永遠は存在するか
「わかってしまうこと」というものがある。
アンパンマンショーのアンパンマンの中には人が入っていること。気の流れを集中する修行をしても舞空術はできないこと。大人になってもなんでもできるわけじゃないってこと。大好きだった人への愛情がなくなっていること。
そういうことに気がついた時に心はずっと手を繋いでくれていた人が突然いなくなってしまったような寂しさを感じる。
経験が増えるほど「わかってしまうこと」は増えていく。逆にわからなかった時のことはわからなくなっていく。
はじめて彼女ができた時、僕は本気で永遠が存在するものだと思っていた。存在する、というよりも感じていたという方が正確かもしれない。そのころ書いていた曲には夢見たいな言葉が散りばめられていたと思う。
やがて振られたり、冷めたりする経験を経て僕の中から永遠の手触りは少しずつ消えて言った。歌詞にもその言葉は書けなくなっていた。思っていないことは書けない。
その人が全てで永遠だという感覚は純粋がゆえに危険も含んでいたと今は思う。それが壊れてしまうと世界の全てが壊れてしまうほどまじりっ気がなかったのだから。
今はいろんな経験や価値観があった上で物事を選び取っていくのがいいと思っている。いろんな面でおだやかな時間が増えたように思う。その代わりにあの頃のような全てを焼き焦がすような青い情熱は取り出せなくなってしまった。
わからなくなってしまったことを考える時に、自分が冷めてしまったのかなと不安を感じることがある。永遠なんてないという現実を知ってしまった僕にはもう二度と永遠は手に入れられないと思い込んでいたからだ。
「自分が変われば世界は変わる」という言葉がある。
最悪な世界だと思っても自分が見る角度を変えれば美しい部分が見えるようになる。世界は変えられないけど自分の見方を変えれば実質世界は変わる。ということだ。
それと一緒で自分が永遠は存在すると信じていれば何歳になっても何を知ってもそれはこの世界に存在できる。
一瞬で消えてしまった火花のような思い出がずっと忘れられない。忘れられないということは存在し続けているということ。考え方によっては永遠だ。
大人になっても恋をした瞬間というのは時間を歪める。1時間が仕事の1/10ぐらいの長さに感じたり、逆に周りが全て止まってしまったかのような感覚になったりする。
時間が止まったような一瞬。その瞬間だけを切り取ってみれば確かにそこに永遠は存在している。
こじつけでもなんでもいい。事実や現実をわかった上でそれを存在させるかどうかはすべて自分次第だということだ。
裏切りだって憎しみだって溢れている地球上で、それでも信じるし愛するよと言うか言わないかだけなのだ。
変に悟った顔で諦めるよりも、わかってるけどちゃんとあるんだという気持ちでいれたらいいなあと思う。