小説「サムエルソンと居酒屋で」第1話
プロローグ
うっかり眠りこんでしまった。三時間近くも。山手線の中で。
線路をぐるぐる回って、ちょうど上野駅かその手前で目が覚めれば好都合だったのだが、あいにく着いたのは高田馬場駅だ。上野へはまだ二十分以上かかる。
別にいいさと、英也は大きなあくびをした。今日の仕事はもう済ませてあることだし。キャリーカートを引き、地下鉄日比谷線に上野から乗車。一駅ごとに下車をし、ホームのゴミ箱から針金で引っ掛けて雑誌を拾っていく。終点の中目黒駅のゴミ箱を漁ったあとは改札を出て駅の近くの古本業者に雑誌を持ちこんで換金。それが終わると次はもう一方の終着駅の北千住まで直行し、そこから上野までの各駅で同じ作業を繰り返し、最後は上野駅近くの古本業者でまた換金。百冊余りを拾った本日の稼ぎは、三千四百円。まずまずの出来だ。
ホームレスになったばかりの四十代の頃は、日雇いの力仕事もこなしていた英也だが、知らず知らずのうちに体力は衰え、還暦を迎えた今ではもっぱら雑誌拾いで日銭を稼いでいる。それでも電車を乗り降りしながらのこの作業を連日続けると、だんだん疲労が溜まる。そこで上野公園のねぐらへ帰る前に、山手線に乗って仮眠をとるのがいつしか習慣になった。外回りの電車の、前から五つ目の車両の、いちばん後方の座席が彼の指定席だ。空調の効いた電車内は快適で、それなりに身ぎれいにしているから他の乗客に嫌な顔をされることもない。
電車が高田馬場を出て目白駅に近づいたとき、座席の右手に何かがあるのに、ふと英也は気づいた。本だ。分厚い本が一冊、三十センチほどの距離をおいて置かれている。
誰かの忘れ物だろうか。視線を車内へ移し、見渡すと乗客はまばらだ。再び目を転じると、その本は先ほどよりも存在感を増して、こう語りかけてくるような気がする。さあ、私を手に取ってごらんなさい。
その誘いに、彼は乗った。右手を伸ばしてつかむと、ずしりとした重さが本から伝わってきた。それを引き寄せ、両手で持ち直し、顔に近づけて観察すると、赤茶色の本体が薄茶色の箱に収まっている。ずいぶんと古い代物だ。箱の表面が見えたとき、赤く記された題字に英也は目を見張った。
「サムエルソン 経済学 上 原書第九版」
それは二十世紀を代表する経済学者の書いた、あまりにも有名な教科書だった。そして自分もまた遥か昔の学生時代、この日本語版の教科書で経済学を学んだのだ。ある女性といっしょに。
四十年もの歳月を経た、再会。その時間を一気に遡った記憶の働きの目まぐるしさに、英也は頭の疲れを覚え、重たい本を抱えたまま座席でじっとしていた。そして
「次は上野、上野。お出口は左側です」
という車内放送を聞いて、ようやく我に返り、山手線をもう一周する危機を免れた。
「この本はもらった」
そう呟くと、座席から立ち上がり、やがてホームに入った電車のドアが開くのと同時に英也は足を踏みだした。サムエルソンを抱え、キャリーカートを引いて。
駅構内の立ち食いそば店で遅い昼食を啜りこみ、上野公園の西郷隆盛像に近い場所に設置したテントに英也は戻ってきた。
ブルーシートで作った住処の中には、折りたたみ椅子と小さなテーブル、ラジオなどのほか、毛布と寝袋と着替えが数着。カセットコンロや食器などの細々とした物も含めて、これが家財のすべてだ。過去に何度も行なわれた警察による強制撤去の経験から、身軽に暮らすことの大切さを英也は痛いほど知っている。
キャリーカートをテントの中に運びこんだのち、サムエルソンの経済学書をテーブルの上に置いて、英也は椅子に腰を下ろした。日没までまだ時間があるので、読書には困らない。差しこんでくる初夏の光の中で、本を箱から抜きだすと、経年のため、かなり日焼けしている。総ページ数は、七百四十。それを最初から最後までパラパラめくってみると、黄色いマーカーや赤いペンの書きこみが随所に見られ、この本の元の所有者が向学心に燃えた人物であることが窺えた。
そして、それを眺めているうちに、英也の心もまた勉学への意欲で満たされていった。この本を、もういちど読みたい。じっくりと読み通したい。下巻がないのは残念だが、上巻だけでも相当な分量だ。きっと、たくさんのことが学べるに違いない。
よし、さっそく今日から始めよう。学問の再開日として、きちんと記しておこう。意気ごんだ英也は、傍らの卓上カレンダーを手にとり、ボールペンで書きこもうとし……
「あっ」
と声を上げた。今日は元号が令和になって間もない、五月二十五日。それは自分の誕生日に他ならなかった。だが、満六十一歳になったのをすっかり忘れていたことに驚いたのではなかった。あの日の出来事を思い出したのに衝撃を受けたのだ。
あの日とは、一九七八年五月二十五日。