大切なことは直接話すべきか
何か申し訳ないことをしてしまった時や、大切なことを話す時に直接顔を見ながら話したり、最悪でも電話で対応することを「できるかぎりそうあるべきだ」と疑わずに生きてきた。
たしかにそうしないと伝わらない気持ちというものがある。でも、もしかしたらそうしない方が伝わるようなこともあるのではないだろうか。
会うと緊張して詰まってしまう本音。恥ずかしくて素直になれない引っかかり。感情的になりすぎて整理できない考え。そういうものに邪魔をされるのなら手紙やメールで伝えた方がいい場合があると思うのだ。
ぼくは直接会うと上手く話せなくなる。それも含めて人と人との付き合いをできる人とは一緒にいたいけれど、できればある程度の距離がほしい。対面して話すというのは距離が近すぎるのだ。だから「大切なことは会って」という概念が心の負担になることは少なくない。
一番やさしくできる相手は遠い国で飢餓で苦しんでいる人ではなく、一緒に生活している家族やパートナーでもなく、近いけど近すぎない友達ぐらいの人ではないかと思う。
そばにいるというのもまた見えなくなるものや、ないがしろにしてしまうものがある。
そんなぼくにとって例えば「本」はすごくありがたい。押し付けるわけでもないけれど考え方や想いを見せてもらえている感覚になる。興味のないところは飛ばしても怒られないし、普通に暮らしていたら知らないままだったであろう面白いことはどんどん惜しまずに教えてくれる。
そして「音楽」もそうなのだ。
ファンの皆さんと直接のやり取りはぼくにとって少し近い。話したくないとか、嫌というわけではなく単純にコミュニケーションとして下手くそになったり、疲れてしまう距離なのだ。ライブの物販などで話をすると弾まなくなってしまうのは少し申し訳なく思っている。
だから曲、歌詞、ライブ、SNS、を通じて音楽を間に挟んで人とコミュニケーションをとるのが心地いいのかもしれない。
自分の書いた歌を歌って「ありがとう」と言ってもらえるのは、悩み相談を聞いて相手の問題が解決できたときのような嬉しさがある。高校生のころ友達に悩みを打ち明けてもらえなかったことが悲しかった。必要とされたいんだと思う。
もちろんそれを言い訳にしないように努力はするけれど、やっぱり一番しっくりくる、しんどくない距離感で必要としてもらえる、その間を繋いでくれるのが「作品」や「言葉」なのだろう。
しかも音楽のいいところはちゃんと温度も伝わるところだよなあ。
暮らしの中で「そばにいるひと」への接し方に音楽を挟むわけにはいかないけれど、その距離感でも何か音楽のようなアイデアを見つけられたらいいなあと思っている。「直接」にこだわらなくてもいいように。