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小説「ノーベル賞を取りなさい」第22話

あの大隈大の留美総長が、無理難題を吹っかけた。




 夏休みが終わり、キャンパスに学生たちが戻ってきた。その賑わいをよそに、柏田は研究室の椅子にもたれ、足を組み、じっと天井を見つめていた。
「先生」
 後ろのデスクから由香が声をかけたが、柏田は同じ姿勢のままでいる。
「先生ってばー」
 それでも柏田は反応を示さない。そこで由香は毛皮バージョンに戻ったアライグマの尻尾をつかみ、ぐいと引っ張った。
「おいおい、なにをする」
 ようやく柏田が振りかえった。
「さっきからずっと、なにを考えていたんですか?」
 由香の問いに
「決まってるだろ、論文についてだ」
 柏田が答えた。
「論文なら八月の初めに投稿したじゃないですか。総長と学部長、それに亜理紗さんと私にも絶賛されて。そのうえスピルギッツ博士からの返書には『現代経済学と古典力学の結合が起こした落ちないリンゴの奇跡』という最大級の賛辞とともに、ぜひとも柏田教授をノーベル経済学賞の候補者に推薦したいという一文が書かれていたし。さらには日本語版、英語版の書籍化も進行中。亜理紗さんによるスウェーデン語版の論文の投稿作業、および書籍化の準備作業も順調に進んでるし、いまさら天井見つめてどうするんですか」
 由香の発言に
「それはもう過去の論文。俺がいま考えているのは新しい論文についてだ」
 と、柏田。
「新しい論文?」
「ああ。研究に終わりはない。俺は『zero gravity effect』の考え方をさらに発展させていきたいんだ。時が経つのは早い。学者たる者、つねに新たな地平を目指して努力しなければ」
「そう言われれば、あの論文が完成してもうすぐ二か月が経つんですね。いろいろあった夏休みだったけど、論文をめぐる事件の捜査が打ち切りになったのはとても残念だわ。我ながら名演技で協力したのに。結局、中川先生がクビになっただけ」
「国家権力から圧力が掛かったとあっては、中止もやむを得ないだろうね。へたに騒ぎ立てたりしたら、私学助成金をカットされてしまうかもしれない。もしもそうなったら、大隈大はピンチ。総長も辛い立場だと思うよ」

 五十数年ぶりに再会した男たちは、大きな喜びにつつまれて酒を酌み交わしていた。
「いやー、ウッシーが大隈大の政経学部長になってるなんて、全然知らなかったよー。こないだは鳥飼に捜査の手が伸びそうだと教えてくれてありがとう。おかげで、ちゃんと始末できたよ。それに、ノーベル経済学賞のプロジェクトの論文をコピーして送ってくれてサンキューベリーマッチ。こんなことなら最初からウッシーに頼めば良かったなー」
「いやいや、僕のやったことなんて、アッシーの働きに比べたら、大したことないよ。さすがは政権与党の幹事長、鶴の一声で捜査を中止にしちゃうんだもんなー。小学校の幼なじみがこんな権力者になってくれて、僕たち鼻が高いよ。な、イッシー」
「なんのこれしき。咲玉小学校時代、二人にはずいぶん良くしてもらったからね。ケンカの強いイッシーは悪ガキどもから守ってくれたし、頭のいいウッシーは宿題を代わりにやってくれた。いまの僕があるのも、幼なじみに恵まれたおかげだと心から思っているよ」
「ほんとうに、その通りだよね。これからも助けあっていこうね、咲玉小学校の三人組で」
「アッシーこと、足山広高」
「イッシーこと、石ヶ崎勝男」
「ウッシーこと、牛坂建蔵」
「誰が名づけたか、あ行三人組!」
「先生が出席をとる順番も」
「一、二、三位を独占する、あ行三人組!」
「給食当番に指名されるのも」
「最初はいつも、あ行三人組!」
「掃除当番になると」
「サボってばかりの、あ行三人組!」
 そこで笑いが弾けた。再び酒を酌み交わし
「とにかく今回の件では、二人に大変お世話になったよ。お礼がしたいんだけど、なにがいい?」
 と、石ヶ崎。
「選挙が近いから、やっぱお金かな」
 と、足山。
「了解。ウッシーは?」
「僕は次期総長の座。いまの女総長のメンツを思いきり潰してくれないかな」
「了解。来週をお楽しみに」

        

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