苦しみを生み出すもの。
ほぼ毎日、カヤック体験をやってる。
体験で使っているのは、本格的な一人乗りのリバーカヤック。
岩のある急流でもすばやく方向を変えられるように、反応がいい、つまり、とても曲がりやすいボートだ。
はっきりいって、まっすぐには進まない。
そのまっすぐに進まないボートをどうやって思い通りに動かしていくのか、そこがリバーカヤックのおもしろさでもある。
そんな乗り物に、どう向き合うか。
ままならなさが楽しいと感じるひとと、できなくて苦しむひとがいる。
苦しんでるひとを観察すると、苦しみを生み出すのは、
ほかのひとと比べる
理想の姿に固執する
なのかな。
ほかのひとと比べる
自我が出てくる小学校高学年くらいから、ほかのひとと比べるようになってくるみたい。
女子は小学3年生くらいから、男子は中1くらいから。
ほかのひとはできてるのに、自分はうまくできない。
だから、拗ねる、泣く。
子どもはその気持ちを隠さないから、わかりやすい。
できなくてもチャレンジし続けるしつこさがないと、いつまでたってもできるようにはなれないんだけど。
あきらめの早い子どもが多いのが、ちょっと気になるところではある。
できなかったことができた!という乗り越える経験が少ないからなのかな?
「自分はできない」と思い込んでしまっていて(実は動かせてるのに)、できてる自分に気づけない。
「できない自分」が恥ずかしい、悔しいっていう気持ちもあるんだろうな。
他人と比べて、”常に勝ちたい”っていうのもあるかな。
理想の姿に固執する
完璧主義のおとな(特に男性)に多い。
短期間で成果を上げてきた、自信満々なひとというか。
「まっすぐに行きませんよ」と言ってるにもかかわらず、まっすぐに進もうとする。
曲がってしまう自分が許せない。
理想の「まっすぐに進む」をめざす気持ちが強すぎて、うまくいかない。
そりゃそうだ。そもそもリバーカヤックでまっすぐに進むのは、かなりの熟練度が必要だ。
かんたんそうに見えることほど、難しい。
理想をかかげて、そこに到達できない自分がいる。
自分はカンタンに(←そう思い込んでるから、余計苦しい)できるはずなのに・・イライラ。
みたいな。
アドラー心理学でいう”今を生きる”といいんだけどね。
「できない自分」は今しかなくて、そのできなさを楽しむというか。
できないからこそ、あれこれ工夫して、できていく段階を楽しめるといいんだけど。
課題を切り分けて、ひとつひとつ順番にやっていくとだんだんとできるようになる。
イライラしちゃうひとは、その切り分けができず、いっぺんにすべてを完璧にやろうとしがちかも。
苦しいひとはその「できていない」部分に気持ちが向いてしまう。
だからできている部分が見えてこない。
できてる割合をちょっとずつ、増やすことでだんだんと動かせるようになってくる。
できてないと思い込んでるひとも、はたから見ると、漕げば漕いだだけちゃんとできることは増えているんだけど。
「できない自分」が許せなくて、どんどん煮詰まってきてしまうんだな。
息してないんじゃないか、と思うくらい。
もっとゆるゆるで、できない自分を許せると楽なんだけれどなぁ。
がちがちに固まった「理想の枠」の外し方は、まだ見つかっていない。
負ける、できない、失敗する。
30年間漕いできても、できないことだらけ。
「できない自分」と向き合えるのが、リバーカヤックなのだ。