2023立春日記
なにもかもがいやだったモラトリアムの頃は、春が来る気配すら疎んじていた。空気がぬるんでくるのを察知しただけで、ぴりぴりと澄んだ冬の呼吸にいつまでも閉じこもっていたくなる。世の人々が春の気配に浮かれ始めるのも許せなかった頃のことです。お花見の予定を立てたってどうせ雨だし、満開の頃にうまく調整できるわけでもないし、と、なにかにつけて悲観的になっていた。花粉症もましなほうなのに、あれはいったいなんだったんだろうと思う。
二月の思い出は長らく灰色の部屋に瓶詰めにされていた。あの立春の頃もそうだった。北向きの2DK。寒いのに窓は開けっぱなしだった。月の土地の権利書。背丈以上の観葉植物でジャングルのようだったリビング。それからローカルな駅前。ミルク色の空。チョコレートと万年筆。
ギタリストの従兄にふとした拍子でテニスコーツを教えてもらってから、Baibaba Bimbaを聴くとなぜかあの、まるで永遠に冬と春のあいだみたいな、あの泣きだしたくなるような季節のことを思い出してしまう。今でも春先に無性に聴きたくなる。
あの二月のテラリウムを、そこに住んでいた人と一羽の小鳥のことを、思い返すたび黒く塗りつぶされるかのような日々が、後になっても長く自分を苦しめることになった。けれど、それらを忘れることはなかったのは、この曲がとても好きだったからかもしれない。
それからはずいぶんといきあたりばったり気味にやってきたけれど、わりといろんなことを肯定的に思えるようになってきたように思う。たいていのことは別のことで埋め尽くせば気にならなくなる。脳のキャパシティの限界を把握し、時間を積み重ねることにも慣れた。それからはただ立春の特別感だけがぼんやりと残ってしまったみたいで、「迎春」の「春」を許せるようになったばかりか、一日一日と日が長くなっていくことにも晴れやかで、梅を見つけると匂いをかぐために近寄っていくようになった。だから友人が板前として働いている、懇意にしている割烹がテイクアウトで恵方巻を出すと聞いたときは、校了前のスケジュールにもかかわらず仕事を早めに切り上げるための前向きな算段をつけた。
いきあたりばったり気味にやってきたけれど、あのころは想像もできなかった、憧れのキャリアにも一応就くこともできた。今回の繁忙期は去年の七月から続いており、その中でゴタンダクニオの新刊を出したりイベントに出たり、よくもまあこんなに…という感じの半年だったが、とうとう終わりが見えてきたのだから、金曜夜に仕事をきりあげてちょっとくらい飲んでもバチは当たらない。この割烹には具体的かつ物理的な恩があり、この店の人たちに会うことでそのころのことを思い出す。恥ずかしいような、温かいような気持ちでお猪口に口をつけると、冬であろうが真夏であろうが体がぽかぽかする。自分にまだ謙虚な気持ちが残っていることを確認できるような……。すぐにいい気分になってしまうのだけれど。
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