映画「セッションマン」を観た
年寄りしか出てこない映画である。
それもそのはず、チラシの解説に「30年以上にわたるロック人生において数々のミュージシャンと共演し愛された“最高のセッション・マン“の物語を、彼を知る仲間たちが語る」とのくだりがある。登場するミュージシャン全員を調べたわけではないが、共演経験者の中で目についたところでは、Slim Jim Phantomが1961年生まれで一番若く、その次がDexys Midnight RunnersにいたHelen O’Haraが僕より一つ若い1956年生まれ(もうすぐ70)、その次は1951年生まれのNilsLofgren(73)そして1950年生まれのGraham Parker(74)と続くが、最年少でも還暦過ぎという状況で、そのほかは副題に「ローリング・ストーンズに愛された男」とあるように70台後半から80台の後期高齢者が中心と思われる。共演していないと思われる登場人物の中では、ニッキーのフレーズをデモしてみせる役回りのPaddy Milnerが1980年生まれとダントツに若いようだ。
年齢にこだわって書き始めたのは、いくつか理由というか映画を観ていて、思い巡らせたことがあるからだ。
僕の場合、所謂「アフター・ザ・ビートルズ」世代で且つストーンズにも急速にハマっていったから、Nicky Hopkinsとの出会いは、ごく普通にストーンズの「山羊の頭のスープ」であり「イッツ・オンリー・ロックンロール」といったアルバムで顔と名前を知り、そこから少し遡るように、すでに聴いていたジョン・レノンの「イマジン」、ジョージ・ハリスンの「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」といったアルバムにも参加していたのか・・・みたいな経緯だった。ビートルズが解散し、彼らがソロでレコードを出す時、ウィングスを組んだポール以外はセッション・ミュージシャンとやっていたし、ストーンズもコアの5人に鍵盤やホーンを加えて活動していた時期だった。また映画でも語られるが、ニルソンのようにビートルズ、ストーンズ両方の人脈でレコードを作るみたいなケースもあり、そこでもNicky Hopkinsは大活躍していたのである。
思えば、70年代になってセッション・ミュージシャンを知ることによって、誰かのアルバムにその名を見つけると、聴いたことのないアルバムの音楽的傾向を推測したりして聴き方がどんどんマニアックになっていったし、同時に音楽界も優れたセッション・ミュージシャンが、それぞれ得意の音楽傾向を持ちながらも、あちこちに顔を出していた時代だったと思う。
僕の中では1974年がパンクロック以前のロックにとっての黄金時代のピークであり、セッション・ミュージシャンが重宝される(という言い方は失礼な感じだけれど)時代は、パンクロック登場までだったんじゃないかと思っている。その意味からも、映画「セッションマン」に出てくる人たちが築いたロックは、今ではクラシックロックと呼ばれ聴き継がれてはいるが(パックロックにさえ「クラシックパンクロック」というのがあるようだが)、歴史上の大いなる遺産となってしまった感は否めないと思う。「リアルタイムとしての背景」から切り離された分、純粋に音楽として楽しんだり研究したりすることができるのは一つのメリットだと思うものの、ポピュラー音楽であるからにはリアルタイムなものにこそ価値があるのだとも言えると思う。
さて、映画では、上述のPaddy MilnerやChuck LeavellがNickyのフレーズをデモしてみせるのだが、比較する事自体無理があるとは承知の上で、やはり、Nickyのタッチは独特で真似など出来ないものだと悟った。クラシック音楽の素養とブルース、ガスプー、ブギウギといった音楽の両方に優れていたがゆえに、誰にも真似ることができないプレイとフレーズを繰り出すことができたのだと思うし、演奏は肉体でやるものである以上、その人物のフィジカルな佇まいや性格も作り出す音楽に大きな影響を与えているのだと改めて感じた。
年齢のことでもう一つあるのは、ニッキーに影響を受けた若いミュージシャンも絶対いるはずとは思うものの、誰がそうなのか、すぐに出てこないが、あの時代は2度と来ないし、いまにニッキーをインパースンで知る人がすっかりいなくなってしまう時代は必ずやってくる訳で(ニッキーに限ったことではないが)、このような映画が作られて、この後も残っていくことを考えると、ニッキーの人生のうちのほんの微々たる90分であるけれども、レコードからは知り得ないことを知ることができるのは、本当によかったと思うのである。
Goteaux