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みかんの色の野球チーム・連載第16回

第2部 「連戦の秋」 その8

 
 
 オレンジソックスの敗戦は、言うまでもなく、津久見じゅうの大人と子供を落胆させ、意気消沈させた。
 県南リーグ戦での全勝優勝、県中央大会での準優勝、九州大会県予選での優勝、そして新投手陣の活躍による国体での準優勝と、これまでの津高新チームの快進撃ぶりは、まったく申し分のないものだった。
 この勢いに乗って、九州大会を制し、同校としては初めての、大分県勢としては18年ぶりの、選抜高校野球大会への出場権を勝ち取るのはもはや確実だと、4万市民の誰もが思いこんでいた。
 それが、よもやの2回戦敗退。
 やんぬるかな、センバツ出場が絶望となってしまったからには、もはや来夏の甲子園に期待をするしかない。
 まあ、このチームなら、夏の県予選が始まる頃までには格段の力強さを身につけ、「夏の津久見」の異名に恥じない6回目の甲子園出場を果たしてくれるに違いない。多くの市民たちが、そう思い、気を取り直していくのに、さほど時間はかからなかった。
 なかには、なあに楽しみを4か月ほど先延ばしにしただけだと、笑い飛ばす人もいた。サバサバとしたところが、津久見人の気質であり、美徳でもあるのだ。(※注)
 だが、私たち5人組は、敗退のショックからなかなか立ち直れずにいた。
 あの、夏休みの終わり。前嶋幸夫選手に誘われて津高の練習を初めて見学に行き、小島監督からノックの至芸を披露されて以来、たびたび津高のグラウンドを訪れるようになった私たちは、選手たちとも顔馴染になり、陰のチームメイトであることを自任するまでになっていた。
 オレンジソックスの敗戦は、私たちの敗戦でもあったのだ。
 
 そういう訳で、学校の放課後。さあどこかへ遊びに行こうという、いつもの元気を喪失した5人は、校庭の植えこみの辺りに所在なく佇んでいた。
「あれをぜんぶ食うちゃったら、ちったあ腹の虫が治まるじゃろうか」
 もうすっかり黄葉したイチョウの木を見上げ、いまにも落ちてきそうなその実を指差して、ペッタンが言った。
「まるでギンナンのせいで、津高が負けたみたいな言い草じゃあのう」
ヨッちゃんが呆れた。
「やめちょけ、やめちょけ、腹こわすだけじゃあ」
私がたしなめた。
「熊本工に負けて、腹こわしたら、バカみたいじゃあ」
 カネゴンも続けた。
 とりとめもない4人の会話には耳を貸さず、ブッチンだけは後ろを向いて、遠くのクスの木をぼんやりと眺めていたが、やがて、ポツリと言葉を発した。
「基地に行ってみようか」
 
 宮山を登るのは、3か月ぶりだった。
 ブッチンとユカリの口論の件で、私が仲間外れにされそうになり、アベックのいちゃいちゃをぶち壊すテストに合格することでかろうじて難を逃れた、あの日以来。
 夏休みには他にも遊ぶことがたくさんあったし、それから津高新チームの活躍が始まり快進撃が続いたおかげで、私たちの頭の中から秘密基地のことは、すっぽりと抜け落ちていたのだ。
 だが、傷心で虚脱状態のいま。狭いながらも楽しい5人だけの空間が、自分たちを癒してくれるかもしれない。憩いのひとときを提供してくれるかもしれない。そう思いながら、宮山の中腹へと歩いていく。
 夏の盛りから秋の終わりへ、鮮やかな緑から枯草色へ、山はすっかり衣替えをしていた。段々畑に群生する葦の茎も、いまや薄茶色に変色し、色あせた葉は、ところどころに小さな穂を抱えている。
 そして、久しぶりの、基地。
 しかし、愕然とした、5人。
 そこにあるものは、ただの草木の残骸だったのだ。
 雑木を紐で結わえた骨組みは、無残に折れ潰れ、枯色の葦の屋根に覆い尽されている。それらを5人で抱えて払いのけると、かつては設備を有していたその空間は、もぬけのからだった。
 ビニールシートが、なかった。
 トランジスタラジオも、懐中電灯も、見当たらなかった。
 少年マガジンやサンデーの山も、消えていた。
 目覚まし時計も、蚊取り線香も、どこかへ行った。
 むき出しの地面だけが、そこにあった。
「誰がやったんじゃろうか」
 ブッチンが呟いた。
「セメント町のやつらじゃろうか」
 ペッタンが応じた。
「中学生かもしれん」
 ヨッちゃんが続けた。
「それとも……もしかしたら……」
「……フォクヤン!」
 カネゴンと私が、声を揃えた。
 私たちの基地を破壊し、物品を略奪していった者。それがフォクヤンである可能性は高いように思えた。
 フォクヤンは、八幡様の神社の境内にある、戦時中の防空壕跡に住んでいるし、この辺一帯は、宮山も含め、彼の活動範囲なのだ。
「フォクヤンか」
 ブッチンが言った。
「俺どーの基地をメチャクチャにして、シートもラジオも懐中電灯も漫画も時計も蚊取り線香も、みんなリヤカーに積んで、あんやつが防空壕に持って帰ったんじゃろうか」
 感情を抑えた声で言葉を続けていた彼は、
「ぶち殺しちゃる!」
 最後に怒りを爆発させた。
 これまで、私たちにとって恐怖の対象でしかなかったフォクヤンが、このとき初めて、憎悪の対象にもなったのである。
 
 その夜、私は母に言った。
「フォクヤンに、俺どーの基地を壊されてしもうた」
 父は町内会の寄り合いに出かけ、妹たちは夕食を済ませた後それぞれの部屋に戻って、いま茶の間には、私と母の2人きりだった。
「夏休みに作った秘密基地に、今日みんなで3か月ぶりに行ってみたら、跡形も無う壊されてしもうちょった」
 母には以前にもフォクヤンについて質問をしたことがあったが、そのときは何も返事をしてもらえなかった。テレビを観るのに夢中で、返事をしてくれないのかとも思った。だが、今夜の我が家のテレビはスイッチが入っておらず、彼女は夕食の後片付けが終わってお茶を飲んでいたので、この話を切り出すいいチャンスだと私は考えたのだ。
「壊されただけじゃあ無え。基地の中に置いちょった、ビニールシートやらトランジスタラジオやら懐中電灯やら漫画やら目覚まし時計やら蚊取り線香やら、みーんな持って行かれてしもうちょった」
 私の訴えに、母は黙ったまま、お茶を啜っている。
「あんやつは、悪いやつじゃあ。他人の物を盗んでいく、悪いやつじゃあ」
 私がそう言ったとき、ようやく母が口を開いた。
「太次郎。基地を壊して、物を盗っていったんが、フォクヤンじゃあっちいう証拠でも、あるん?」
「え? 証拠?」
「フォクヤンが基地を壊したり物を盗ったりするところを、おまえは見たん? おまえの友だちの誰かが見たん?」
 母の質問に、私は口ごもった。
「証拠も無えのに、人を疑うたら、いけん」
 彼女の言う通り、あれをやったのがフォクヤンだという証拠は、ない。だが、他に誰がやったというのだ、あんな酷いことを。フォクヤン以外には、考えられないではないか。そう思った私は、再び意見を述べた。
「証拠が無えっち言うたって、フォクヤンしか、おらんじゃろう。あげえ真っ黒けに汚れちょって、あげえ臭えニオイをぷんぷんさせちょって、あげえ口が裂けた恐ろしい顔をしちょって、あげえオンボロのリヤカーを引きよって、子供をさろうていく悪い奴じゃあ。他人の物を盗むぐらい、平気でやるに決まっちょるわい」
 すると母は、
「フォクヤンが、子供をさろうていくっちゅう証拠、あるん?」
 またしても「証拠」を盾に、私の申し立てを退けようとした。
 どうして、息子の言い分を受け入れてくれないのだろう。私はついに感情的になり、声を荒らげた。
「フォクヤンが子供をさらうっち、ブッチンもペッタンもカネゴンもヨッちゃんも、みんな言いよる! クラスの男子も女子も、みんな言いよる! 6年生も5年生も、みんな言いよる! 4年生も3年生も2年生も1年生も、みーんな言いよる!」
「…………」
「それだけじゃあ無え! ゴマダラカミキリの頭を胴体から引っこ抜いて、ビニール袋の中にいっぱい詰めこんで、そげん袋をリヤカーにいっぱい吊るして、フォクヤンが農協に運んで行くんを、俺、この目で見た! ブッチンもペッタンもカネゴンもヨッちゃんも、みーんな見たけん、確かな証拠がある!」
「それは、生活のためじゃろう?」
 そう言うと、母は残りのお茶を飲み干し、茶碗をちゃぶ台の上に置いた。
 それから、私の顔をじっと見つめ、静かな口調で話を始めた。
「あのな、太次郎。フォクヤンちゅう人は、とても可哀相な人なんで……」
 母の口から語られた、フォクヤンの身の上話は、数十分にも及んだ。それは、こういう内容の話だった。
 
 フォクヤンの本名は、誰も知らない。
 口の奇形のせいで「フォッフォッ」という空気音主体の発声しかできないので、昔から市民たちは、彼のことをフォクヤンと呼んでいる。
 生誕地は、津久見市、あるいは隣の臼杵市の山奥らしい。
生まれたばかりの我が子を産婆に見せられたとき、母親はショックのあまり気を失ったという。
 二重まぶたの可愛い目には、あまりにもそぐわない、酷い兎唇。
割れた歯茎からは、1本の乳歯も生えず、奇妙な声は出ても言葉は出て来ず、とんでもない化け物を生んでしまったと、母親は嘆き続けた。
 そして思いつめた彼女は、息子が12歳か13歳のとき、包丁を突きつけて「いっしょに死のう」と迫ったのだ。
 驚いた少年は、母親の手から逃れ、家を飛び出し、山の中へ。そのまま、一人暮らしを始めた。
 若い頃は炭焼きで生計を立て、歳を取ってからは町へ下りてきて、廃品回収業。おもに鉄屑などを拾い集めてリヤカーで運び、業者に売り渡して日銭を稼いでいる。
 いまでも彦岳の山中に自分の炭焼き場を持ち、毎年冬の訪れとともに彼は八幡様境内の防空壕跡から遠くの山小屋へ移り住み、炭を焼きながら冬を越して、春になるとまた町へ。
 顔も手足も全身真っ黒なのは、昔から彼が入浴という習慣を持たず、加えて炭焼きという生業がそれに輪を掛けたのだ。
 「人さらいのフォクヤン」という悪名も、心無い者たちによる風説が広めたものに他ならず、決して温厚とは言えない性格の持ち主だが、彼が自ら進んで人々に危害を加えるようなことは、まず、ない。
 ただし、他者から攻撃を受けない限りにおいては。
 
「じゃあけん、人を見かけや噂だけで判断したら、いけん。証拠も無えのに、フォクヤンを疑うたら、いけん」
 長い話を、母はそう締めくくった。
 だが、熱心に聞き入っていた私は、怪奇の人物が背負っている、恐ろしい出自の秘密を知り、ただただ興奮するばかりだった。
 
  

 
(※注)古くから城下町として栄えてきたお隣の臼杵市とは異なり、津久見市は基本的に鉱山の町であった。石灰岩をダイナマイトで吹き飛ばすようなキップの良さが、津久見の人々にはあったような気がする。


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