再スタートの記録
ありのままを残してみよう
ONDO Inc.の創業は2009年3月の大学生の時。そして卒業後にそのまま法人にしたのは2011年10月。
約10年以上もの間、クリエイティブが求められる業界で企画や制作を請け負う会社を経営してきた僕が、これから新たな挑戦をしようとしている。
日々、仕事に埋もれていく時間、感情。そして稼いでも一瞬で溶けて無くなっていくお金。
そんな環境下で人に見ていただく文章なんて書いている時間も無いのは明らかですし、2023年4月で37歳にもなった鳴かず飛ばずの中年男の挑戦の発信なんて誰が喜んで見ていただけるんだとも正直思いました。
けど、僕の様に現実的なバックグラウンドを抱えた人間が、何か0から挑戦していく姿ってその時にしか生の感情は残すことは出来ないし、そういう時に発信された「生モノ」ってきっと誰かの心をエモーショナルにするきっかけにもなり得るのではないかなぁと。
この僕の記事を読んで同じ様に何かに挑戦される方が1人でも増えたら心から嬉しいなぁと思い、とにかく始めるタイミングにと「今や!」と、衝動的に書き始めました。
あ、あと。
いつか自身の子どもが大人になって親父の生々しい姿を時系列でなぞれたら何か伝わるものは有るんじゃないかなぁと。
実際に僕が高校生の頃に親父がハンドルネームでやっているブログをたまたま見つけて、子どもである僕たちが普段全然知らない親父の感情を少しでも理解出来た様な気がして、嬉しかった記憶が残っています。
「世界中を飛び回って、グローバルに生きるんだ。」
創業時にずっと周りに言っていた言葉です。
学生の頃には海外へ数ヵ月出突っ張りで遊びに行ってみたり、趣味である音楽アーティストの活動としてもライブツアーを回ってみたり、一見すると所謂「イケイケ」な青年でした。
「自分達はやりたい事で生きていく。」と、周りにも胸を張ってドヤ顔で言いまくっていました。
社会に出て現実に面食らう
就職活動もせず勢いとプライドで起業の道オンリーで進んで来た自身は、仕事も少なく、生活するのにもいっぱいいっぱいで(電気もガスも携帯電話もほぼ毎月止まっていました)、海外どころか市外へ出るのにも億劫な程(どうしてもな時はブレーキが半分壊れていてサドルからお尻に水がしみ込んでくる様なボロボロのママチャリでどこへでも行った)、どんどん財布も心も貧しい日々になってしまい、趣味さえも何もやる気力が湧かない「口だけは一丁前」の男になりました。
そしていつしか海外の話もしなくなり、大好きだったはずの海外アーティストの音楽も何だか辛くて聞かなくなり、でもそんな「しんどい姿(当時は自分の事を嘘つきとか、みそぼらしい、恥ずかしいと思い込んでいました)」は周りには見せたくなくて、自分の感情がいつも地に足ついていない様な日々を過ごしていました。
そんな僕たちでもありがたい事に、時間は掛かりましたが徐々に取引先の方々から仕事をご一緒させていただく機会が増えて、そして僕自身は家庭を持たせていただいて、かわいい3人の子どもにも恵まれました。
一生懸命。頑張り続ける事をする。
それだけをやり続けていれば、最低限度の人間らしい生活も出来て、旅行も行ける様にもなり、もっと上を目指す試行錯誤も出来る様になってきました。
周りからも(多分)一目置かれる様な大きな仕事もさせていただく様になり、お恥ずかしい話ですが「自分達がこの業界のスタンダードに成る事が出来る。」と本気で思っていたりもしました。家に帰る時に歩きながら夜空を見上げて深呼吸しながら「ゾクゾク」していた自身は今思うとかなり滑稽です。
そしてそんな変な自信が満々の僕たちの所に、彼らがやって来ました。
新型コロナウイルス
2020年2月。そんなイキった日々に「ほれ見た事か。」と言わんばかりの大事件。
年間売上の半分程度の仕事が突如無くなり、新しく走っていた大手との企画も全て白紙に。
この頃のお話を詳しく書き進めると、膨大な量になってしまうのでこの回では控えますが、結果的に僕たちの業種は「追い風」ではありました。ただ、その「追い風」で僕自身が更に大きな勘違いをしてしまう事になりました。
2021年の秋頃。会社のお金がほぼ底を突いてしまい、突然実施したリストラと、僕の下手に空気を読まない態度をきっかけに、全員の感情を「ぐっちゃぐちゃ」にしてしまい、組織崩壊が起こり、本当に「人生のどん底」と今でも思える様な経験をする事になりました。
やり直すという言葉の重み
その行為自体はとても素晴らしい事だと思います。どんどん誰もがやり直しが出来る世界に僕はしたいと思っています。
ただ、いざ当事者になってみると、その言葉がどこか呑気に感じてしまったり、自身が偽善者に感じてしまったりして、完全に人間不信になりました。
僕は何の為に生きて来たんだろうか。僕は世界に必要なんだろうか。そんな事ばかり考え込んで夜も眠れず、体も弱ってしまい、一時期は免疫力を下げない様にする為の薬を飲み続ける日々を送りました。
身勝手で無責任な思考だった事に気付く
どん底の状況で、沢山の方々から手を差し伸べていただきました。
でも都度「迷惑をお掛けしてごめんなさい。」と、とにかく謝るという癖が自然と付いてしまっていたのですが、ある先輩経営者(命の恩人でもある方です)の方から「迷惑かどうかを判断するのはお前じゃない。」と言われた時に衝撃が走りました。
こんな状況になっても、自分の事しか考えていなかったのか。まだ自分でどうにか出来るとどこかで思ってしまっているのではないか。でも、その言動は間違いだった事にはっきりと気付かされました。
また、現在も共に立て直しに邁進していただいている仲間からも「何故そんなに自信が無いのですか?ありがとうってよく言っていただいていますが、言葉だけで何も思われていない様に感じてしまいます。もっと信じてください。鳥山さんらしさを出して、もっと前へ出てください。」と言われた時にも、僕はなんという身勝手な思考で言動していたんだろうか、という事にも気付かせていただきました。
人って、きちんと頼ってしまっても良い存在なのか。
相手が心を見せても、僕自身が心を見せていなかったのか。
いつか恩返しを必ずすると自身にだけは強く誓って、前に進んでも良いんだ。
自分らしさって何だろう。まだまだ成長したい。
そんな周りの方々のお陰様で、前向きな感情が少しずつ芽生えて来る自身に気付き始めました。
原点回帰
全てを手放して、過去の学生時代に単純に戻るという訳ではなく、これまで経験してきた全ての出来事に対して、現在の自身だったらどの様に思考、行動したら誠実な未来を創る事が出来たんだろうか。本当はどうしたかったんだろうか。
そんな事を考えていると、僕たちの存在価値とか、会社として提供するサービスの価値とか色々な事と冷静に向き合う時間が増えて来ました。
世界をもっとエモーショナルに。
ONDO Inc.のミッションとして掲げている言葉です。
この言葉を掲げる僕たちが提供するサービスの価値って何?
実際に世界がどんな状態になればゴールなんだろう?
自分達が今やるべき事は?
どんな人生を歩む?
どんな世界を後世に遺す?
気が付けば周りに心境がどんな形で変化しているのかを伝えている自分が居ました。
その時も「みんな鳥山よりも鳥山の事を見て知っていただいていて、そして深くまで考えていただいているなぁ。」と感じて、誰かと話す度に胸が熱くなりました。
これからやりたい事
海外各地に拠点を置きたい。そして海外と日本を繋げてコミュニティを育みたい。
僕がしたい事、出来る事は、課題解決型コンサルティングや広告代理店ではない。
僕たちだからこそ出来る事をしたい。
誰かと心から繋がり続けたい。そして更に誰かと誰かを繋ぐきっかけを創出したい。
僕たちに仕事をお願いしていただく方々やご一緒いただく方々のテンションをブチ上げたい。
そして最もグローバルな市場でいつかこの文化を上場させたい。
最後に
まるで小学生が夢を語る様な書き方になってしまいましたが、じゃあこれを実現する為に日々何を考えて、意思決定するのか。行動するのか。それが結果どうなったのか。
そんな試行錯誤の一連を一つずつ全て曝け出して、ここで発信していこうと思います。
一つ目の記事なので気合が入ってしまっていたと思います。長くなってしまいました。
ただ前提の部分はしっかりお伝えしなくてはいけないなぁと思いこれまでの事を回想しながら出来る限りの情報を書かせていただきました。
ここまで読み進めていただいた皆さん、ありがとうございます。
これからも温かく見守ってくださりますと嬉しいです。
やるぞー!!!