「『時間が有限であること』を骨身に染みて感じる」は、現代人の特権ではない
最近、仕事やプライベートの時間を縫って、自己研鑽の為に時間を投資していると
「時間が勿体無い」
と思うことが多くなった。
「時間が足りない」ではなく、「勿体無い」。
感覚として分かりやすいのはお金だろうか?
「お金が足りない」と言うのは、『稼ぎが少ないからもっと欲しい』みたいな、他力本願な一面が見え隠れしている気がする。
一方、「お金が勿体無い」は、『頑張って稼いだものだから使い方を考えたい』的な、物事を一つひとつ丁寧に考えているように思う。
色眼鏡が酷いのは許して。
人の時間貯金は、生まれた時から概ね等しく分け与えられていると言う話をどこかで聞いたことがある。
その考えには正直、賛同しかねるが、私自身についてどうかと言われれば、そうなのだろうと納得する事はできなくもない。
「時間が限りあるもの」という思想は、多くの著名人やインフルエンサーによって、世界の隅々まで伝えられる。インターネット社会がもたらした恩恵だろう。
でも、直感的にはそうではないと感じる。
あんまり詳しくないけど、文化人類学系の本とか読んでるとよく出てくる、狩猟採集民の生活や思想は、「時間が如何に有限であるか」を前提に組み立てられている節がある。
※こういうのとか↓
※こういうのとか↓
そう考えると、工業化社会がもたらした生活の豊かさが、人間の脳みそを勘違いさせたんじゃないか
なんて考えることも容易だったりする。
人間は元来、自分に与えられた時間がとても大事なものだと理解していた。
現代人は、それを解らんどうしようもない存在になってしまったと悲しくなりそう。
でも、脱工業化社会になって、多少は自分たちが何者なのかを思い出せるようになってきたのだから、救いはある。少しはホッとできる。