小説「けむりの対局」・第7話
勝つのは、どっちだ? 升田幸三 vs 人工知能
対局は、序盤の駒組みが進んでいる。升田は飛車を盤面の左方面へ転回し、角銀桂を効果的に配置した攻めの布陣。戦友は、盤面の中央に歩を進めて位を取り、銀金を連携させて手厚く構えた守りの陣立て。
四十手ほどが進んだとき、棋譜読み上げ係の松下春菜に向かって升田が言った。
「お嬢ちゃんや、灰皿をくれんか」
「えっ……」
驚いたのは、春菜だけではない。朝比奈をはじめテーブルの皆が突然の要求にうろたえた。昔とちがい、対局室で喫煙する棋士などいまどきいない。
「タバコとマッチは持ってきたんじゃが……」
そう言って、着物のたもとからハイライトのワンカートンを取り出しながら、升田は続けた。
「灰皿は重いから持ってこんかった。すまんけど、灰皿をくれんかのう、特大のやつを。ワシは三度の飯よりタバコが好きで、一日に二百本は吸うことにしとる」
困惑顔をし、無言の春菜。
そこへ、朝比奈が耳打ちをした。
すると、ようやく春菜は
「承知いたしました」
と升田に言い、立ち上がると、着物の裾をひるがえして対局場を出ていった。
初手から、すべてノータイムで指してきた升田だが、灰皿が来るまでは次の手を指す気はないらしく、視線を対局場の外側へ向けている。
そこには、大型のディスプレイが設置されており、インターネット動画サイト「わくわく生放送・電人戦第五局」が、対局の妨げにならないよう音声を消した状態で中継されている。
対局場の光景が映し出されている画面には、視聴者からのコメントが、白い文字になって右から左へ絶え間なく流れている。
「升田先生、かっけー」
「タバコ吸う人きらいだけど、升田先生なら許すwww」
「みんな拍手―っ。パチパチパチパチ888888888888」
「ナマイキなコンピュータを、フルボッコにしてあげて」
「それ行け、やれ行け、もっと行け。メメクロ」
三十分ほどが経ったとき、大きな灰皿を両手にかかえて、春菜がもどってきた。
「申し訳ございません、たいへん遅くなりまして……」
はあはあと息をして、若い女流棋士が詫びた。
「おうおう、ご苦労さん。重かったろう」
升田がねぎらうと、
「特大を、とのご所望でしたので、地下一階にある倉庫室のなかを探してまいりました。奥に積まれた段ボール箱の山に、『升田用』と太い字で書かれた箱がありましたので、それを開けたところ、これが出てまいりました」
直径五十センチはあろうかという大きな円形をした陶製の灰皿を升田のそばに置きながら、春菜が言った。
その平べったい陶器を見て、
「おう。これは、ワシが現役のときに使うておった灰皿じゃ。まだ、あったんか。将棋協会も、物持ちがええ」
升田が、満足げに笑う。
そしてさっそく、カートンの包装紙をひらいてハイライトを一箱取り出すと、そこから一本を抜き出し、口にくわえてマッチで火をつけた。
それから、ゆっくりと煙を吸いこみ、プッハーと吐き出した。