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みかんの色の野球チーム・連載第24回

第3部 「事件の冬」 その7
 
 
 翌朝。
 ユカリの失踪事件がスピード解決し、さっそく休校が解除されて、私とブッチンは新学期の3日目の通学路をいっしょに歩いていた。
「ニュース、見たか?」
 私の問いに、
「おう、見たわい」
 ブッチンが答える。
「やっぱあ、彦岳の山小屋じゃったのう」
「おう、俺どーの思うた通りじゃったのう」
「じゃあけんど、驚きじゃのう。ユカリの方から彦岳に行ったんじゃあけんのう」
「おう、驚きじゃあ。フォクヤンは、さろうたんじゃ無えで、助けたんじゃあけんのう」
「どげえして、ユカリは、彦岳なんかに登ったんじゃろうか?」
「さあ、どげえしてかのう。分からんのう、東京もんの考えることは」
 昨夜からの私の疑問に対して、ブッチンから返ってきたのは、素っ気のない言葉だった。やはり、自分の父親に大ケガを負わせた矢倉セメントへの暗い思いが、彼にそういう態度を取らせているのだろうか。
 しばらく歩いてから、こんどはブッチンが口を開いた。
「実はのう、タイ坊……」
「うん?」
「昨夜、おまえから電話があった後、俺もまたペッタンとヨッちゃんとカネゴンに連絡をしたんじゃあけんど……」
「おう、連絡するっち言いよったけんのう」
「その後での、実は、別の人間から俺の家に電話が掛かってきたんじゃあ……」
「別の人間?」
「うん……」
「誰じゃあ、そりゃ?」
「それがのう……」
「うん、うん」
「佳代子じゃったんじゃあ……」
「ええっ!」
 私は驚いた。佳代子から、電話が! 思いを寄せる女の子から、電話が! これはまたなんと、喜ばしく、興味を引く話ではないか!
「そ、それで、その電話っちゅうんは、どげな電話じゃったんか?」
 勢いこんで私が訊くと、
「それがのう……、お礼の電話じゃったんじゃあ……」
「お礼?」
「うん……。昨日の朝、教室で、ヒゲタワシと刑事に責められて、泣いてしもうた佳代子を、俺が庇うて、代わりに発言しちゃったじゃろう……。その、お礼じゃあ……。助けてくれて、ありがとうなっち、佳代子が電話で言うてきた……」
「おう! やったじゃあねえか、ブッチン! わざわざ電話をしてくるっちゅうことはのう、佳代子がおまえに、そうとう感謝しちょるっちゅうことじゃあ! 佳代子におまえが、気に入られたっちゅうことじゃあ!」
 私は、自分のことのように喜んだ。
 だが、ブッチンの表情は冴えず、話す言葉も重そうだった。
「それはそれで、嬉しいんじゃあけどのう……」
「うんっ?」
「佳代子がのう……、今日、学校を休むっち言うんじゃあ……」
「えっ……」
「今日だけじゃあ無え……。明日も明後日も、休みてえっち言うんじゃあ……」
「ええっ……」
「それだけじゃあ無え……。もう、学校には、行きとうねえっち言うんじゃあ……」
「ど、どげえして……?」
「ヒゲタワシに怒鳴られて、ショックじゃあち……。学級委員長の立場を悪用したやら、有りもせんことを言われて、ものすげえショックじゃあち……。もう、立ち直れんくらいショックじゃあち……。電話の向こうで、また泣きよった……」
「…………」
「のう、タイ坊……」
「うん……?」
「俺はのう、今日こそヒゲタワシのやつに、ケリをつけちゃろうち、思うちょるんじゃあ」
「ケリか……」
「協力してくれるか?」
 悪に立ち向かおうとする親友の決意に、私は大きく頷いて、言った。
「おうっ! もちろんじゃあ!」
 
 全校生徒を前にしての、校長先生の朝のあいさつ。
 ガーガーピーピーのオンボロスピーカーを通しての、いつもの聞き取りにくいメッセージではあったけれど、先生の言葉からは、ユカリが無事に見つかってほんとうに良かった、みんなも事件や事故に遭わないことを心から願っている、という真摯な気持ちがひしひしと伝わってきた。
 それは校長先生が、生徒のことを本気で思いやってくれる、善人だからだ。
 しかし、1時間目の授業開始前。
 意気揚々と事件解決についてのスピーチを始めたヒゲタワシの顔と声は、身勝手な人間ならではの、どす黒い濁りを隠すことができなかった。
「えー、昨日のPTAの役員の方々からの連絡を通じて、深大寺ユカリさんが無事に発見され、保護されたことを知って、みんなもさぞかし安心したことと思う。これもひとえに、警察署の方々、消防署の方々、消防団の方々、そして先生を含む教職員組合のメンバーの全員が、必死の思いで一致団結し、ユカリさん捜索のために全力を尽くした結果に他ならない。昨夜の大分テレビジョンのニュースを見た者もこの中には多いと思うが、深大寺さんのお父さんも、われわれの努力に心から感謝をしているとおっしゃった。本日、あらためて新学期を迎えた、ここにいるクラスの全員が、先生に元気な顔を見せてくれるのは、ほんとうに喜ばしいことであり、これからもまた、君たち全員の元気な姿を見守っていられるよう、ますます教師としての最善の努めを果たしていこうと、先生は心から思っている」
 ヒゲタワシがそこまで話をしたとき、さっそく教室の隅の席のブッチンが立ち上がり、言葉を発した。
「ユカリを救うたのは、フォクヤンじゃろう。警察でも消防でも消防団でも先生どーの教職員組合でも無え。ユカリを彦岳から助け出したんは、フォクヤンじゃあ」
「なにい……」
 ヒゲタワシの顔つきが変わり、ブッチンを睨みつけた。
 それにはお構いなしに、ブッチンは続ける。
「テレビのニュースのアナウンサーが紹介した、ユカリの父親のコメントは、心から感謝をしちょる相手はフォクヤンで、ぜひともお礼の気持ちを形にしてえち、いうものじゃった」
「なんだとお……」
 ヒゲタワシの表情が険しくなり、黒板の前からブッチンの席へと歩み寄っていく。
 それにも構わず、ブッチンは続ける。
「それに、さっき先生が口にした、ここにいるクラスの全員っちゅう言葉は、嘘じゃあ。ほんとうは、全員じゃあ無えで、2人足らん。うち1人は深大寺ユカリで、いま入院中じゃあけん、おらんのは仕方が無えにしても、もう1人は山本佳代子で、どうしてここにおらんのか、俺どーには分からん。先生、佳代子がおらん理由を教えてくれんかのう」
「や、山本佳代子は、た、たぶん、風邪でも引いたんだろう……。それで、欠席をしとるんだろう……」
 いかにも偽り臭い返答をしたヒゲタワシに向かい、さらにブッチンが追い討ちをかける。
「へええー。そうすると、さっき先生が口にした、これからもまた君たち全員の元気な姿を見守っていられるようますます教師としての最善の努めを果たしていこうと心から思っているっちゅう言葉は、いったいどげえなるんかのう。そげな立派な考えを持っちょる先生が、ここにおらん大事な生徒を、たぶん風邪でも引いたんだろうっちゅう曖昧な言葉で片付けるんは、どこから見ても矛盾しちょるんじゃあねえんかのう」
 ブッチンの放った鋭い一撃に、とどめを刺されたようにヒゲタワシは顔を大きく歪め、その直後、歪んだ顔をものすごい形相に変えて、ブッチンの席へ突進した。
 そして、
「悪い生徒だ、おまえはーっ!」
 というわめき声とともに思いっきり右手を振り上げた、そのとき、
「悪いのは先生じゃあ!」
 大声を上げて立ち上がったのは、私だった。
 新たな敵の出現にヒゲタワシがひるむと、
「悪いのは先生じゃあ!」
 こんどは、窓際の席のペッタンが立ち上がった。
 ビックリしてヒゲタワシが振り返ると、
「悪いのは先生じゃあ!」
 さらに、真ん中後方の席のヨッちゃんが立ち上がった。
 まさかという表情でヒゲタワシが後ろを見やると、
「悪いのは先生じゃあ!」
 またまた、右奥の席のカネゴンが立ち上がった。
 ヒゲタワシの驚愕は、これだけにとどまらなかった。
 私たち5人組に続いて、なんと他の生徒たちも、男女の別なく、次々と立ち上がったからだ。
「悪いのは先生じゃあ!」
「悪いのは先生じゃあ!」
「悪いのは先生じゃあ!」
「悪いのは先生じゃあ!」
「悪いのは先生じゃあ!」
 いつの間にか、教室の中に、座っている生徒は1人もいなくなっていた。
 クラスにいる全員が大声を上げて立ち上がり、教壇でうろたえ続けるヒゲタワシの顔を睨みつけていた。
 そしてとうとう、38人の発する圧倒的な力の前に、ヒゲタワシは腰を抜かし、その場にへたりこんでしまった。
 6年3組の大合唱パワーは、担任教師を意気阻喪させるだけでは治まらず、校舎じゅうを揺るがす大騒ぎに、校長先生と教頭先生が飛んできた。
 2人の先生は教室内に入り、しばらくの間、じっと佇んでいた。そして、先ほどからの大声と、今まさに目の前に広がっている光景から、いったいこのクラスで何が起きたのか、状況を把握し、その原因をも理解したように思われた。
 やがて、座りこんだままのヒゲタワシに声をかけて立ち上がらせると、私たちには何も言わず、校長先生と教頭先生は、しおたれた大男を連れて教室から出ていった。
 新学期が再開されたばかりのこの日、放課後までのすべての授業が、自習の時間に変更された。
 
 そして、放課後。
 6年3組の38名は、欠席している残り2名のクラスメートのお見舞いにいくため、校庭で2つのグループに分かれた。
 1つ目のグループは、ブッチンが率いる、37名。
 行き先は、正門を出て左側、山本佳代子の家だ。
 悪に立ち向かおうとするブッチンの決意は、クラスの仲間たち全員の心を動かし、結集されたみんなの力は、宿敵ヒゲタワシを見事に打ち倒した。そのうえ、校長先生と教頭先生という2人の心強い味方を、どうやら私たちは手に入れたらしい。
 この戦果を報告すれば、昨日の朝のショックに打ちひしがれている学級委員長は、きっと元気を取り戻してくれるに違いない。
 そして2つ目のグループは、この私だけの、1名。
 行き先は、正門を出て右側。深大寺ユカリが入院している勝山総合病院だ。
 これまで内緒にしていた彼女への気持ちを、私はもはや隠す必要がなかった。
 ブッチンにも、ペッタンにも、ヨッちゃんにも、カネゴンにも、その他のクラスメートのみんなにも。
 なぜならば、今日のヒゲタワシとの闘いを通して、私たち全員が、ひとつに結束できる仲間どうしであることを確認できたからだ。
 強い絆で結ばれた友人たちに、隠し事など、いらない。
 かくて37名と1名は、正門を出たところで手を振り合い、それぞれの方向へ歩いていった。
 1人になった私は、商店街を通りながら、ふと思いついた。
 ユカリに、何か、お見舞いの品を。
 それには、バナナがいいのではないかと考えた。(※注)
 あれは、去年の9月の終わり頃。ブッチンの母親のために、みんなでお金を出し合ってバナナを買った、あの青果店が、ちょうど目の前に見えてきたからである。
 
 
 
(※注)子供も大人も、バナナは大好物。遠足に行くときの必需品でもあった。


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