銭湯で水着を履きたい
人と関わる中で何が一番難しいかと言われれば「素を見せる」ことだと答えるだろう。
格好悪い自分もごまかさず、逆にこれができるという部分は謙遜せず、「これがそのままの自分です」と自分をポンと置いておけるようになりたい。
今日は弾き語りのレコーディングをしたのだけれど、実はバンドで録るよりも弾き語りの方がシビアだ。バンドはある程度音が重なるので、少しぐらいの下手さは紛れてわからなくなったりする。
勘違いされないように補足しておくと、複数の音が重なるからこその難しさもあるし、結局個々の力量が高いほど全体のクオリティーも上がる。シビアでないことなど一つもない。
ここでいうシビアさというのは「下手なものは下手です」と何のクッションもなくモロに突きつけられるという意味だ。
アコギ1本しか入れないということはちょっと指が当たった音や、力みすぎて一瞬ビビった音がそのまま聴かれてしまうこと。
僕は銭湯自体が苦手で、行かなければならないならタオルで隠せるとこは隠して入る。いっそ水着でも着て入りたいぐらいだ。
弾き語りを録音するときは銭湯で全てをさらけ出して「これが僕です!」と歩いていくようなものなのだ。恥ずかしくてたまらない。
少しでもいいものを残したいとイントロだけで135テイクも録り直しなんとかこれならいけるかというものを選んだ。
「素を見せるのは恥ずかしい」という理由で背伸びした目標に何度もトライすることでスキルが上がることもあるけれど、やっぱり等身大を無視したチャレンジには限界があるなあと思う。
裸が恥ずかしいなら筋トレしたりボディーケアしたり素を鍛えていくしかない。そのためにもこれが今の自分の実力なんだなと受け入れてとにかく出していくしかない。
レコーディングは強制的に本当に自分と向き合わされる。苦しいけどとてもいい経験だ。いい体を目指して頑張っていこうと思う。