初のコーチは、医療系の企業で働いた経験がある方でした。その事実を知った時、大いに安心し「理解してもらえるだろう」と感じました。その知識があると、距離感が縮まり、会社の構成や役割、専門性を理解してもらえるため、話がスムーズに進みました。
 実際、業務上の目標を持っていましたので、限られた期間で成果を出すには、自分の業界をよく知る人の方が、具体的な話をしやすいとも思いまた。その時所属してたコーチングスクールが、私の業界を見て、近しい人を当ててくれたんだと思うのです。
 コーチングを知らない状況で、コーチングを受けるなら、自分の業界に精通しているコーチが安心だと思います。

 2人目のコーチは、MCCの方です。一流のコーチで、業界は、異なるというかキャリアの大半がコーチという方でした。
 業界に関わらないコーチの魅力は、高い抽象度と新鮮な視点にあります。
「あなたはコーチングで何がしたいのですか」
「どんなチームを目指しているのですか」
といった抽象度高い、本質的な質問は分野に関係なく刺さります。業界に詳しくないので、話題が環境でなく、常に自分に向いていることも感じます。

 2人目のコーチの時、私の目標は主にコーチとして成長することで、相互コーチの形式をとっていました。MCCにコーチングするのは大変緊張しますが、その後のフィードバックは大いに自信になりました。
 2人目は2人目でピッタリ状況に合っていたのです

 1995年の頃は、コーチング自体が黎明期で希少なものでした。しかし、今は徐々に一般化してきて、選べる状況にあります。選べるのであれば、クライアントの希望によって、選択肢があった方がいいと思います。

クライアントは何を得たいのか@2024年

 実際に対価を払ってコーチングを受けたいと思うクライアントは、それに見合う成果を得たいと考えているでしょうし、ビジネスであればなおさらです。
 ビジネス上の課題があってその目標を達成したい、また、昇格したいといった切実な目標がある場合、まずはいろいろ説明しなくても、肌感で状況を理解してくるようなコーチが安心なのではないでしょうか。

 また、ビジネスでなくても、家族関係でコーチングを受けたいとなったら、家族をもっているコーチにお願いしたいと思うでしょうし、そうでなくても、その道の専門的な知識を持っている人の方が安心感があるでしょう。

専門性の高い分野@2024年

 クライアントによっては、専門性の理解が不可欠な場合もあります。

専門性の高い職種

 医療系の国家資格保持者、弁護士などの仕業、芸術家などは、専門用語がわかるコーチの方が話しやすいかもしれません。業界独特の世界・慣習を知っているコーチの方が、的を外さないコーチングになるでしょう。

エグゼクティブ・コーチング

 エグゼクティブ・コーチングという分野があります。
普通のコーチでも、エグゼクティブにコーチングをすることは可能ですが、それなりの対価をとって、エグゼクティブにコーチングをするとなると、話は変わってきます。
 エグゼクティブならでは課題があるので、エグゼクティブコーチングは別途スキルが必要、という話もありますが、私は、責任の重さという一言に尽きると思っています。

 エグゼクティブのコーチングはその組織が進む方向性に影響を与えます。

 例えば、総理大臣にコーチがついていたとしたらどう思いますか。
 日本の進む方向性に影響を与えるわけです。政治や経済の専門致話が分かる人である必要があるだけでなく、日本の将来の一部を任せられるくらいのスキルや見識を持っていないと、国民も納得しないのではないでしょうか。
 これも極論でしたが、エグゼクティブ・コーチングは、他のコーチングに比べ格段に責任が重いのです。クライアント個人のみならず、周囲にも責任を負うため、責任重大なのです。

コーチングの流派による違い@2024年→未来

 冒頭の、ゴルフのコーチングは1995年の話です。
コーチングの始まりは、コアクティブコーチングです。コーチングのスタンダードであり、国際コーチング連盟(ICF)はこれをもとに認定基準としています。1995年はこれしかなかったわけです。
 時代は進み、心理学に基づくNLPコーチングなど、さまざまな流派が生まれてきました。
 これは本流とか亜流とかいう考えではなく、さまざまに進化・分化していると考えた方が建設的だと思います。学問に少しずつ科目が増えてきたように、コーチングにも科目が増えてきて、いずれは全部勉強してください、というようになるかもしれません。
 クライアントの立場からすれば、選択肢があることは良いことだと思います。
 コーチにとっても学習の幅を広げ、さまざまなアプローチをとれることはさらに良いことだと思います。

結論 現実的には専門性があった方がいい

 私はどちらかというと保守的で、教わっていないことがでてくると身構えてしまう方です。
 なので、ついこの前まで、コーチングに専門性は必要ない、という考えでした。コーチングに分野があるなんて教わっていませんでした。むしろ、1995年のような万能性が正しいというニュアンスでした。
 しかし、実際に多くのクライアントと接してみると、コーチの経験のシェア、業界の環境に由来する悩みの共有など、専門分野に通じていることで役に立つことがかなりあります。
 なので、理論的には、そもそも専門性はなかったが、時代は進み、現実的には専門性をクライアントに示した方がいい、と思います。








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