正しさにこだわる人は「違い」を恐れている

正しさにこだわる人は「違い」を恐れているのだと思う。


失敗をして怒られることとか、間違い無いと思っていたことが揺らぐ不安を「正しさの鎧」で防御していた。

誰が原因か分からないミスがあると犯人探しを始めてしまうのは自分じゃないことを主張するため。

とにかく傷つくことが嫌だった。

だけど鎧を固くすればするほど周りのすべてが否定という刃に思えてきて、やがて守ってくれるはずのそれのせいで身動きが取れなくなる。一人悲劇の主人公。なんて滑稽な喜劇だろうか。


ライブの打ち上げで先輩が持論を展開した。僕はそれに全然共感できなくて「押し付けられた」と感じた。そしてどんどんテンションが下がっていって俯いたまま何も言わなくなってしまった。

なんという面倒くさい後輩だろうか。先輩からしたら良かれと思ってしたアドバイスだったのだろう。

「あなたに傷つけられました」という態度で傷つけていたのはこちらだったのだ。

「違い」が「否定」に思える時は自分の正しさにすがってしまう。だから「正しさ」にこだわっている人は「違い」が怖いのだ。


違う意見が出た時に自分の考えに無理やり押し込もうとしてしまうことがある。間違っている方を決めなければと思い込んでいたから。

でも「ライブは熱さが大切」と言われて僕が「今は丁寧に歌いたい」と思ったとする。その時にどちらが正解か選ぶなんてナンセンスじゃないだろうか。

熱く歌う人がいても丁寧に歌う人がいてもいい。人の意見を聞いて心がざわついたところに大切なものが埋まっている。

「違い」はスパイスなのだ。

「人それぞれ」という言葉は遮断するためのものではなく、贈り合って認め合うもの。そう考えるようになってから随分と身軽になった気がする。鎧を脱ぎ捨てられたのだろう。

歌を歌うときも「こういう気持ちになってくれ」と思っていたけど、やっと自由に受け取ってほしいと思えるようになった。

悩みを相談してもらっても言ってほしい言葉は言えないかもしれない。それでも知っていること、感じていることを出していくしかない。

僕が発信するもの、共感してもらえたら嬉しい。してもらえなかったらちょっと寂しいけど、何かのきっかけや刺激に慣れていればそれもまたいい。

今はそんな気持ちだ。

[この記事の元になったツイート]


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後藤大
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