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小説「升田のごとく」・第17話

「筆文字のスキャニングが、すべて完了しました」
 三沢のオフィスの打ち合わせテーブルでコーヒーを飲んでいると、若いオペレーターがやってきて、そう報告した。
「行きましょう、増田さん」
 三沢に促され、コンピュータの並んだ作業ルームへ入っていく耕造。
 パワーマックG4の前にオペレーターが着席し、その左右の椅子に、三沢と耕造も腰を下ろした。
 作業、開始だ。三沢の指示に従って、オペレーターの青年が操作を進めていく。最初の筆文字が、ディスプレイいっぱいに大きく並んだ。

「新手一生」

「すごい迫力だ。惚れ惚れするね……」
 三沢が、感に堪えない様子で呟いた。升田の筆致が、プロのデザイナーの心を動かしたことに、耕造は胸を躍らせた。
 次にディスプレイに現れたのは、8つの文字だった。

「着眼大局着手小局」

「うん、これも素晴らしい。野性味たっぷりだ」
 満足そうに頷く三沢に、耕造が訊いた」
「局の字が2つあるけど、どっちがいいかな?」
「大局の局がいいでしょう。こっちの方が文字が太いから」
 その指示を受けたオペレーターが、マウスとキーを操作すると、7つの文字が消えて、画面に1文字が残った。

「局」

「さあて、問題はここからだ。慎重に頼むよ」
 三沢の言葉に頷くと、オペレーターは「局」の字を画面いっぱいに拡大した。そして、マウスを小刻みに動かしながら、文字の改造に取り組んだ。
 数十分後、「局」の文字から不要な部分が取り除かれ、シンプルな字画だけが残った。

「尸」

「オーケー、オーケー、上出来だ。よし、次、行ってみよう」
 三沢の声が、3本目の扇子に揮毫された筆文字を、ディスプレイに呼び出した。

「古今無双」

 オペレーターは、そこから3文字を消し去り、「古」の字だけを残した。そして、それを先ほど作成した「尸」の下へ移動した。文字の拡大と縮小を丹念に繰り返しながら、青年は見事に作字を成功させた。数時間前、耕造がオフィスに持ちこんだ3本の扇子の中の、どこにも書かれていなかった文字が出現したのだ。

「居」

 いよいよ、最後の仕上げだ。
「新手一生」の「手」を「居」と入れ換え、バランス良く4文字のレイアウトを整えて、ついにそれは完成した。

「新居一生」

 升田幸三の文字で、増田耕造が書いた、ふたりのマスダコウゾウによる、共作コピーだ。

 やりましたね、増田さん」
 プリントアウトされた4文字のフレーズを見ながら、三沢が賛嘆した。
「新居一生。素晴らしい言葉じゃありませんか。まさに、ビッグプロジェクトのデビューキャンペーンに、ぴったりのキャッチフレーズ。しかも、これだけ強烈な筆の書体なら、メインビジュアルとしてもバッチリ使えますよ。新聞の見開きいっぱいに、この4文字をデカデカドッカーンと並べたら、恐ろしいくらいのインパクトだろうなあ」
 その言葉に、嬉しそうな笑みを浮かべて、耕造は言った。
「あとは、バックの処理をどうするか、だね。モノクロじゃなくて、カラー広告だから。筆文字の迫力を際立たせる、上手い方法があればいいんだけど」
「まかせてくださいって」
 三沢が答える。
「こう見えても、30年間、デザインでメシ食ってますからね。最高の仕上げをご覧に入れますよ。せっかく増田さんが、病み上がりの体でここまでやってくださったんだから、こんどは私が頑張らなきゃならないのは当然でしょ」
 耕造は頷いた。そして言った。
「それじゃあ、残りのコピー素材は明日にでもメールで送るから。最高のデザインを期待してるよ」
 印刷された「新居一生」の文字と、3本の扇子を受けとると、三沢のオフィスを後にして、耕造は再びモミガラ書房へ向かった。

「どうも、ありがとうございました。おかげさまで、いいものが作れました」
 深く頭を下げながら、耕造はモミガラ老人に扇子を返した。そして、あの4文字が印刷された紙を、広げて見せた。
「なんとまあ……」
 老人は目を丸くし、驚きの声を発した。
「新居一生……。升田の字や……。これ、誰が書いたんかいな? 升田はもう、この世にはおらんのに……」
「コンピュータが書いたのです、扇子の文字を組み合わせて。言葉を考えたのは私ですが」
「ふえーっ。とんでもない時代になったもんやなあ……。けど、ええ言葉やねえ、これ。新居一生……。家の宣伝文句かいな?」
「その通りです。とても画期的で、堂々とした家の。その素晴らしさを表現できるのは、升田幸三の筆致しかない。そう考えた私は、新手一生という金言からヒントを得て、この言葉を作ったのです」
 耕造の説明に、老人は納得した表情で頷いた。
「さよか、さよか。増田はん、よう考えなはったなあ。よう頑張りなはったなあ。天国におる升田も、きっと感心してくれると思うよ」
 耕造は訊いた。
「ご家族の方々は、どう思われるでしょうか?」
「うん?」
「偉大なる棋士が、魂をこめた、言葉と筆跡。それを広告に使うことを、升田家の方々は許してくださるでしょうか? しかも『新手一生』を『新居一生』と変え、広告の企画競争の段階から使用することを、認めてくださるでしょうか? モミガラさん、私が話をしているのは、いわゆる著作権に関することです。升田幸三の書は、著作物ですから、それを広告に使うためには、企画原案の時点で、著作権者の方に使用の許諾をいただかなくてはなりません。そして実際に広告に使うことが決まった際には、どのような媒体に、どれくらいの期間使うのかなどの条件を明らかにした上で、それに応じた対価を支払う契約を結ぶことが定められているのです」
「うんうん、それで?」
「升田幸三が亡くなった後、彼の著作権を受け継いでいるのは、ご家族の方でしょう。ですから私は、すぐにでもその方と連絡を取り、この新居一生の文字を広告に使う許可をいただけるように交渉をしなければなりません。モミガラさん、升田家の電話番号とご住所をご存じですか? 差し支えなければ、教えてください」
「うんうん、ええよ」
「ありがとうございます。でも、実は、心配なのです……。もしも断られたら、どうしようかと……」
 不安に曇る、耕造の顔。
 その様子を見て、老人が優しく言った。
「大丈夫やで、増田はん。心配はいらんよ。升田家の人たちは、みんな、ええ人ばかりや。ワシは今でも、升田のご家族とは親交があってな。こんどの正月も、年始のご挨拶がてら遊びに行って、昔話に花を咲かせようと思うておったところや。大丈夫やで、増田はん。広告の件については、明日にでもワシの方から電話をして、了解をもろうてあげるから。そしたら、その後、あんたが電話をして、詳しい話をしたらええ」
 モミガラ老人の口から出た、心遣いの言葉に、耕造は感極まった。
「あ、あ、ありがとうございますーっ!」
 涙声でそう叫びながら、彼は、この日、二度目の土下座をした。

 ちょうど、その頃。
 銀座1丁目の三沢のオフィスで、電話が鳴った。
応対に出た事務員が、三沢に声をかける。
「社長、新富エージェンシーの西川さんからお電話です」
 受話器を取ると、彼は話し始めた。
「どーも、どーも、三沢です。はい。はいはい。もう少しで完成するところです。ええ、ええ。7時ですね。分かりました、7時にカンプチェックにお見えになるということで。はい、お待ちしております。よろしくお願いいたします」
受話器を戻し、三沢は椅子から立ち上がった。
そして、にやりと笑った。
よしよし。西川コピー案も、増田コピー案も、予想以上の出来栄えだ。上手く行けば、どちらかが新富エージェンシーの社内コンペを突破することだろう。
さらに、もおっともっと上手く行けば、ひょっとして30社コンペも……。
 よしよし、よしよし……。

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