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小説「ノーベル賞を取りなさい」第26話

あの大隈大の留美総長が、無理難題を吹っかけた。




「テレビに出て余計なことをペラペラくっちゃべるんじゃねえぞ、分かってるな!」
 晴道学園大学の理事長室に、石ヶ崎の野太い声が響いた。
「は、は、はいっ。断じてそのようなことはいたしません」
 ソファーに向かいあわせに座った中川が、テーブルに両手をつき頭を下げて答えた。その隣には、新事務長の押村が着座している。
「大隈大をクビになったおめえを拾ってやったのも、うちの教員たちよりも有能だからだ。ウッシーが送ってくれた論文のコピーを日本語に翻訳したくても、うちの経済学担当教員たちは英語が苦手だから、それができねえ。英語担当教員たちにやらせても、英語は読めても経済学が分からないから、それもできねえ。つまり英語と経済学の両方ができるのが、おめえだけ。口が軽いのには目をつぶって、教授として採用してやった恩義を忘れるんじゃねえぞ!」
「は、は、はいーっ。決して忘れたりはいたしませーん」
 またしても中川がテーブルに両手をつき、頭を下げた。
「それにしても、だ。うちのような……えーと、なに大学だっけ?
 教えて、オッシー」
「Fランク大学。またはFラン大学とも申します」
 押村が助け舟を出した。
「そうそう、Fラン大学だ。分数の計算とか中学レベルの基礎学力が身についていねえ学生たちがたくさん集まるので補習をしなくちゃなんねえ、うちみたいなFラン大学に、まさかあの『殿様のヒルメシ』から出演依頼が来るなんてビックリだわい。これまでにも新聞社や雑誌社から、おめえの写真を載せたいという要望がひっきりなしだったが、それに応じるとおめえがうちにいることが大隈大の連中にバレちまう。だから断り続けて、おめえ、すなわち加賀縄静也の存在を隠し通してきたが、近頃じゃ受験生やその父兄たちから、憧れの加賀縄先生の顔を見たいとか、先生が話すのを聞きたいとかの電話が掛かってきたりメールが届いたり。そこへ今回の、『殿様のヒルメシ』への出演依頼だ。大隈大の連中におめえの姿を見せたくねえから、代わりにワシが出演しようかとも思った。だが生放送だし、インタビュアーに経済学の話で突っこまれでもしたらせっかくのベストセラー学者のイメージがぶち壊しだ。ならば他の誰かをと考えたが、インタビュアーとまともに経済学の話ができそうな教員は、うちには一人もいないという事実を思い知らされた。学生も教員も、まさにFラン大学だわい」
 長々と話したのち、石ヶ崎は押村に向かって訊いた。
「というわけで、中川を出演させることにしたんだけど、それでいいよね? オッシー」
 返事を求められ、押村が答えた。
「はい。それでよろしいかと。大隈大は中川教授を懲戒解雇に処した手前、テレビで姿を見ても、ただ悔しがるだけでしょうから」

 研究室のドアを開け、柏田が戻ってきた。
「人事部に行って、中川さんの住所と自宅電話番号それに携帯電話番号を教えてもらったよ。調布に住んでるんだね」
「そうそう。奥さんとジャックラッセルテリアのガガちゃんと暮らしてるって言ってたわ。子どもは無し。奥さんとの仲はとうの昔に冷えきって、いまではすべての愛情をガガちゃんに注いでいるとも話してた」
 由香がそう応じると、しばらく考えこんだのち、柏田がまた口を開いた。
「犬か。それは使えそうだな。散歩にはもちろん中川さんが連れていくんだろうな」
「毎週日曜日の午後、多摩川の河川敷を、ガガちゃんが好きなだけ走るのを眺めるのが至福の時間だって、なんども聞かされたわ」
 由香の返事を聞き、柏田は言った。
「よし、決まりだ。犬質作戦で行こう」
「犬質作戦?」
「そう。人質ならぬ犬質を使う戦術だ。由香ちゃん、犬の扱いには慣れてる?」
「もちろん。子どもの頃から飼ってたもの、ウエスティーを」
「ウエスティー?」
「ウエストハイランドホワイトテリア。三角形の耳をした胴長短足の白い犬よ。とっても可愛くてお利口さんだったわ。二年前に死んじゃったけど……」
 そう話して涙ぐむ由香。その様子を見て、柏田は優しく言った。
「ご家族みんなで可愛がってたんだね」
「うん……」
「じゃあ中川さんの犬を、由香ちゃんちで預かってもらうことはできるかな?」
「だいじょうぶ。父も母も弟も犬が大好きで、また新しい子を飼うときのためにケージやベッドを取っておいてるから」
 由香の言葉に頷き、柏田は最後の質問をした。
「ところで由香ちゃん、走るのは速い? 中川さんの犬を、走って捕まえられる?」
「こう見えても中学高校時代はバスケやってたから、すばしっこいわよ。でもジャックラッセルテリアも速いから、頑張らないとね」

    

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