みかんの色の野球チーム・連載第37回
第4部 「熱狂の春」 その9
「気をつけて、行って来んせ」
母と妹たちに見送られ、午後6時半、父と私は玄関を出た。
父の右手には、旅行鞄。私の背中には、リュックサック。
下着の着替えや洗面用具の他に、父は焼酎とウイスキーの小瓶とツマミを、私は水筒とジュースとお菓子の類を、それぞれ荷物として用意していた。
愛用のスケッチブックと赤いマジックペンも、もちろん必需品。私のリュックサックには収まらないので、父の鞄の中に入れてもらっての出発だ。
庭の桜に目をやると、七分から八分咲きくらいの状態だった。明後日の午前、帰宅して来る頃には、花は満開になっているだろうか。
2人で夜道を歩くこと、15分。
到着した津久見駅の前には、賑やかな光景が広がっていた。
青い車体に「豊後交通」と白文字の入った大きなバスが、12台。
それらを取り囲み、さんざめきながら順々に乗りこんでいる人たちは、果たして何百人いるのか数え切れないほどだった。
私は、ふと、修学旅行のことを思い出した。
去年の5月。6年生になったばかりの160人たちは、津久見駅から特別列車に乗って日豊本線を南へ。4時間かかって目的地の宮崎に着いたのだが、あのときも、この駅前やホームは、見送りの父兄たちで賑わっていた。
だが、今夜のごった返しぶりは、10か月前とは比べものにならない。
これから始まるのは、子供たちの記念旅行ではなく、野球の戦場へ向かう津久見市民の緊急出動なのだ。
汽車ではなく、バスで。南ではなく、北へ東へ。4時間ではなく、15時間をかけての長距離遠征なのだ。
「おう。おまえも行くんか」
そのとき、後方から声がした。
振り返ると、見慣れない顔をした子供が6人、立っている。男子が4人、女子が2人のグループだ。
「たしか、石村じゃったのう。久しぶりじゃあのう。俺どーを覚えちょるか」
その中の1人に、自分の名前を呼ばれ、記憶をたどっているうちに、私は彼らのことを突然思い出した。深大寺ユカリの誕生日会でいっしょになった、セメント町の青江小学校の、あの生徒たちだ。
「おう! 久しいのう! おまえどーも、津高の応援か!」
思わぬ再会に、私が大きな声を返すと、
「当たり前じゃあ! 津久見のこっち側とあっち側に分かれちょっても、心はひとつじゃろう! あの日、おまえが演説した通り、みんなの津高をみんなで応援せんとのう! 優勝目指して、甲子園のスタンドで、力いっぱい応援しようやのう!」
「おう! 力を合わせて、応援しようやのう!」
私は、6人のひとりひとりと握手を交わした。6つの手の温もりから、みんなの意気込みが伝わってきて、とても頼もしい気分になった。
「おい、太次郎。そろそろ乗るぞ」
父の声に促され、彼らに手を振りながら、私はバスの方へ向かっていった。
午後7時を、10分ほど回った頃。
乗客全員のそろった12台のバスは、津久見駅前を次々と発車した。
市街地を出ると、窓の外は真っ暗になり、どこを走っているのか分からなくなった。
「これから坂道をぐるぐる登って、下りて、峠を越えたら、臼杵の海岸線。それからまた山の方へ向こうて、でこぼこの道を、ぐるうーっち1時間くらい走ったら、大分じゃあ。バスがガタゴト揺れて、ケツが痛えのは、そこまでの辛抱。大分からは、国道10号じゃあけん、スイスイ行くぞ」(※注)
隣の席から、父が教えてくれた。
仲よし5人組のうち、このバスに同乗しているのは、後部座席のブッチンだけ。カネゴンは中央商店会の人たちといっしょに先頭の車両に乗っているし、ペッタンとヨッちゃんも、別のバスだ。
私は席から伸び上がり、車内の後方を見やった。
そこには、みかんの缶詰工場で働く人たちと、その家族が20人くらい。ビールやジュースを飲みながら、楽しそうに談笑している。去年の秋に過労で倒れたブッチンの母親も、すっかり元気な様子で、とても嬉しそうな顔をしている。ブッチンが私の視線に気づき、にっこり笑って手を振った。私も手を振って返した。
午後9時頃、バスの上下動が治まった。国道10号線に出たのだ。
しばらく走ると、窓外の暗闇の中に、大小いくつもの光が見えてきた。
「別府湾じゃあ。船の灯りじゃあ」
焼酎の小瓶をちびちび啜りながら、父が言った。
「甲子園まで、あと何時間?」
私の問いに、
「13時間」
素っ気ない、父の返答。
気の遠くなるような所要時間を聞き、さてこれからどうやって過ごしたら良いものかと思案する私の脳裏に、オレンジソックスの選手たちの顔が浮かんできた。
明日の先発投手は、吉良かな、それとも浅田かな。吉良はここまでの3試合で、3点しか取られておらず、35個も三振を奪っている。でも、さすがに4連投はきついのではないかな。何しろ相手は、黒潮打線の高知なのだから……。
打撃陣では、矢野が絶好調。大田、岩崎、広瀬の調子もいい。だけど、キャプテン山口の不調は相変わらずで、依然としてノーヒットのまま。9打数0安打なんて、あの強打者にはとても考えられない数字だな。早く調子を取り戻してもらわないと。何しろ相手は、好投手の三本を擁する高知なのだから……。
それにしても前嶋選手は、甲子園に行ってから、一躍ヒーローになっちゃったな。倉敷工戦での決勝ツーランホームラン、報徳学園戦でのウイニングラン。明日も、強運ぶりを存分に発揮して、ラッキーボーイになってくれないかな。何しろ相手は、優勝候補の高知なのだから……。
明日の試合のことを、あれこれ考えていると、何だか眠たくなってきた。
「ふぅわぁーっ!」
思わず大きなアクビを発したとき、それにつられるように、前方から
「ふおおおおおおおおーっ!」
ものすごい声が車内に響き、乗客たちの視線がそちらへ集中した。
独特の、あの発声。その主が誰であるのか、この私が一番よく知っている。
思った通り、眠そうな目をこすりながら座席から立ち上がったのは、フォクヤンだった。奇跡の入浴ショーから、2か月ぶり。矢倉セメント工場長宅の清掃役となった老人は、その後の順調な生活ぶりが窺える身ぎれいな服装で、観戦ツアーの一員となっていた。
しかし、フォクヤンが高校野球に興味を持っているとは知らなかった。庭掃除の仕事の合間に、テレビ観戦をしているうちに、津高のファンになったのだろうか。
いつしか寝入ってしまったらしい私は、窓から飛びこんできた強烈な光の連続に、目覚めさせられた。
両手で目をこすった後、運転席の上部の時計を見やると、針は午前零時に近づいていた。
「ここ、どこ……?」
私が訊くと、
「海の底じゃあ」
焼酎の小瓶を飲み干しながら、父が答えた。
「海の底……?」
「関門トンネルの中じゃあ。これを抜けると、もう、本州ぞ」
父の言葉は、眠りから覚めたばかりなのに、たちまち私の胸をときめかせた。
生まれて、初めて目にする、日本の本土!
そこには、どのような光景が、私を待ち受けているのだろうか!
光のトンネルは長く続き、いつまで経っても出口が見えない。
そうして、しばらく。
やっと抜け出した、関門トンネルの先にあったもの……。
それは、午前零時を回った、漆黒の世界。
日付が4月6日から7日に変わっただけの、ただの暗闇に過ぎず、落胆した私は、再び眠りの中に戻っていった。
次に目覚めたとき、時計の針は午前5時を回っていた。
私の隣では、空の小瓶を膝の上に乗せたまま、父が眠りこけている。
窓の外を見ると、そこには日の出を控えて、薄ぼんやりとした、ブルーグレーの海が広がっている。これが、瀬戸内海だろうか。
だが、初めて視界に映った記念すべき本州とはいえ、海辺の景色は九州と変わりのないことを知った私は、睡魔に誘われるまま、カーテンを閉めた。
最後の覚醒は、大きな声に促されてのものだった。
「おい、太次郎! いつまで寝ちょるんか! おい、早う、起きんか! 着いたんぞ!」
目を開くと、父の顔があった。
その背後には、座席から立ち上がり、荷棚に手を伸ばす乗客たちの姿も見える。
気がつくと、バスはすでに動きを止めていた。
時計を見ると、午前10時10分。
私は、起き直り、窓のカーテンを開いた。
まぶしいほどの日差しといっしょに、私の目に飛びこんできたもの。
それは、緑のツタに外壁を覆い尽くされた円形の建物で、その上部に掲げられた水色のプレートには、7つの文字が取りつけられていた。
――阪神甲子園球場――
(※注)現在は東九州自動車道などの開通によって、交通の便は格段に良くなっている。