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小説「ノーベル賞を取りなさい」第9話

あの大隈大の留美総長が、無理難題を吹っかけた。




 四月も終わろうとしていた。柏田の研究室では亜理紗が電話注文した弁当を、テーブルを挟んでソファーに向かいあわせに座り、二人がそれぞれ味わっていた。
「亜理紗ちゃんは、ゴールデンウィーク、どうするの?」
 サワラの西京焼き弁当をつつきながら、柏田が訊いた。
「タイへ遊びに行く予定です。友だちと四泊六日で。私、北欧育ちなので、南の国への憧れが強いんです」
 ヒレカツとメンチカツのダブルサンド弁当をつまみながら、亜理紗が答えた。
 こんなに天気の爽やかな日は外でランチに限るのだが、またぞろ由香に見つかりでもしたら今度はどんな要求をされるのか分かったものではない。自宅に上がりこまれた先日は、ベッドでの大奉仕ですこぶる上機嫌にしてやったが、次回はきっと部屋のスペアキーをよこせと言われるだろう。さもなくば二人の仲を公表すると。あんなに可愛い顔をして、悪魔のように恐ろしい娘だ。
 というわけであの日以来、柏田は亜理紗とランチに出かけるのをやめ、一人で食べに行ったり弁当の出前サービスを利用してきた。亜理紗は同期入職の仲間たちといつもいっしょの昼食のようだが、たまたま今日は出遅れたのか、柏田との弁当ランチにつきあってくれたのだ。
「先生は、ゴールデンウィーク、どう過ごされるんですか?」
 亜理紗の問いに
「研究、研究、また研究だよ。大隈大に来てから初めての論文の執筆も、まだあまり、はかどっていないし」
 と柏田。
「たいへんですね」
 彼女はそう言い
「私、以前から先生にお訊きしたかったことがあるんです」
 と言葉を継いだ。
「どんなこと?」
「ノーベル賞の受賞者についてです。物理学賞や化学賞をはじめ、日本人はこれまでに三十人近い人たちが受賞をしてきたのに、経済学賞だけがゼロ。経済大国なのになぜなんだろうって、私ずっと不思議に思っていたんです」
「なるほど」
 うなずいてそう言うと、柏田は弁当をテーブルの上に置いてお茶を一啜りし、しばらく思案してから口を開いた。
「難しい問題だね」
 それからお茶をもう一啜りして
「実に難しい問題だ」
 と、おなじ言葉を繰り返した。
「あのう……そんなに難しい問題なんですか……?」
 恐る恐る亜理紗が言うと
「ああ、とんでもなく難しい問題だとも。だって、その理由が分かるくらいなら、俺はノーベル経済学賞をとるのに苦労はしない」
 そう柏田が応じたので、亜理紗は爆笑。
「ただ、これだけは言えるんじゃないかな。いまの世界経済が直面している格差や不平等の拡大、貧困者や失業者の増大、環境破壊の深刻化などの危機に対して、斬新な分析や実効ある解決法の提言を理論的に行なうことが、これからの経済学者には求められている。日本人であろうと、なかろうと」
 柏田の発言に
「じゃあ、これからの先生のご研究も、そのあたりが核心になってくるわけですね」
 と亜理紗。
「まあね。俺がアメリカで研究し、これまでに発表してきた論文はすべてこういったテーマに基づいたもの。研究の場が日本に移ったからと言って、その姿勢を変えるつもりはないよ」
「頑張ってくださいね! 私、秘書としてお支えします!」
「あいよ。亜理紗ちゃんの母国スウェーデンが生んだ、偉大なる二人のノーベル経済学賞受賞者その一、貨幣理論および経済変動理論に関する先駆的業績と経済現象・社会現象・組織現象の相互依存関係に関する鋭い分析が称えられたグンナー・ミュルダール先生と、その二、国際貿易に関する理論および資本移動に関する理論を開拓した業績が称えられたベルティル・オリーン先生に続き、不肖この柏田照夫もホニャララホニャララの業績をスウェーデン王立アカデミーに称えられてみせますとも」
「頑張って! 先生!」
「でもねえ、心配なんだ、いくら課税されるか」
「課税?」
「ノーベル賞の賞金は、日本国内では非課税。これは湯川秀樹博士が日本人初のノーベル賞を受賞した際に賞金に課税するのはどうかという議論が起こり、法律が改正されたからなの、ノーベル基金から支払われた賞金は非課税とすると。でもノーベル経済学賞の賞金だけはスウェーデン国立銀行が運営する基金から支払われるので、日本の現行制度では一時所得として課税されちゃうんだ。あーあ」
「うふふふふっ」
 亜理紗が笑った。

    

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