「いい音」ってなんだろう(その2)
僕にとっては70年代が家で「いい音」でレコードを聴くと言うことに関しては全盛だったんじゃないかと思う。70年代初頭、家庭用ステレオはまだ家具調のものが主流で、当時「いい家」には応接間というのがあり、その壁際に置いて、使わない時は白いレースが掛けてあったりした。そのステレオで、ちょっとでかい音で音楽を聴けるようになったのだ。そうそう、僕のビートルズとの出会いもこの家具調ステレオで、当時テレビでやってた東芝ステレオ「ボストン」のコマーシャルだった。映画「レット・イット・ビー」の一部をフィーチャーした贅沢なもので、髭面のポールの顔を覚えている。
友人の家にはボストンではなかったが、その家具調ステレオがあった。その友人は僕らが集まると、いわゆるステレオ効果のデモレコードを掛けて、音が左右に動いたりするのを自慢した。そんなの初めてだったから、音を追って右のスピーカーから左のスピーカー、そしてまた右へと顔を向けた。そして買ったばかりの「出発の歌」を掛けて、ラストの「♫さぁぁ、いま!〜」から盛り上がるところでグッとヴォリュームを上げると大きな窓のカーテンが「ザザァ〜」とたなびいたので、僕らは本当にびっくりして、おおっ、スッゲェ!もう一回やって!と興奮したものだ。またその友人は、その家具調ステレオで、当時の最先端、4チャンネルステレオも聞かせてくれた。音が回る!みたいなキャッチコピーが雑誌のレコード広告にあったが、音が回ることはそんなに重要ではなかったとみえ、4チャンネルはあまり流行らなかったように思う。音が回るかどうかはおいといて、そんな調子で家庭に「いい音」がやって来たと思う。
一方僕はシコシコとFMラジオでせっせとカセットに録音していたわけだけれど、前回書いたヒスノイズは如何ともし難かったので、ドルビーノイズリダクションとかクロームテープなんてのが出て来て、興味を惹かれた。しかし、ドルビーは僕自身は音がくぐもってしまう気がして好きになれなかったし、クロームはちょっと高価だったので、もっぱらローノイズと謳ったのを買っていた。
そしてまもなく、時代はコンポ、自分の部屋でステレオを楽しむことへと移っていった。僕も初めてのバイトで得たお金で秋葉原へ行き、ステレオレシーバーやベルトドライヴのレコードプレイヤー、そしてクリスタルヘッドのカセットデッキと次々に揃えていった。レシーバーはパイオニア、プレイヤーはCEC中央電機、どちらも2万円台、デッキはヘッドの減らないAKAI製。これが一番高くて5万円近くした。スピーカーだけはSONYの黒の11に繋いでいた長岡鉄男の屏風型スピーカーシステムを引き続き愛用していた。これは週刊FMに載った、襖大のハードボードを4つに切って、屏風のように組み合わせ、16cmフルレンジを左右に一発ずつ嵌め込んだもので、専門的には無限バッフルに該当するものだったとあとで知った。とにかく安くいい音をという氏の考え方に同意して自作した。11はラジオにしてはパワーがあったが、レシーバーに繋ぐと隔世の感があった。
オーディオはそれを趣味とする人たちがいて、正統的なアプローチで「いい音」を追求していた。僕は当時のオーディオ御三家のひとつパイオニアに就職したので、そういう人と接する機会やそっちの世界も傍観出来た。視聴用ディスクには和太鼓やSLなどがあり、試聴室でデカい音でそういうのを聴きながら、ああでもないこうでもない、とやってるのを見て、ううむ、そう言うの聴いて面白いのか!?と不思議に思っていた。それより、ビートルズのルーツを探り、語る方が断然面白いと信じてたので、ロンドンのオーディオフェアに行った際、ストーンズのファーストアルバムで試聴をやっているのをみて、やっぱ本場は違うじゃん、と思ったものだ。
仕事柄、英国や欧州のオーディオ評論家の立ち合いで、開発中のアンプやCDプレイヤーの音のチューニングに立ち会うことが頻繁にあって、面白かったのは、「オーディオはスペックじゃない、ミュージカリティだ」と言うのを体験したことだ。
オーディオといえば世界的にS/Nがどうのとかワウフラッターがどうのとか歪みがどうのとかとかくスペックで競争していたが、英国のアンプは歪むけど音がいいぞ?と言うことになり、やっぱ聴感と感動じゃないか、と言うことで、チューニングも無音のスタジオはやめて民家の居間を借りて行うようになった。英国ではアンプは”Wire with gain”と呼ばれ、とにかく入り口から出口までストレートにという思想で1モデル作ったら、英国始まって以来の大ヒットとなった。英国はそうでもドイツはスペック重視の風潮だったのだが、やっぱミュージカリティなんだよ、と言う考え方で接すると、おお、そうだよな、となってスペックがよいだけでは音楽再生器としては物足りないという当たり前のことを学んだ。
(続く)