みかんの色の野球チーム・連載第30回
第4部 「熱狂の春」 その2
「選手、入場!」
大会本部役員の威勢の良い号令とともに、行進曲が場内に流れ始めた。
3月29日、水曜日、午前9時。
第39回選抜高校野球大会の開会式が、いよいよ始まったのだ。
テレビの画面は、6万人の大観衆で埋まった、阪神甲子園球場。
テレビの前には、15人の津久見市民。場所は、金子電器店の茶の間である。
「やっぱあ、カラーテレビはいいのう! しかも、26インチの大画面じゃあ! 迫力が違うわい!」(※注)
他人の家であるにも関わらず、遠慮のない大声を上げたのは、私の父。
「芝生の緑も、土の黒も、バトンガールの衣装の黄色も、みーんな目に沁みるのう。なんまんだぶ、なんまんだぶ」
どこの家を訪れても、せりふの奇妙な語尾が変わらないのは、正真和尚。
「じゃあけんど、どげえして行進曲が『世界の国からこんにちは』なんじゃろう? これ、万博のテーマ曲じゃろう。万博が大阪で開かれるんは、3年後じゃろうに」
この家の当主である、カネゴンの父親がそう言うと、
「そりゃまあ、あんた、前宣伝ちゅうやつじゃろうがな」
カネゴンの母親が、答えた。
両親と祖父母、それにカネゴンと3つ年下の弟を含めて、金子家の人たちは、計6人。それに、ブッチン、ペッタン、ヨッちゃん、私といった、いつもの仲間が、4人。そして、私にくっついて来た、父と和尚の、2人。さらに、カネゴンの弟の友だちが、3人。
みんな合わせて合計15人のテレビ観戦客たちのために、金子家の人たちは、茶の間のふすまを取り外して隣の部屋といっしょの広いスペースを作り、人数分の座布団まで用意してくれていた。
「今年の入場行進は、南のチームからです。まず先頭は、九州地区代表、熊本県の鎮西高校。嬉しい初出場に、胸を大きく張って元気いっぱいの行進です……」
NHKのアナウンサーの紹介コメントが流れると、校名の記されたプラカードを掲げたボーイスカウトの隊員に続いて、最初の14人が画面に映し出された。
甲子園球場のスタンドから、巻き起こる拍手。だが、テレビの前の15人は無言のまま、静かに行進を見つめている。
「……2校目は、同じく九州地区代表、熊本県の熊本工業高校です。センバツは、9回目の出場。昨秋の九州大会を制した、投打の活躍はみごとでした……」
やはり、無言のままの15人。それは、次に訪れるシーンのために、じっとエネルギーを蓄積させているのだ。
「……続いて、3校目。同じく、九州地区代表。大分県の津久見高校が、初めて春の甲子園球場の土を踏みました……」
その瞬間、15人のエネルギーが一気に放出された。
「津高じゃあ!」
「津高じゃあ!」
「津高じゃあ!」
茶の間に響き渡る、歓声と拍手。みんなの顔が、興奮に染まっている。
アナウンサーのコメントは続き、
「……みかんとセメントの町からやって来た、14人の選手たち。その名産みかんの色をあしらった黄色のストッキングが、緑の芝に鮮やかに映えています……」
郷土の紹介がされたとたん、
「津久見みかんじゃあ!」
「みかん色じゃあ!」
「オレンジソックスじゃあ!」
15人の歓声と拍手のボリュームは、いちだんと大きさを増した。
「……続いて、4校目のチームのお目見えです。四国地区代表の最初の学校は……」
津高の選手たちの姿が画面から消えて、アナウンサーのコメントが次のチームの紹介へ移ると、金子家の茶の間は、再び静まり返った。
ややあって、口を開いたのは、正真和尚だった。
「おう、もう9時半か。ワシ、そろそろ行かんといけん。実は、立花町の伊東さんとこの安兵衛さんが、老衰で亡くなってのう。昨夜がお通夜で、今日の昼から告別式なんじゃあ。なんまんだぶ、なんまんだぶ」
「ほう、安兵衛さんがのう。そりゃまた、気の毒なことじゃあのう。いくつじゃった? あの爺さん」
父が訊くと、
「98。もう充分に長生きしたけど、津高のセンバツ初出場を見せてやりたかったのう。なんまんだぶ、なんまんだぶ」
立ち上がり、僧衣の身づくろいをしながら、正真和尚が答えた。
「そうかあ。さあて、俺も、そろそろ戻って、仕事をせんといけん。津高の初戦は、土曜の第2試合じゃったのう。金子さん、またカラーの中継を観せてもらいに来るけん、よろしゅうなあ」
父の言葉を受けて、カネゴンの父親が、
「おう。いつでも観に来んせ。さてさて、ウチもそろそろシャッターを上げて、店の仕事を始めるとするかのう」
そう言い、大人たちはその場から立ち去ることになった。
残されたのは、私たち5人組と、カネゴンの祖父母、弟、その友だち3人の、11人。
せっかく、26インチのカラーテレビの前に座っていることだし、私たちは今日の高校野球の中継放送をすべて観ていくつもりだった。
「さあて、ひとまず、試合の組み合わせの確認をしちょこうかのう」
そう言いながらペッタンが、ズボンのポケットの中から、折りたたんだ新聞の切り抜き記事を取り出して、みんなの前に広げた。
数日前に大分日日新聞に掲載されたその記事は、私もすでに読み知っていたが、今こうしてテレビ中継の現場であらためて目にすると、いよいよ8日間にわたる戦いが始まるのだなあと、胸の高鳴りを抑えることができなかった。
出場全24チームの名前が並んだ、そのトーナメント表。
それを、決勝進出までの、2つのブロックに分けて眺めてみる。
まず、1つ目のブロックの組み合わせは。
高知―仙台商
松山商―桐生
熊本工―富山商
尾道商―三田学園
近大付―甲府商
市和歌山商―三重
このうち、クジ運よく、2回戦からの試合を戦うのが、近代付、甲府商、市和歌山商、三重の4チームだ。
次に、2つ目のブロックの組み合わせは。
明星―県岐阜商
倉敷工―津久見
札幌光星―新居浜商
平安―桜美林
愛知―鎮西
報徳学園―若狭
やはりクジ運に恵まれて、2回戦からのスタートとなった4チームは、明星、県岐阜商、倉敷工、そして我らが津久見高校だ。
「1試合ぶん儲かったけど、抽選の結果は、果たして、良かったんかのう、悪かったんかのう。平安と同じブロックに入ってしもうて……」
カネゴンが、心配そうに呟くと、
「津高が順調に勝ち進んだら、平安と当たるんは、準決勝か。ここが優勝への最難関じゃあのう……」
ヨッちゃんが、思案げに返し、
「なあに、いくら史上最強の呼び声が高え平安ちゅうたって、勝負はやってみんと分からんわい。そげえ弱気になって、どげえするんか」
叱咤するようなブッチンの発言に、
「そうじゃあ、そうじゃあ。津高には、吉良もおるし浅田もおる。相手が、いくら強打を誇る平安でも、そう易々とは打たれんわい」
私も、強気の言葉で応じた。
すると、それまで黙ってテレビに見入っていた、カネゴンの祖父が口を開いた。
「そうそう。心配は無用じゃあ。津高には、小嶋のニイちゃんがついちょるけん。小嶋のニイちゃんは、勝負師じゃあけん」
続いて、カネゴンの祖母も、
「小嶋のニイちゃんは、昔から大酒飲みで有名じゃあけんど、ただの大酒飲みじゃあ無え。野球の名人の大酒飲みじゃあ」
ニコニコ笑いながら、付け加えた。
禿げ頭の爺ちゃんと、白髪頭の婆ちゃん。年季の入った老夫婦にそう言われると、何となく大船に乗ったような気持ちになるから不思議だった。
よしっ。
まずは、4月1日、土曜日。
オレンジソックスの初陣の相手は、倉敷工。
全国的にその名を知られた、強豪校だ。
(※注)日本でカラーテレビの放送が開始されたのは、1960年。当初は「総天然色テレビジョン」と呼ばれていた。たいへん高価なうえ、カラーで放送される番組もごくわずかしかないためにあまり普及しなかったが、1964年の東京オリンピックを前に各メーカーが宣伝に力を入れ始め、カラー放送番組の増加に伴って、しだいに家庭へ広がっていった。1968年頃から70年代にかけて、メーカー各社から高性能の機種が出そろい、それと同時に大量生産で値段が下がったことによって、爆発的に普及。1973年には、カラーテレビの普及率が白黒テレビを上回った。