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ストーンズを聴こう!その8 “We Love You”

英国では13枚目のシングルとして1967年8月18日にリリースされたが、8位までしか上がらず*、"I Wanna Be Your Man"以来の不作(不吉な13枚目というアナロジーもあったようで)となった。米国では9月2日に同じく”Dandelion”とのカップリングでリリースされたが、両A面の扱いであったたにもかかわらず、"Dandelion"をリード・トラックとしたためか、最高50位までしか上昇しなかった。ことほどさようにチャートアクション的にはイマサンの作品であった。
(*ビル・ワイマン著作の"Stone Alone"にはニュー・ミュージカル・エクスプレスでは4位というそれまでで最高のエントリー・ポイントでランク・インしたとの記述がある)

ジョンとポールがバックコーラスで参加しているのだが、即座にそれとわかる感じではない。ビートルズ派かストーンズ派かという論議は英国にもあったと思うが、実際には彼らは仲が悪かったわけではなく、とくに67年は頻繁にお互いのレコーディングに参加しあっている。


もっともそんなことはずっと後になってから分かったもので、当時レコーデイング・コントラクト違反の問題を避けるため、ミックはインタビューでその件に触れられると彼らの参加を否定し、あくまで「噂」として情報が広まったらしい。CDリマスター版"More Hot Rocks"に収録されたVersionはエンディングでジョンが"Your health!"とトウストするのが聴けるが、実はこれ、ネットで聴いただけで、僕自身はそのCD版"More Hot Rocks"を持っていないので、真偽のほどは確かめようがない。ジョンのこのトウストはアナログ時代には僕が知る限り、なかったミックスだと思う。

いまやYouTubeなどでいろんな音源を聴くことができるので、ほかにも面白い音源はないかチェックしてみたが、インスト・ヴァージョン があっただけで、ほかは見つけられなかった。


シングル盤に収録されたものはイントロに"Dandelion" が小さく聞こえるとレココレ増刊号のSTONED!に記述があるが、未聴だ(レア・トラックで知る奥深い世界by藤井貴之)。一方、アナログ時代から別Versionとして知られていたのが、日本の名編集盤"Gathers No Moss"に収められた冒頭にピアノが小さく追加されているものだ。

看守の歩く音、鎖を引きずる音、監獄のドアが閉じられる音などはBBCの擬音アーカイヴから持ってきたようだが、これらの効果音はこのシングルが、同年2月12日に手入れのあったRedlands事件に始まる一連の裁判劇が一段落して、一度は有罪判決を言い渡されたミックとキースが無事自由の身になるまでの間、彼らをサポートしてくれた人々へのお礼の意味を込めたものであるということを一層印象付けていると言える。

記録をたどってみると、この曲の録音は6月12、13日あたりにロンドンのオリンピック・スタジオで行われ、ジョンとポールのコーラスをダビングしたのが7月 13、14日のセッション、そして晴れて自由の身になったのが7月31日となっている。この効果音の録音も含めて、彼らが自由を獲得する前に制作されている訳だから、その時の彼らの心中は穏やかならざるものであったと推測できる。


自由の身になった日の前日、30日にはピーター・ホワイトヘッドの制作でプロモーション・フィルムが撮影されており、オスカーワイルドの裁判を題材にしてミック、 キースそしてマリアンヌがそれを演じている。まだ映像を自由に家庭でみることが出来なかった頃、どこかのストーンズ・フィルム・フェスティヴァルで初めてこれをみて、キースがへんなヘア・スタイルで登場 している事がひどく印象に残ったものだ。30日は日曜だったが、ピーターは撮影にあたり、月曜には制作が不可能になるかもしれないから強行したと述べている。

この年のストーンズは裁判劇に翻弄されただけでなく、News Of The World紙との攻防戦で始まったようなものだ。2月のレッドランズの手入れにもこのNOTW紙が大いにかんでいるが、まるで魔女狩りのようなこれらの事件をみていくと、表向きには6月25日のOur Worldでの衛星中継でBeatlesが”All You Need Is Love”を演奏して(ミックやキースも映っているのに)、Summer Of Loveのムードを高揚する一方で暗い捕物が行われていた事実があったことを思い知らされる。 レッドランズにはジョージとパティもいて夜を過ごしていたのだが、彼らが帰宅したあとで警察が踏み込んだというのもほんとうに出来すぎた話だ。

いまではこれらはすべて過去の出来事としてサマリーを知るしかないが、当時リアルタイムにはDay By Dayで進行していたわけで、いまのようにネットもない時代だから人々はマスコミ報道にいちいち驚いて反応していたのだろう。単にアイドルグループの騒ぎとするには、大き過ぎる出来事だったと思うし、ザ・フーがストーンズの曲を2曲緊急で録音してシングル・リリースしEvening NewsやEvening Standardに声明文を掲載したり、NOTW社を200人もの人が取り巻いたり(キース・ムーンも参加したらしい)、ミックとキースそしてブライアンが格好のスケープゴートに祭り上げられると同時に彼らを擁護する動きも高まって行ったようだ。またこの年は、3月から始まった欧州ツアーでは行く先々で暴徒騒ぎがあったり、空港での過剰な検閲があったり、ストーンズを取り巻く具体的な空気がピリピリしていく一方で、ポーランドまで進出し、西側のロック・バンドが初めて東側でコンサートを行ったこととして記録されるというダイナミックな動きをした年でもあった。

そんな状況をおさらいした上で、あらためてこのナンバーを聴くと、監獄関連の効果音以外でも曲のプロダクションがまるで火の手が上がっているかのように響いてくる。

ジョンがかつてヤン・ウェナーに語ったローリング・ストーン紙のインタビューで「彼らは僕らの2ヶ月あとに僕らがやったことをやっている。"We Love You"はもっともくだらない。"All You Need Is Love"ですからね・・・(註・翻訳されているのでニュアンスは違ってきていると思うが)」という発言をしているのを読んだ時、ストーンズを本格的に好きになる前のことだったからかなりネガティヴな捉え方をしてしまったのだが、この曲はむしろその年の初めに出された"Strawberry Fields Forever"からの影響が大きいのではないかと思う。とくに後半、暴れまくるドラムスとその間に繰り出される火炎放射器のようなフレーズ(メロトロン?)がBeatlesのその曲と似たような印象を強く感じさせる。

さらにこれはたいへんうがった見方だと思うが、この曲のリズムは、どことなく後の"Sympathy for the Devil"や"You Can't Always Get What You Want"につながっているのではないか。”Sympathy for…”のほうはサンバで”You Can’t Always…”はグラウンド・ビートだから直接のつながりや発展はないかも知れないが、サイケやアシッドな音楽スタイル真っ盛りのナンバーである"We Love You"においても、ダンスミュージックと言ってしまうとあまりに軽いが、とてもリズミカルなものを感じるのが面白い発見だった。

おまけだが、LPとしては、英国では69年の”Through the Past, Darkly”に収録されたのに、米国では72年の”More Hit Rocks”まで待たなければならなかった。

ごとう

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