人種差別について行動心理学視点から考える (1)
Motivation
なまじScientistとしての教育を受けてしまったせいか、自分の専門外の分野について科学的文献の引用も無しに書くのは気が引ける。ただ、仕事で多少行動心理学(Behaviour Science) の手法について触れる機会があったのでまあ良しとしよう。
Normativeな視座 (should be) から考えると人種差別はあってはならない。個人レベル、社会レベルでも人種、その他差別は根絶するべきであろう。だが、依然として人種差別はありとあらゆるところで起きてしまっている。なので、人種差別を無くす手立てを立案するにも、まず科学的なアプローチでPositiveな視座(what is)から考えてみるのが効果的だと思う。
日本ではstructural rascismが大きな問題として取り上げられることはまだ少ないと印象を受ける、これはモンゴロイド系以外の人種の日本人の数がまだ少ないだけ、あるいはracial minority groupの声が汲み取れていないだけで、これからもそうならないと保証は全くない。なので今のうちから問題の芽をできるだけ摘んでおくのが良いだろう。
Social Norms (規範)
社会レベルの人種差別、structural racism はどのようにして生じるのか?また個人レベルでなぜ我々は人種差別をしたり、偏見を抱いてしまうのであろうか? 僕は心理学におけるSocial Normsについて知ることが有益だと思う。Social Normsの定義はwikipediaによると、
Social norms are regarded as collective representations of acceptable group conduct as well as individual perceptions of particular group conduct. They can be viewed as cultural products (including values, customs, and traditions)which represent individuals' basic knowledge of what others do and think that they should do. From a sociological perspective, social norms are informal understandings that govern the behavior of members of a society. Social psychology recognizes smaller group units (such as a team or an office) may also endorse norms separately or in addition to cultural or societal expectations
つまり、僕らの日々のちょっとした行動や意見は、自分の周りの人達の行動や意見(道徳、価値観)に多大に影響されているということだ。周りの皆が考えるように自分も考えるようになる。個人個人の振る舞いも文化の賜物と考える視点だ。このノームは結構強烈で、我々は無意識にそこからはみ出さないように行動してしまっている。日本社会において考えられるScoial Normsとはどのようなものがあるだろうか?周りのおっさんおばさんの言動から下記のようなあるのではないかと予想した:
・日本人とはモンゴロイド系の人種のことで、それ以外は外国人
・ポイ捨ては駄目
・信号無視は駄目
・学校の掃除は生徒が昼休みにする
・人に迷惑をかけてはいけない
・日本人は勤勉
・黒人は身体能力が高い
・ブラジル人はサッカーが上手い
・女性は非力
・日本と韓国・中国とは仲が悪い
・日本といえばトヨタソニーといったテクノロジー
我々は知らず知らずのうちにSocial Normsに従って行動や意見を持ってしまう傾向がある。Social Normsは社会的に見て便益の高い行動を促す一方、偏見や差別を社会に定着させてしまう。各のノームの良悪正誤は別として、Social Normsに従って生きるというのは、日々の生活を衝突なく、楽に進めるために我々にインプリントされている様式なのであろう。我々はSocial Normsをデフォルト、常識として認識している。
Social Normsは一旦確立されてしまうと変えるのは難しくなる。また民間企業・政治家はこのSocial Normsを利用して、自らの益を得るプロフェッショナルでもある。行動心理学を利用した政策のアプローチにおいても、Social Normsを変えるということを志向した施策よりは、Nudgeを使う方が遥かに実用的だ。
なので、個人レベルとしは先ずはSocial Normsというものがあり、我々が常識と考えたり、日々行動や意見の規範とするのはそういった周りの社会文化に多大に影響されていることを知ることが第一歩であろう。そうやって自分の常識や意見について感度をあげて捉えなすことが個人的に重要に思える。
これは禅の修行における雑念の対処法にも少し似ている。瞑想中雑念が浮かんでくることは仕方の無い、むしろ自然なこと(what is) である。経験のある禅僧はそのような雑念をそっと認識し、pokeし、深い瞑想状態を保つ。
差別や偏見をshould beとして肯定するつもりはないが、what isとして生じてしまうことは否定できない。否定するのではなく、まず認識し、それから無くす方法を考えるべきだおろう。次回はアイデンティティーとSocial Norms、あるいはSocial Normsが形成されるメカニズムについて議論しよう。
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