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短編小説|植物状態の僕にできること
僕は、病室のベッドに丁寧に寝かされている。
事故による頭部外傷の後遺症で、身体を動かすことができなくなった。
いや、現実はもっと厳しい。
僕は全ての意思疎通の手段を失い、周囲の人たちは僕に意識がないと思っている。
いわゆる植物状態だ。
ベッドの脇には、僕の名前「つかだまさき」と書かれている。
繋がれた点滴は、体外へと拡張された血管のように、生きるための養分を注ぎ入れる。
この部屋に運び込まれて、3ヶ月が経とうとしていた。
僕の眼は開いているし、耳も聴こえる。
脳幹は機能しており、反射や自律神経機能は保たれている。
しかし、全ての反応は僕の意思とは無関係に行われる。
世界を五感で感じることができるのに、世界の全てから隔絶されていた。
僕のベッドの隣では、女性が座って本を読んでいる。
黙って本を読み続けている。
彼女の名はゆかり、僕の婚約者だ。
毎週、火木土に病室にやってきて、僕の世話をする。
同棲していた部屋で過ごした時と同じように、僕たちは黙っている。
同じ空間で別のことをして、たまに他愛のない会話をした。
それが心地良くて、それが僕にとっての幸せだった。
けれど、今はこの時間が幸福であると同時に、悲しくも悔しくもあり、なにより申し訳ない気持ちになった。
彼女は28歳。
結婚に向けて準備を進めていた矢先に、僕は交通事故にあった。
彼女の両親は僕のことは忘れて、他の人を探すように説得しようとした。
両親が娘を思う優しい言葉。
泣きじゃくる、ゆかりの声。
僕は病室の天井を眺めながら聞いていた。
僕の両親とも話し合いが行われ、母さんは「息子のことは気にせず、自分の人生を歩んでほしい」と伝えていた。
ゆかりを帰した後、母さんは声をあげて泣いた。
母さんの嗚咽の隙間に、父さんの啜り泣く声が聞こえる。
その後、3ヶ月間の猶予が設けられ、両親とゆかりが交互に病室を訪れるようになった。
そして、今日が3ヶ月の期限の日だ。
彼女はパタッと本を閉じて、僕に近づく。
僕の顔を傾けて、お互いが見える位置に座り直す。
ゆかりが言葉を紡ぎだす。
「まさき、これで会えるのは最後になるね。
付き合って3年、色々な所に行って、凄く楽しかった。
覚えてる?付き合う前に水族館に行ったとき。
まさきがやたら詳しくて、後で聞いたら、デートの準備で、1人で下見までしたって言い出して。
私は凄く笑ったけど、あの時に誠実で真面目な人で、素敵だなって思ったんだよ。
同棲を始めた時も、バスタオルを凄く綺麗に畳んでアメニティまで用意してさ、ホテル仕様で御迎えしたいとか言って。
最初だけとか言いながら、ずっと変わらずに私におもてなしをしてくれたよね。
あの日も、私を実家まで迎えにこようとして、わざわざレンタカーまで借りて。
ねえ、迎えにくるなら、ちゃんと最後まで来てよ。
私をずっと大切にしてくれるって言ったじゃん。
私がまさきの優しさに甘えたから、まさきは。
ごめんなさい、まさき」
ゆかりは僕の手を握って、泣いている。
生まれたての赤子のような、声にならない声が病室を虚しく埋め尽くす。
僕は植物状態になって、ずっと考えていた。
今の僕に何ができるだろうか?
動けるようになる可能性があるのかも分からないのに、ここに縛り付けにしていいのだろうか?
僕の答えは出ていた。
彼女が僕を忘れられるように送り出すと。
けれど、僕の目からも涙が溢れそうになっていた。
何一つ自らの意思で反応ができない身体になっても、心だけはその奔流を世界に向けて発露していた。
僕は溢れる激情を必死に抑え込む。
意識があることが伝われば、僕は延命されることになる。
そうすれば、ゆかりはこれから先もずっと僕という僅かな可能性に囚われてしまう。
僕は耐える。
これが僕にできること。
植物状態の僕にできること。