2024立冬日記
ものすごく久しぶりに音楽のある場所へ言った。それも、土日続けて。
choriさんとの出会いとか、愉快な(?)思い出については「李白訳『金星捉月』と詩人choriのこと」に書いたので、別れにあたり自分の気持ちを整理するために書いておく。
訃報を聞いたからといって、実家がやんごとない人だから、お葬式に出たりちょっと仏壇拝ませてくださいというわけにもいかないでしょう。
近しい人がイベントを開催してくれて、それはもちろんライブハウスで、choriさんが好みそうなスタイルで。
タイムスケジュールは公開されていなかったから、知らない人のステージを観る気分ではないなあと思いつつ都合のつく時間に足を向けた。
こういう機会がないとお別れした気にならないとわかっていたし、みっしゃんさんにも挨拶しておきたかったのが一番だった。
変な言い方かもしれないけど、死んでしまったものは仕方がない。もう生き返らないからだ。
けど遺された人は生きているから、だからそのために行った。
自意識がカンストしていたような詩人だから、集まってくるのはそんな彼に惹かれ親しんだ人たちらしく、演奏されるのも自意識たっぷりの歌や朗読とか。「ざまあ」とか悲壮感たっぷりに叫ぶ人もいたけど、半分は自己満足みたいな場だからそれもいいのだろう。「僕の作品の中でchoriさんが好きって言ってくれた曲をやります」とかも、わたしには全然わからない。たまに、あ、これchoriさんのことを言ってるんだなとわかるものもあった。そういうものには素直に心を寄せることができた。でも別にどういう種類の演奏でもたとえ右から左でも、よかった。だってこれは結局残された側の人間の為の催しだから。それに、こういうひと時を過ごすことでお別れした気持ちになれるのなら、それ以上の別れ方ができなかった人間にとっては、やはりありがたい。著名な人の「お別れの会」も同じようなことだろう。
でも結局は幕間に流れてくる、choriさんの曲だけをえんえんと流すSEがあればそれで十分だった。十分に耳になじんだ曲ばかりで、久しぶりに聴いても/久しぶりに聴いたからこそ?心を突き刺してくるような名曲ばかりだ。「アートアンドマインド」とか久しぶりに聴いた。「たべもの」はリリックは谷さんなんだけど、初めてnanoでchoriさんの朗読バージョン聴いたときに、朗読で涙が出てくるのはさすがに初めてだと思ったものだった。SEは新譜の宣伝を兼ねているんだろうなあという予想はつくけど、ほとんどすでに持ってるからどうしようかなあというのが正直なところ。
そんなわたしでも、もしchoriの音源を2時間ずっと流す会とかあったらライブチャージ払って普通に飲みに来ると思う。同じものが自室で聴けるとしても、空間を求めに行くという意味で。
みっしゃんさんと菊さんとは二言三言交わしたけれど、choriさんの話はしなかった。すくなくとも、「残念だったね」とかは言わなかった。みっしゃんさんのことだけは本当に気にかかっていたから、体には気を付けてねと二回くらい言ったけれど。大事なことなので二回言ったのだ。
わたしがこんなふうに冷静で(冷めて?)いられたのは理由がある。
実はこの前の日、choriさんを知っているギタリストの友人と少し言葉を交わす機会があった。小さなライブ会場でなら三人で一度顔を合わせたことがあるかどうかという感じだけど、各々のことなら互いによく見知っている。choriさんとKさんはめちゃくちゃ友人ってわけではないと思うけど、わたしは以前までどちらともよくプライベートで遊んでもらっていた。それぞれかっこいい兄貴分である。
このときわたしは、「choriさんの一番かっこいい時代を知らないんですよね(chori bandの頃を指す/そのころまだ出会ってない)。もっとやりたいことあったはずなのにな」というような言葉を口にした。けどKさんはまじめな顔して「いや」と言った。
「●●(ゴタンダをさす。Kさんはわたしのことを本名でしか呼ばない)も、身内の人も、何度も酒辞めろって止めたんやろ。それでも直らんかったやろ。近しい人はもちろんつらいと思うけど、あいつはやりきってるはずやで」
Kさんはchoriさんより一つ年上で、界隈ではわりと顔の広い先輩だ。ここ数年で親しい人を何人か見送ってきたらしく、結構堪えているらしい。年下に先立たれるときついわと乾いた声で言う。
数年前、彼がもう人生折り返しだとかなんとか達観したようなことを言っていたことを思い出す。まだ若いだろと思ってたけど、それは健康寿命というよりも、ギタリストにとってステージで弾き続けられる年数のことなのだと気づいたとき、ギタリスト人生においてシンプルな考え方だと感心したものだった。でもそれはchoriさんもそうだったかもしれない(参考:「選んで生まれてきたわけではないけれど ぼくは個人的にこの国にはちょっとばかり借りがあるから」(「ぼくたちはなんだかすべて忘れてしまうね」より)。だから、そんなKさんが、フロントマンだったchoriさんを「あいつはやりきってるはず」と言うのなら、それは断然choriさんに寄り添った言葉なのかもしれなかった。わたしもKさんも最近までchoriさんに会ったりしていたわけではなかったけれど、少なくともKさんはそう信じていた。こういうのって逆張りかもしんないけど、けどそう信じるのは悪くないなと、思い直すことにしたのだ。
「人が死ぬたびにもっと会っとけばよかったとかライブ行けばよかったとかいう後悔なんてナンセンスだ(=ライブに来てほしい)」というようなことをしょっちゅう啓蒙していたchoriさんは、すでに詩人など若い友人に何人も先立たれていた側の人でもあった。だから実際にchoriさんが死んじゃったときに、愚かにもそういうたぐいの後悔が胸中に押し寄せたとして、ネクタイなんか締めたよそよそしい遺影の前では絶対に思うべきではない気がした。もう何年会ってないのか、最後に会ったのがいつだったか、最後に交わした言葉が何だったかも忘れたくらい薄情だけれど、20年後とかならもういっかい仲良くしてやってもいいかなとは思っていた。でもその時までchoriさんが命をもたせられなかったことについて、わたしがとやかく言える筋合いはない。
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