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みかんの色の野球チーム・連載第15回

第2部 「連戦の秋」 その7

 
 
 それから1週間後、10月23日の日曜日。
 大分国体の秋季大会が、幕を開けた。
 県下では初めての国民体育大会の開催に、120万の県民の心は大いに沸き立ったが、もしかするとこの時期、一番ウキウキしていたのは、この私だったのではないだろうか。
 憧れのユカリの誕生日会から帰宅した夜も、頭の中では嬉しさと楽しさがごちゃ混ぜになり、首尾よくいったかどうかを訊ねる父や母に対しても、私はただニタニタと笑い顔を返すだけ。パーティーでの体験を何度も何度も反芻し、布団に入ってもなかなか寝つけなかった。
 さらに翌朝、学校の教室で、登校してきたユカリのピンクのランドセルの左横に、なんとあの「つく美ちゃん」がぶら下がっているのを発見したとき、前日から続いていた私の喜びは最高潮に達した。
 東京の最先端の文化を身につけたお嬢さんが、田舎町の農産物をモチーフにしたミョウチキリンな縫いぐるみを、気に入ってくれたのだ! でも、どうして? 少なくとも私の目には、できそこないとしか映らない人形を?            いったいこれは、現実か?
 だが、ユカリの隣の席の女子が
「それ、みかんのダルマさんみたいじゃあね」
 と、彼女に話しかけたとき、
「うん、そうなの。可愛いでしょ」
 そう答えるユカリの笑顔を見て、まさしくこれが現実であることを私は確認し、ああ、やはり東京仕込みの腕前とセンスは大したものなのだなあと、父への評価を一段と高めたのだ。
 誕生日会の件は、その後も私たち2人だけの秘密にされていたが、ときどき廊下ですれ違うユカリから微笑みを投げかけられると、私の胸はこれまで以上に高鳴るのだった。
 
 良く晴れた火曜日の午後、私たち津久見小学校の全校生徒1000人は、それぞれの片手に国体のシンボルマークが入った青い小旗を持ち、学校の正門から長い列を作って行進した。
 歩くこと、30分。河口に架けられた鉄橋の見える路上で、行列は停止した。先生たちの指示を受け、行列が3分の1の長さに短縮整理されていく。最前列に、1年生と2年生。真ん中の列に、3年生と4年生。最終列に、5年生と6年生。
 道路いっぱいに並んだ生徒たちの背後には、先生たちが立ち、近くの住民たちも集まり寄って、そこに加わった。余った小旗が、彼らの手にも渡された。
 道路の後方の高台の上には、3日前の日曜日に私が訪れた、深大寺家の邸宅が見える。クリーム色のその洋館の2階のベランダには、私たちの小旗と同じ、明るいブルーの服を着た人影があった。あれは、ユカリの母親だろうか。
そのとき、川の向こうから、列車の姿が見え始めた。
 先頭は、煙を上げるいつもの蒸気機関車ではなく、紅色が鮮やかな新型のディーゼル車。それに牽引されてくるのは、車体に白い横ラインが際立つ、ブルートレイン。大分国体の開催されるこの期間だけ、県内の線路を走る、特別列車だ。
 紅い機関車と青い客車の数列は、ゴトンゴトンと大きな音を立てて鉄橋に近づいてくる。そして間もなく、先頭の機関車がピーッという甲高い汽笛を鳴らし、それを合図に沿道の私たちは、手にした小旗をいっせいに振り始めた。
 機関車が鉄橋を渡り終えると、それに続くブルーの客車の3両目が橋の中央まで至り、大きく長い窓の向こうから、2人の人影がこちらへ手を振っている。
 それに応じて、私たちの間から大きな歓声が巻き起こり、旗を振る勢いは最高潮に達し、列車の最後の1両が鉄橋を通過して、やがて視界から消えていった後も、私たちは懸命に手を動かし続けた。ふと後方の高台を見上げると、クリーム色のベランダに立った青い服の人物もまた、手を振り続けていた。
 テレビの画面や新聞を通してではなく、自分の目でじかに見た、皇太子殿下と妃殿下。(※注) 国体という非日常的な出来事が、この1週間足らずの間だけ、大分県を日本の中心にしてしまったのだろうかと、私は思った。
 
 第21回国民体育大会秋季大会では、大分県下の16市町で28種目の競技が行われたが、私たちの注目の的は、何といっても硬式高校野球だった。
 この競技種目において、開催県である地元大分の代表、我らが津久見高校は、120万の県民たちが目をみはるような大活躍を見せたのだ。
 8月の甲子園で優勝した愛知代表の中京商、準優勝した愛媛代表の松山商を始め、全国各地から名乗りを上げた12校は、この夏の大会で上位を占めた強豪チーム揃い。
 津高もまた、いま躍進中の新オレンジソックスではなく、夏の甲子園に出場した3年生たちのチームだったが、エースの三浦保雄投手が後輩たちの今後を思いやり、自らマウンドを2年生の投手たちに譲ったので、この国体での試合は、来月の九州大会に臨む新チームの投手力がどれだけのものであるかを見定める試金石となった。
 まず1回戦は、クジ運よく不戦勝。
2回戦では、秋田代表の秋田高を相手に、先発の吉良が三塁を踏ませぬ好投で2対0の完封勝ち。
 続く、準決勝戦。群馬代表の桐生高を相手に、今度は浅田が力投し、打線も長短10安打を放って5対2の勝利。
 ついに決勝戦へと進出した津高は、夏の甲子園準チャンピオンの松山商と対戦。吉良と浅田のみごとな継投で相手の強力打線を1点に抑えたが、味方の打線が沈黙。0対1で惜敗したものの、なんと国体準優勝の座に輝いたのだ。
 日本全国の強豪校の強打者たちを相手に、胸のすくような快投を披露した、新オレンジソックスの投手陣。
 この調子なら、九州大会でもやれる! センバツ甲子園へも行ける!
 私だけでなく、父も正真和尚も、ブッチンもペッタンもカネゴンもヨッちゃんも、そして4万の津久見市民の誰もが、そう確信したに違いない。
 
 校庭のイチョウの木々の葉が、緑から少しずつ黄色に変わり始め、それらの間からたくさんのギンナンが覗いている。やがて木の葉は黄一色に染まり、そして実を伴って地面へ落ちてくるのだろう。
 もう、11月なのだ。
 国体が終わった後も、私たち5人組はウキウキ気分でいた。
 津高が成し遂げた準優勝という快挙は、私たちの脳裏にいまだ覚めやらぬ興奮を残していたし、まもなく開幕する九州大会への期待は、私たちの胸を膨らませるばかりだった。
 それに加えて、私には、深大寺ユカリという存在があった。
 あの誕生日パーティーから、もう2週間以上が経過しているが、ユカリのランドセルの左側にぶら下がっている「つく美ちゃん」の姿は健在だった。毎日毎日、彼女といっしょに登校し、彼女といっしょに下校していった。
 ダルマのような縫いぐるみ人形は、実は私の分身であり、学校にいるときしか私は彼女に会うことができないけれど、私の分身はいつも彼女といっしょにいる。そう思うことに決めたとたん、私の心はますますバラ色になり、喜びで満開になった。
 そして、それを凌ぐほどの大きな喜びに包まれているのが、現在のユカリ自身だった。
 昨日の日曜日に父親からもたらされた朗報を、さっそく今日の1時間目の授業の終了後、彼女は嬉しさいっぱいの大声で、クラスメートたちに報告した。
「冬休みになったら東京に帰るの! こっちに来てから1年半ぶりに東京に帰るの! おじいちゃんやおばあちゃんたちに会えるの! いとこたちにも会えるの! お友だちにもたくさん会えるの! もうすぐもうすぐ会えるの!」
 自分の好きな子が大喜びしている様子は、私にも、とても嬉しいものだった。果たしてユカリは、東京にも連れて行ってくれるだろうか、つく美ちゃんを。
 とにかく、みんながみんな、心の浮き立つ晩秋の初めを過ごしていたのだ。
 
 そしていよいよ、11月19日の土曜日。快晴の熊本市、藤崎台球場および水前寺球場。
 第39回九州高校野球大会の、熱戦の火蓋が切って落とされた。
 参加11チームは、開催県の熊本から、鎮西高、熊本工、済々高。
 福岡から、小倉工、三池工。
 佐賀から、唐津商。
 長崎から、海星高。
 宮崎から、宮崎高
 鹿児島から、玉龍高。
 沖縄から、那覇高。
 そして大分から、津久見高。
                                    
 すでに11月7日の組み合わせ抽選の結果、我らがオレンジソックスの初戦の相手は、鹿児島の玉龍高と決まっていた。
「文武両道の伝統校じゃあけんど、まあ、浅田や吉良の球は打てんじゃろう。ごくごくごく、ぷっはー」
「相手の投手に、矢野、山口、岩崎の中軸打者は抑えられんじゃろうな。ごくごくごく、ぷっはー。なんまんだぶ、なんまんだぶ」
 もう勝ったも同然とばかり、酒を楽しみながらの父と正真和尚の戦前予想に、応援する市民がこんなに弛んだ気分で良いのだろうかと不安に駆られた私だったが、それは杞憂に終わった。
 試合翌日の、朝。玄関ドアの新聞受けから抜き取った大分日日新聞の表面に、ブッチン直筆の赤い「○印」がちゃんと書きこまれているのを確認した父は、
「ほうら見い」
 さも当然そうな顔をして私に言い、
「どうれどれ」
 と、ちゃぶ台に着いて新聞をペラペラとめくり、スポーツ面を開いた。
 私が覗きこむと、そこにあった大見出しは、
「津久見初戦に大勝 九州高校野球大会」
 それに続く中見出しは、
「本塁打を含む猛攻10安打 吉良も13の三振を奪う快投」
 というものだった。
「ほう。6対0とは、こりゃまた豪勢な」
 美味そうに、お茶を啜る父。
「おう。岩崎が大会第1号のホームラン、打っちょる」
 私も、お茶をズズズー。
 次の相手は、熊本工。それに勝てば、ベスト4だ! センバツ出場だ!
 
 だが、大事な一戦を前にしても、大人たちの能天気な態度は変わらなかった。
 連夜のようにウチにやって来る、和尚。
酒と肴の用意を母に言いつける、父。
「明日は熊本工か。あの川上哲治を生んだ名門校じゃあけん、ちったあ骨のあるところを見せてもらいてえもんじゃあのう。ぐびぐびぐび、びゅっはー」
「骨のある相手じゃ無えと、監督も選手もやる気が起きんじゃろうな。このブリのような硬え骨が無えとのう。むしゃむしゃむしゃ、ぐびぐびぐび、びゅっはー。なんまんだぶ、なんまんだぶ」
 度を越した楽観ぶりに、私は呆れ、今度こそ本気で心配をした。
 そして、心配は、とうとう現実のものとなった。
 11月21日の月曜日。
 試合翌朝の新聞に、ブッチンが初めて付けた「×印」。
 それを目にした父の顔は、すっかり青ざめていた。
 新聞を持つ手を、ぶるぶる震わせる、父。
 お願いだから、ブッチンの冗談であってくれと祈る、私。
 数十秒後、ちゃぶ台の私たちの目に押し入ってきた見出しは、
「津久見ベスト4進出ならず 熊本工に惜しくも敗れる」
 2回表に1点を先取した津高だったが、その裏に先発の吉良が打たれ、2点を失った。代わった浅田がその後よく投げ、相手打線を封じたが、自軍は拙攻の連続。8回の表に迎えた無死満塁という絶好機にも、後続の打者3人が凡退。相手を上回る10安打を放ちながら、1対2のまま、無念のゲームセット。
 ああ!
 悲しき親子は、天を仰いだ。
 
 
 
(※注)現在の上皇陛下と皇太后陛下。客車の窓から、お二人が私たちに大きく手を振ってくださったのを、いまも鮮明に覚えている。


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