「いい音」ってなんだろう(最終回)
ビートルズマニアの間では、”Please Please Me”のゴールドパーロフォン盤を聴かないうちは本当のビートルズのよさがわからない、という声をよく耳にする。つまり、彼らのデビューアルバムは英国盤でファーストプレスもしくはセカンドプレスのものを聴かないとダメなんだよ、という主張だ。ビートルズについて語るなら聴かないとダメ、という半ば脅迫にも似た言い方で、まるでビートルズマニアのパスポートであるような言い草だ。
僕はもう53年もビートルズを聴いているが、そのゴールドパーロフォン盤を聴いたことはない。いや、見たことすらない。そんなにすごいのか、なら聴いてみたいと思うが、価格も馬鹿みたいに高いので、買うわけにいかない。いくら出せば買えるのかは、世のオークションサイトを見てもらえばわかるけど、100万円という情報すら、ある。とても買えません。発売は1963年、ちょっきり60年前のLPだから、状態がよいものは稀だろうし、状態の悪いもので聴いてもどうなんだと言う思いもあるが、腐っても鯛、ゴールドパーロフォンの威厳はすり減った盤であっても「体験したか、しないか」という二者択一、まさにデジタルな世界なのかも知れない。
ちょっと見方を変えてみると、このアルバムが発売された1963年当時、一般家庭のリスニング環境はどうだったのだろう。電蓄?それとも電蓄に毛の生えたようなオーディオセット?そんなところが主流だったのではないか?すると、「ゴールドパーロフォンはスピーカーから音が飛び出して来て、まるでパンクロックのようだ」と言われても、そんな体験ができたファンは当時ほとんどいなかったのではないだろうか?ゴールドパーロフォンの真価が発揮されたのはずっとあとのことだったのだと思う。
さらに、セカンドアルバムの”with the beatles” はラウドカットと呼ばれるバージョンがあるとか、”Rubber Soul”にもそう言うのがあるとか言われているけど、これらもリアルタイムでそのアルバムを手にしたファンすべてがそれをフルに体験できたかどうかはかなり疑わしい。針が飛ぶのであとの方のプレスでは音圧を調整しているようだから、そう言った版の存在もそんなに多くはないのかも知れない。
ビートルズに関してはもうひとつ、やっぱ英国盤のモノラルを聴かないとダメ、という意見も根強い。リイシューのではなく、オリジナルのもので、それもマトが若い方がいいと言うわけだ。アナログ盤はプレスによってマザーがへたってくるからマトが若い方がいいと言うことなのだろう。また音像についても、モノラルはビートルズ自身がミックスに立ち会ったが、ステレオはエンジニアに任せていたからね、という事情もあるようだ。しかし、これは要調査ではあるが、欧州各国は別かも知れないが、アメリカも日本も、この「英国オリジナルモノ」でレコードがリリースされたのはやはりずっとあとで、日本は80年代の東芝の赤盤、アメリカはひょっとするとCD時代になって、音源が英国バージョンに統一されてからなんじゃないだろうか。日本もアメリカもモノでリリースはあったものの、それらはステレオバージョンをモノにミックスしたものなのだ。
ご存知のようにビートルズのレコードは「〜周年」でリイシューが今も続いている。ジョージ・マーティンの息子のジャイルスが手掛けているわけだが、ジョンもジョージもいない中で、ポールとリンゴが制作現場に立ち会っているという話は聞かない。むしろ、出来上がったものを聴いて「さすがジャイルス」などとコメントしているようじゃないか。メンバー不在のリイシューと言うのは、歴史の長いバンドの宿命だが、ビートルズの場合は身内とでも言える人物がやっているので、なんか魂の領域で繋がっているような感じではあるだけましだ。
話は冒頭に戻るが、ゴールドパーロフォンがそんなに唯一無二のものであるなら、ジャイルス君、どうか、今のテクノロジーで、そのサウンドを2,000円くらいのCDで簡単に聴けるようにしてくれないか。誰も聴いたことがないホームデモの発掘やドルビーアトモスは、それはそれでいいから、君がやるべきはゴールドパーロフォンの再現なんじゃないか。”Please Please Me”の60周年も、もう半分近くにまで来てしまったぜ。ファンタスティックなホンモノのビートルズのサウンドを普通のファンに解放して欲しい。これぞまさにタイムカプセル、ロックンロールの歴史における価値だけにとどまらない、衝撃の作品のリバイバルとしてずっと後世に残り続けるだろう。
(終)